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  • 説教要旨

    【2021年5月23日】
      聖  書
    使徒の働き1章1~14節
      題
    「働き続けるイエス・キリスト」
      聖  句
    しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。(8節)

    ① 神の愛が注がれる
       身分の高いローマの役人を神さまのもとに導くため、ルカは『ルカによる福音書』に続き『使徒の働き』を記しました。彼ひとりのために二つの書を書かせるほどに、神は一人の罪人が滅びることを望まれず、人々に愛を注ぎ続けておられます。主イエスの十字架の苦しみとよみがえりと昇天が世界宣教の原動力です。イエスが私たちのために神の怒りと罰を受けて下さったので、私たちはもはや死と死後の審きを恐れなくてもよいのです。
    ② 主イエスの証人に造り変え
       人間的な熱意や勢いが頼りにならないと知った人は、自分の力に頼らないで神に信頼することを学びます。これらを学んだ人が「わたしの証人」とされ、神さまから遣わされるのです。


      【2021年5月9日】
        聖  書
      ルカによる福音書14章15~24節
        題
      「神の招きを断らない」
        聖  句
      すると主人はしもべに言った。『街道や垣根のところに出て行き、無理にでも人々を連れて来て、私の家をいっぱいにしなさい』(ルカによる福音書14章23節)

      ① 盛大な晩餐会に
         天国の盛大な晩餐会にはすべての人が招かれています。ところが、人々は地上での祝福に感心が高く、もっと大きな神の祝福の事が頭にも心も入って来ません。そのため彼らは、「畑を買ったから」「牛を買ったから」「結婚したから」などと理由をつけて晩餐会への出席を断り、神の祝福に与ることができませんでした。しかし天国は、人間の想像をはるかに超えた実在の場所です。そこでは、人の目から涙が全く拭い去られ、「よくやった」と主から褒められ、地上の労苦が決して無駄にならなかった事を確認するのです。
      ② 神の招きのしるし
         招いた人たちが皆、出席を断ったため、神さまは非常手段で他の人々を招きました。神はイエス・キリストを遣わし、十字架に掛けて贖いのみわざを完成されました。教会堂の十字架は、「決してあなたを見捨てない」(創28:15)と神さまが招いておられるしるしです。「私の家をいっぱいにしなさい」のメッセージを受け取りましょう。


        【2021年5月2日】
          聖  書
        エレミヤ書18章1~12節
          題
        「神の手の中にある土の器」
          聖  句
        「見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたはわたしの手の中にある。(6節)

        ① 仕損じた粘土
           神が陶器師で人間が粘土の譬です。陶器師にとって粘土は最も価値ある物です。神は大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込んで、人を生きる者とされました。(創2:7) だから、神の目に「あなたは高価で尊い」(イザヤ43:4)と言われるのです。ところが、神が粘土で制作中に「仕損じた」=「人間の不従順のゆえに神の計画がだめになった」にもかかわらず、神はその粘土で他の器を造り、栄光を表わされたというのです。粘土はやわらかいので、やり直しがきくのです。私たちの心が神の前に悔いし砕けた魂になっているなら、神は決してお見捨てにはなりません。ですから、常に神の御手の中に留まりましょう。
        ② みことばの約束を信じる
           「神の手の中にある」とは、神のみことばの約束を信頼していることです。主イエスは十字架の血をもって贖い、「わたしの手の中にあるなら、必ず、生涯あなたを守り、永遠の命を与える。」と約束してくださるのです。


          【2021年4月25日】
            聖  書
          ルカによる福音書13章31~35節
            題
          「神の翼の下に身を避ける」
            聖  句
          「エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。(34節)

          ① 十字架のもとに
             「神の翼の下」とは「主イエスの十字架のみもと」の事です。エルサレムの人々は神に愛されているのに預言者を殺し、ただ形式的に神を礼拝するだけで、神のみことばに喜んで聞き従うことはありませんでした。また、ヘロデは預言者であるイエスを殺そうとしました。しかし主イエスは、このような敵対者の罪を赦すためにも十字架に掛かって死なれたのです。「主イエスの十字架は私のため」と信じる者には罪の赦しと本当の平安が与えられるのです。
          ② みことばのもとに
             雛が母鳥の温かさを感じ守られる所が「翼の下」です。みことばによって「神と私」との関係が確立する時に、神の温かさを感じます。『日々の聖句』(ローズンゲン)は全世界で用いられている聖書日課で、厳しい迫害下のドイツで生れました。そこには旧約と新約の聖句のみが記されており、そこから神のメッセージが伝わってきます。 みことばから神の温かさを体験しながら生活しましょう。


            【2021年4月18日】
              聖  書
            雅歌2章1~7節
              題
            「神の愛の呼びかけ」
              聖  句
            「私はシャロンのばら、谷間のゆり。わが愛する者が娘たちの間にいるのは、茨の中のゆりの花のようだ。(雅歌2:1、2)

            ① いばらの中のゆりの花
               「シャロンのバラ」とは、どこの平原にも咲いている野生の小さなありふれた花のことを表わしており、これが人間の自己評価です。しかし神は、「あなたはいばらの中のゆりの花のようだ」と高く評価し期待して下さいます。確かに人間は罪を犯し、いばらのようにお互いを傷付け合う存在となりました。しかし、イエス・キリストが十字架でいばらの冠をかぶり、贖いを成し遂げて下さったので、罪赦されて「輝くようなゆりの花」とされました。良い香りを放ち、純白の美しさでたくさんの花を付け、頭を垂れ、試練の中でも成長するのです。神さまが私たちをこんな大きな愛で見て下さっていると自覚するなら、どんな困難の中からも立ち上がれるのではないでしょうか。
            ② 弱さの中に注がれる神の憐れみ
               人は誰も弱さを持っています。しかし神の憐れみは弱さの中に注がれるのです。「主のあわれみは代々にわたって主を恐れる者に及びます。」(ルカ1:50)


              【2021年4月11日】
                聖  書
              ルカによる福音書11章9~13節 
                題
              「神さまからの贈り物」
                聖  句
              「それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」(ルカ11章13節)

              ① 祈り続けよ、求め続けよ
                 祈りは根気強く、求め続け、捜し続け、門をたたき続けることが大切です。それは祈りの真剣さを表わしています。ジョージ・ミュラーは5人の人が救われるよう祈りました。その結果、一人は5年後に、もう一人は10年後に、あと二人は25年後に、最後の一人はミューラーの死後、数ヶ月してから救われました。彼はこの最後の人のために何と52年間も祈り続けたのです。神さまは、注文通りの品物を注文通りの時間と場所で与えられるというよりも、その人にとって何が良い物であるかを最もよく知っておられる神が、その愛と配慮また将来をも見据えて、御旨にかなった物を与えてくださるのです。私たちにはイエスさまの「ゲッセマネの祈り」のお手本があります。「父よ、みこころなら、この杯を取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。」(ルカ22章)神のみこころがなることを喜ぶ者となりたいものです。
              ② 聖霊が与えられるように祈ろう
                 聖霊はキリストの霊です。聖霊は私たちの心の内側に働きかけ、神がおられること、イエスが神であると分からせ、自分の罪を示してくださる、また、罪を悔い改める時、背中を押して勇気を与えて下さいます。ですから、聖霊を与えて、私たちの内側に十分に働いてくださいと祈ろうではありませんか。心配事を神さまにお委ねし、神さまと二人で、感謝しながら生活致しましょう。


                【2021年4月4日】
                  聖  書
                ルカによる福音書24章1~12節
                  題
                「恐れることはない」
                  聖  句
                「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜す のですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。」(ルカ24:5)

                ① 思い出しなさい
                   週の初めの日、女性たちはイエスのお体に香油を塗ろうと墓にやって来ました。しかし、イエスのお体が見当たらず困っていると、み使いが現れて語った5節の言葉によって、「人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され十字架につけられ、三日目に甦る」と、主イエスが以前語っておられた言葉を思い出したのでした。彼女たちは「主はよみがえられた」と喜んで帰って来て弟子たちに報告しましたが、彼らは信じることができませんでした。しかしペテロはすぐに走って墓へ行き、そこでよみがえりの主イエスに出会うことができました。
                ② 生きている方を
                   生きておられる方を死人の中に探しても見つけることはできません。「生ける主イエス」は、わたしたちに働きかけてくださいます。私たちが思い出し、たずね、愛し、従う時、主イエスの方から私たちを訪問し、みわざを行ってくださるのです。体の自由を失った水野源三さんが、唯一の支えであったお母さんの召天後、「母を失った私のために泣かないでください。心の中は不思議なくらい静かなのです。キリストが私と共におられるからでしょうか。」と詩を書きました。よみがえられた主は信じる者と共におられるのです。


                  【2021年3月28日】
                    聖  書
                  ルカによる福音書23章32~48節
                    題
                  「十字架より始まる新しい自分」
                    聖  句
                  「イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます。」こう言ってついに息を引きとられた。」(46)

                  ① 十字架に近づく
                     クリスチャン人生の原点は十字架体験です。そこから新しい人生が始まり、人格が形作られて行きます。主イエスが十字架に掛けられた日、そのまわりには多くの人がいました。「民衆」「役人」「兵卒」「イエスの着物をくじ引きで分ける者」「隣の十字架に付けられた犯罪人の一人」。彼らの心は十字架から遠く離れていましたが、「十字架に付けられたもう一人の犯罪人」だけは、「わたしを思い出してください」と、イエスに近づいたのです。するとすぐに主イエスから「わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」との約束をいただきました。主の十字架は、求め近づく者に新しい人生を与えるのです。
                  ② み手にゆだねます
                     キリストの十字架での最後の言葉は、人類の新しい合い言葉となります。「神のみ手にゆだねる」と、神の働く余地が生れ、神は十分に働かれるのですが、ゆだねていないと、それは人が神の働かれるのを邪魔している状態なのです。田原米子さんは事故で失った手足を見て、「指が三本しかない」という絶望の言葉から、神に将来をゆだねる事により「指が三本もある」という告白に変わり、そこから新しい人生が開けて行ったのです。


                    【2021年3月21日】
                      聖  書
                    ルカによる福音書22章1~13節
                      題
                    「人の企てと神の計画」
                      聖  句
                    イエスはペテロとヨハネとを使いに出して言われた、「行って、過越の食事ができるように準備をしなさい。」(ルカ22:8)

                    ① ユダの人間的企て
                       民衆のイエスに対する人気を恐れた律法学者は、十戒を破ってイエスを殺そうと計画しました。「そのとき、ユダにサタンが入った」(3節)とありますが、これは俗に言う「魔が差した」という事です。サタンは人の心の隙間に入ります。ユダは会計係として金をごまかしている内に、心に隙間ができ、知らず知らずの内に物事を金銭的な損得で考えるようになっていたのでしょう。弟子仲間との交わりから離れて律法学者たちの悪企みの相談の中にも入っていました。そして、自分の意志でイエスを裏切るサタンの使者となる事を承諾したのです。(5節)
                    ② イエスの使者ペテロとヨハネ
                       ペテロとヨハネは過越の食事の準備係として選ばれました。しかし主はその場所がどこかを知らせずに、「水瓶を持っている男に出会ったら、その男の入る家まで付いて行き、そこで尋ねるように」との指示を出しました。主の言葉に従って二人がそこに行くと、そこには主イエスがすべての準備を整えて下さっていたのです。神のご計画は十分に知らされない事もありますが、先が見えず不安があったとしても、最後には「イエスが言われた通りであった」事を体験するのです。どこまでも主を信頼しましょう。


                      【2021年3月14日】
                        聖  書
                      ヨナ書2章1~10節
                        題
                      「神に帰る祝福」
                        聖  句
                      「しかしわたしは感謝の声をもって、あなたに犠牲をささげ、わたしの誓いをはたす。救いは主にある。」(ヨナ2:9)

                      ① 絶体絶命からの救い
                         ヨナは予言者であるのに神から命じられたニネベの町には向かわず、反対方向のタルシシ行きの船に乗りました。しかし嵐になり、海に投げ込まれ、大きな魚に飲み込まれました。そこは脱出不可能、絶対絶命の場所。ヨナは三日三晩ひれ伏して一生懸命に神に祈りました。すると魚はヨナを陸に吐き出し、彼は心を変えてニネベに向かったというのです。神さまに祈りが聞かれるためには、「祈り続けること」です。御心がわからない時も答えが出ない時も祈り続けましょう。神の時が来るなら必ず答えを下さいます。
                      ② 神に聞く姿勢
                         今まで神さまに聞く事を嫌っていたヨナが、魚の腹の中で三日三晩過ごす内に変えられました。「神に聞く」とは、祈りの中で常に自分の心を点検する事です。主の十字架を信じて罪を赦され救われた後も、なお心のきよめは必要です。文句や嫉み、批難や不信仰がないかを点検する必要があります。それらがきよめられて初めて約束の地へ入ることができるのです。「強情は偶像礼拝である」とサムエル記上15:23にあります。強情とは物事の一面しか見る事ができない性質の事です。物事にはいろいろな側面がある事を認め、柔軟な心を持ちましょう。そこから神は私たちを新しい使命に遣わされるのです。


                        【2021年3月7日】
                          聖  書
                        ルカによる福音書12章22~34節 
                          題
                        「恐れるな 自分の小さいことを」
                          聖  句
                        「恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである。」(ルカ12章32節)

                        ① 主イエスが共にいます
                           当時の、イエス・キリストを中心とした群れは小さな共同体でした。「群れ」は大きな集団ではありません。小さいから恐れるのです。しかし、忘れてならない事は、イエス・キリストが共におられるという事実です。主が共におられるなら恐れることはありません。罪人であっても、愛し合うことができない人であっても、嵐の中でも、絶望していても、主イエスはいつもその必要をご存じであり、その人に必要な助けを提供し続けることができるからです。思い煩わないで信仰を大きく広げましょう。
                        ② 御国をくださる
                           羊の群れには必ず羊飼いがついています。羊飼いは羊を守るためにいつも注意して目を光らせています。イエス・キリストは、「わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは羊のために命をすてる。」(ヨハネ10:11)のみことばの通り、そのいのちを十字架で犠牲にして私たちを罪の滅びから救ってくださいました。このお方と共に進みましょう。主イエスは決して「恐れ」をもって私たちを支配したり、強制的に言う事を聞かせるようなお方ではありません。むしろ恐れから解放し、深い安心と自由を与え、喜んで主に従えるようにしてくださるのです。この道は神さまと共に歩く道であり、御国へと続く道なのです。


                          【2021年2月28日】
                            聖  書
                          ルカによる福音書13章1~9節 
                            題
                          「神は何を待っているのか」
                            聖  句
                          「すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そ のままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。』」 (ルカ13章8節)

                          ① 全力で自分の罪を悔い改める
                             「シロアムの塔が水道工事中に倒れ、18人が下敷きになった。」とニュースがあった時、人は「神さまのバチが当たったのだ。」などと言いがちです。しかし、災難に遭った人が特別大きな罪を犯したわけではありません。神さまは、罪を犯している人をすぐに審くお方ではないからです。まずは、「警告を与え」次に「チャンスを与え」、「一人も滅びることなく、すべての人が悔い改めて救われるようにと、忍耐強く待っておられる」のです。だから、「熱心になって悔い改めなさい。」(黙3:19) とあるように、神に対し正面から向き合って、自分の罪を認め、悲しみ、全力で悔い改めなさいと命じておられるのです。
                          ② イエスの愛を私のため
                             ぶどう園の中に1本だけいちじくの木がありました。まわりのぶどうの木はたわわに実っているのに、いちじくだけが3年も実りません。しかし、まわりを羨む必要はないのです。園丁である主イエスが、これまでのわたしの世話が不十分であったかもしれない。もう1年待ってください、肥料をやってみますから、と取りなして下さるのです。イエス・キリストが十字架上で見捨てられた(マタイ27:46)のは、その身代わりの死ゆえに、私達は決して見捨てられないとの約束なのです。このお方の前に、何もかも悔い改めてお詫び致しましょう。


                            【2021年2月21日】
                              聖  書
                            エステル記4章4~17節
                              題
                            「見えざる神のみ手とその応答」
                              聖  句
                            「あなたがこの国に迎えられたのは、このような時のため でなかったとだれが知りましょう。(エステル4:14)

                            ① 神の御手が
                               エステル記には、バビロン捕囚が終ってもなおイスラエルへ帰国せずに残ったユダヤ人の物語が記されています。王妃ワシテが王の怒りに触れて退けられた後、全国から娘たちが集められ、その中からエステルが選ばれて王妃となりました。エステルはユダヤ人で、早くに両親を失い、モルデカイに育てられましたが、物欲に走らず従順な人柄でした。また、モルデカイは王の暗殺計画を未然に防いだ功績があったにもかかわらず、その報いを忘れられていましたが、文句を言わず、見える所で一喜一憂しない人でした。内面の美しさを持つエステルと無欲な心を持つモルデカイに対して、神の御手が伸ばされます。
                            ② エステルの神への応答
                               悪魔のような心を持った王の側近ハマンは、ユダヤ人を絶滅させようと企んでいました。それを知ったモルデカイはエステルに対して、「あなたが王妃に選ばれたのは、このような時のためだ。だから、王に対してユダヤ人の命乞いをしてもらいたい。」と頼みました。しかし、王の許しなく王の許に行く者は誰でも殺されます。それを覚悟でエステルは、「わたしがもし死ななければならないのなら死にます。」とすべてを神さまにお任せして行動を起こします。そこに、神さまの不思議なみわざがなされ、最後にはどんでん返しが起こるのです。


                              【2021年2月14日】
                                聖  書
                              ヨハネによる福音書15章1~11節
                                題
                              「イエスはまことのぶどうの木」
                                聖  句
                              「わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父が すべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるの である。(ヨハネ15:2)

                              ① わたしにつながっている枝
                                 「イエスにつながる」とは、イエスを本当の友とし、「わがため命をも捨てましし友」(新聖歌426) と賛美し、救い主イエス・キリストのものとなった事を唯一の慰めとし、自我が砕かれキリストを心の王座に迎え、聖霊の力により心が造り変えられた人の状態を言います。ぶどう園を所有する父なる神は、ぶどうの木であるキリストを通して、その枝である私たちが豊かな実を結ぶために働いておられます。
                              ② 手入れしてきれいになさる
                                 「手入れ」には、肥料をやったり、消毒や剪定等もあります。神さまは私たちの信仰生活の中で良い実を結ばせようとして、ある時は思い切った剪定もなさいます。痛みを覚え、失う悲しみを味わい、枝をまっすぐにするための試練もあるかもしれません。イスラエルの人たちには、不平や不満、批判や不信仰を清める訓練の期間である「荒野の40年」もありました。しかし、どんな時でも「主の導かれる地こそ、乳と蜜の流れる地」と、主に信頼して従いましょう。その時、私たちは多くの実を結び、神の栄光を表わすことができるのです。


                                【2021年2月7日】
                                  聖  書
                                ルカによる福音書19章1~10節
                                  題
                                「本当の友を持つ」
                                  聖  句
                                「そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエス を迎え入れた。(ルカによる福音書19章6節)

                                ① イエスを見るために
                                   友は人間の人格形成に大きな役割を果たしますが、「天から来られて人となられたイエス・キリスト」を生涯の友とするなら、他では得られない祝福をいただけます。エリコの町の取税人ザアカイは不正な取り立てをして富を築いた、まさに「お金がすべて」という人でした。ある日、罪人と食事を共にされると噂のあるイエスがこの町に来られるというので、どんな人か見たいと思い出かけて行きました。
                                ② 喜んでイエスを迎え入れた
                                   噂を聞きつけ、沿道にはすでに大勢の人が出ていたため、ザアカイは彼らに遮られて見ることができず、とっさの判断でいちじく桑の木に登りました。ここにザアカイを神の恵みに導き入れる入口があったのです。「ザアカイよ」(5)とイエスは彼の名前を呼ばれました。人は、自分の名前を呼ばれる時の声が一番美しい音楽に聞えるそうです。「急いで」の声に背中を押されるように、ザアカイは下りて行き、 「今日あなたの家に泊まらなければならない」との神さまの御心を聞きました。それは、イエスが人類の罪の身代わりとなって十字架にかからなければならないという神のご計画とご意志を表わされたのと同じです。自分が罪人であるとわかったザアカイは喜んでイエスを心にお迎えし、それから後、主イエスを生涯の友としたのでした。


                                  【2021年1月31日】
                                    聖  書
                                  ルカによる福音書3章1~14節
                                    題
                                  「悔改めのメッセージ」
                                    聖  句
                                  「彼はヨルダンのほとりの全地方へ行って、罪のゆるしを 得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えた。」(ルカ3の3)

                                  ① 神のみもとに帰る
                                     「悔い改め」には「偽りの悔い改め」と「まことの悔い改め」とがあります。罪を悔いて「もうしません」と決心し、自分の力やがんばりで何とかしようと思っても限界があります。しかし、まことの悔い改めは、罪を悔いることは同じですが、神のみもとに帰り(神を信頼し、神に明け渡す)、聖霊の力により内側から新しく造り変えられるのです。客車は機関車に繋がれて初めて前へ進むことができます。人間も神のいのちに繋がれて初めて新しく生れる事ができるのです。
                                  ② 悔い改めの実を結ぶ
                                     私の悔い改めが本物であったかどうかは、聖霊の実を結んでいるかどうかによってわかります。その実とは、具体的な生活の中で他者への思いやりが形となって表われる事です。聖書に出て来る人物で、パロ、バラム、アカン、サウル、イスカリオテのユダたちは、自分の間違いに気づき、「わたしは罪を犯した」と告白はしましたが、心砕けず、神のみもとにも帰らず、自分の力で解決しようとしました。しかし、ダビデと放蕩息子は悔いし砕けた心をもって神のみもとに帰ったのです。誰よりも、わたしこそ心底罪人です。神よ、どうか、わたしを憐れんでくださいと、その後の処置を全く神にお任せしたのです。すると神は、汚れた品性を脱がせ、過去の罪を赦すだけでなく心を清め、新しいいのちと力を与えてくださったのです。


                                    【2021年1月24日】
                                      聖  書
                                    ヨハネによる福音書9章1~11節
                                      題
                                    「神のみわざが現れるため」
                                      聖  句
                                    「イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、 また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」(ヨハネ9章3節)

                                    ① キリストに従う
                                       神は、すべての人の上に神のみわざを現わしたいと願っておられます。そのために人間の側がすべき事は、生れつきの盲人の目に塗られた泥を、「シロアムの池へ行って洗え」の命令(7節)に従うことでした。それが何になるのかと疑いたくなるような事であっても、キリストに従ってみる事です。この盲人は見えるようになりました。かつてのナアマン将軍も予言者エリシャの言葉に従ってヨルダン川に七度浸かり、長年悩まされていた重い皮膚病を癒やされた(列王下5章)ように、私たちも幼な子のように信じ従うことです。
                                    ② 霊の目が開かれる
                                       人類は「生れつきの罪人」で、神を信じることができません。目が癒やされたこの人は、その後、村八分にされましたが、主は彼を捜し出し、今度は霊の目を開こうとされました。この人が、「主よ信じます」と、イエスを拝した(38節)とき、彼の霊の目は開かれ、イエスご自身が神であり、救い主である事がわかり礼拝しました。続く10章では、キリストの生涯をあなたのために使い尽すほどに愛していると、この人に、またすべての人に対して語っておられるのです。


                                      【2021年1月10日】
                                        聖  書
                                      箴言3章1~12節
                                        題
                                      「幸せへの決断」
                                        聖  句
                                      わが子よ、わたしの教えを忘れず、わたしの戒めを心にとめよ。そうすれば、これはあなたの日を長くし、命の年を延べ、あなたに平安を増し加える。(1)

                                      ① 神のみことばに従う決心
                                         幸せは、棚ぼた式に降って来るものではありません。神さまの教えを忘れず、みことばに従う決心をすることです。そうすれば、長寿と平安が増し加えられると約束されています。平安(シャローム)の中身は何でしょう。それは、「神との和解と交わり」、「人々との平和的関係」、「自分自身の心の平安」、「物質的繁栄」であり、それらが年と共に増し加わるというのです。
                                      ② 神を信頼する決心
                                         自分の知恵に信頼して失敗したソロモンは、その深い反省から「心を尽くして主に信頼せよ」(5節) と後の人々に語っています。物事がとんとん拍子に運ぶ時は危険です。自分の力を過信し、富と欲とが心の目を塞ぎます。たとえ試練や苦しみがあったとしても、その背後には神の愛のご計画と涙がある事を信じて従いましょう。


                                        【2021年1月3日】
                                          聖  書
                                        詩篇84篇1~12節
                                          題
                                        「充実した年にしたい」
                                          聖  句
                                        その力があなたにあり、その心がシオンの大路にある人はさいわいです。(5)

                                        ① 神を力とする者
                                           人は誰でも何かを頼みとしています。ある人は自分を頼み、また、ある人は地位や財産、名誉などを頼みとします。しかし、見えるものに頼るよりも、目に見えない神を頼み、イエス・キリストを頼みとする人生は平安で充実したものとなります。神はすずめやつばめのような小さなものにも御目を留められ、神の許しがなければ一羽も地に落ちる事はありません。ヨセフは兄たちに嫉まれてエジプトに売られ、数々の苦しみを経験しましたが、彼はいつも主が共におられると信じ、神を仰ぎ続けました。そこに驚くべき神の力が現わされたのです。私たちも流れのほとりに植えられた木のように、絶えず神から力をいただきながらこの一年を過ごしましょう。
                                        ② み国をめざす人
                                           「シオンの大路にある人」とは、エルサレムの礼拝に向かう人々の様子ですが、それは天国への旅人の事です。その道を歩む者は、涙の谷が多くの泉ある所となります。苦難は実は仮面をかぶった天使なのです。「力から力に進み」=無限に成長する力が与えられます。また祈りが聞かれ、神が盾となって下さる平安の道で、主の恵みが与えられる所です。その主の恵みの宝庫を開く鍵は信仰です。不信仰やつぶやきには祝福はありません。主に信頼し、み国を目指す人は幸いです。


                                          【2020年12月27日】
                                            聖  書
                                          ピリピ人への手紙3章5~16節
                                            題
                                          「前のものに向かって」
                                            聖  句
                                          兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、・・(13)

                                          ① キリストに捕えられる
                                             「うしろのもの」とは、過去の失敗、罪、失望に陥れたものの事で、それらの解決は、忘れる事ではなく、神さまに赦され、心が罪から解放され、感謝の生活ができるようになった時にもたらされます。それがキリストに捕えられたという状態です。もはや何もかも自分で解決しようと焦る必要はありません。神様が私たちの腰に縄を付け、迷わないように、溺れないように捕まえていて下さり、キリストが働きの最終責任者となって下さるのですから。(ヘブル12:2)
                                          ② 神の賞与を得るために
                                             「前のものに向かって」とは、神の方角に向かってという意味です。この世の成功や賞与の方角ではありません。それらを目指していると、いつのまにか不真実が入り込み、人の顔色を見て仕事をしてしまいます。しかし、神の賞与を目指して働くなら、必ず神と人とに喜ばれるようになります。「上に召してくださる」召しとは神からの呼びかけで、それに励まされつつ前へ進むのです。神の賞与とは、それぞれの能力に応じて与えられるタラントと「よくやった」との神の喜びの声です。生きている間は与えられた賜物(タラント)を自分の物のように思いっきり使って働き、その後には天国が備えられているのです。


                                            【2020年12月20日】
                                              聖  書
                                            ルカによる福音書2章6~20節
                                              題
                                            「大きな喜びのクリスマス」
                                              聖  句
                                            御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。」(10)

                                            ① みこころにかなう人々
                                               クリスマスの喜びの理由の第一は「地の上ではみこころにかなう人々に平和があるように」(14節)との御使いの賛美にあります。この言葉を聞くと、頑張って神のみこころにかなう生活をした人にだけ平和がもたらされるのかなと考えがちです。しかしそうではなく、神の方から、私たちをみこころにかなう者に造り変えて下さり、その上でまことの平和を与えて下さるという事なのです。クリスマスに飼葉おけに生れ、十字架で私の罪の身代わりとなって死なれた主イエスは、自分の罪を悔い改めて十字架を信じた者を赦し、天国の命を与えて下さるのです。
                                            ② 心に留めて思いめぐらす
                                               人々は羊飼いたちの話しをただ聞くだけで、それ以上に深く考えようとはしませんでした。しかしマリヤは、彼らをじっと見つめて聞き、わが身に起こった事と結びつけて思いめぐらしました。一つの出来事から性急に結論を出すのでなく、神の導き・摂理の御手・みことばの真理等を考え合わせるのです。言い代えればこれは「黙想」です。このような人に神の祝福がもたらされるのです。


                                              【2020年12月13日】
                                                聖  書
                                              マラキ書4章1~6節
                                                題
                                              「救い主は必ず来られる」
                                                聖  句
                                              しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、とびはねる。(2)

                                              ① 神への愛が冷え切った時代の中にも
                                                 70年にも及ぶバビロン捕囚からようやく解放されたイスラエルの民は、エルサレムの神殿と城壁を再建し、神の律法に立ち帰りました。これからは神がすばらしい時代を与えて下さるに違いないと期待しましたが、自分たちの予想通りにはなりませんでした。このような小さな失望が積み重なり、やがて神への幻滅が人々の心を支配し、そこから形式主義(パリサイ派)や懐疑主義(サドカイ派) が生れました。自分たちにとって利益があるなら神に仕えよう、どれほどに物質的に繁栄しているかによって神の愛を推し量ったため、神に対する愛が冷え切った時代となりました。このような時に、旧約最後の預言者としてマラキが立ち上がったのです。
                                              ② わが名を恐れる者には
                                                 「主を恐れる者は互に語った。」(3:16) は、マタイ18:20に通じる所があり、主の名を信頼して集まる所に神はご自身の愛を啓示されることがわかります。「聖徒の交わり」とは、自分の思い通りにはならないが、主によって潔められ、訓練され、キリストに従う事によって目が開かれ、やがて神の愛が見えて来る交わりです。


                                                【2020年12月6日】
                                                  聖  書
                                                イザヤ書53章1~12節
                                                  題
                                                「苦難のしもべイエス」
                                                  聖  句
                                                彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命を長くすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。(10)

                                                ① 身代わりの事実
                                                   イザヤ書53章には、イエス・キリストが全世界の人々の罪の身代わりとなって神の審きを受け、罪の赦しの道を開くことが預言されています。全人類の罪とは、人々が「みな」一人残らず自分勝手に生き、「羊のように迷う」愚かでわがままな存在であるという事です。主イエスはそのような状態を憂い、人類を救おうとされる父なる神のみこころに黙々と従われました。そのようなしもべを神は死の世界に放置せず、やがて復活の栄光へと導かれるのです。
                                                ② 身代わりが与える栄光
                                                   イエスは十字架で死んでよみがえり、神から永遠の命を受け、それを、信じる者に与え続けておられます。そして、全世界にその福音が伝えられ、宣教の愚かさによって今も人々を救いへ導いておられるのです。さらに聖霊は、祈れない人に「アバ父よ」と呼ぶ御子の霊を与えて祈る人へと造り変え、罪の代わりに赦し・賛美・栄光の衣を着せてくださるのです。


                                                  【2020年11月29日】
                                                    聖  書
                                                  ルカによる福音書7章18~23節
                                                    題
                                                  「救い主を待ち望む」
                                                    聖  句
                                                  「きたるべきかた」はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか。 (19)

                                                  ① 来たるべき方
                                                     主イエスはナインの町で、やもめの一人息子の死に深い同情を寄せられました。そのお姿を見たバプテスマのヨハネの弟子たちは、彼らの描く救い主像と目の前にいる主イエスとの間に大きなギャップを感じました。彼らの描く救い主像とは、政治的にも武力的にも力を持ち、罪人を裁いて世界を平和にする方であって、「一人一人を救って、それが何になるのか、もっと大勢の人が苦しんでいるのに・・」と、もどかしさを感じていたのです。その様子を見ていたヨハネは、主イエスに直接聞く事をすすめました。人は奇跡を期待し、一瞬にして世界が変わる事を求めます。しかし、主は一人一人の罪を赦し、天国の命を与えて、人を内側から造り変えられる救い主なのです。
                                                  ② 誰を待つべきか
                                                     つまづきや抵抗を感じた時は主イエスを見上げ、主イエスの救いを待ち望むことです。主の救いは静かに、感謝して、信じて待っている者に成就します。どんなに暗く、事態が悪くても「主イエスを待ち望む」とき、患難にも悪魔の働きにも打ち勝つことができるのです。


                                                    【2020年11月22日】
                                                      聖  書
                                                    ヨハネの第一の手紙5章1~13節
                                                      題
                                                    「世に勝つ信仰とは」
                                                      聖  句
                                                    なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。

                                                    ① 主イエスを信じ、心に受け入れる
                                                       「世」とは、神の光に背を向けて生きる世界のことで、そこは怒りと憎しみで満ちており、人々は「肉の欲、目の欲、持ち物の誇り」で生きています。このような「世」に巻き込まれずに生活をするためには、「神から生れた者」となる必要があります。まず、イエス・キリストが私の罪のために死んでくださったことを信じ、神の家族の一員とされなければなりません。そこから互に愛し合う生活が始まり、「神の戒め」すなわち、神のみこころを信じ、神のみこころに喜んで従う、祝福の歩みが始まるのです。
                                                    ② イエスを神の子と信じる
                                                       世に勝つ者とは、イエスを神の子と信じる者です。また、人生の「罪と病と悩み」に勝つのも、イエスを神の子と信じる信仰からです。私たちは、罪の悔い改めと主イエスの十字架の赦しを信じることによって救われ、洗礼を受け、神と共なる新しい人生と天国の希望が与えられます。そして、聖霊はどんな時にも助け・守り・導いてくださるのです。


                                                      【2020年11月15日】
                                                        聖  書
                                                      ヨハネの第一の手紙4章11~21節
                                                        題
                                                      「神の愛の目的」
                                                        聖  句
                                                      神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。(12)

                                                      インドの真珠取りの老人の話し
                                                         神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを 生きるようにしてくださった。(Ⅰヨハネ4章9節)
                                                      宣教師に導かれていたその老人は、なかなか神の愛を受け取ることができずにおりました。「私はまもなく真珠取りの仕事を終えようとしている。あなたとの交わりももうこれが最後だから、お礼に私の大切にしている真珠を受け取ってほしい。」宣教師は「そんなに高価な真珠をただでもらうわけにはいかない、お金を払います。」と言うと老人は、「これは私の一人息子が命を懸けて取った真珠です。この真珠を取るために息子は命を落としました。だから、これをお金で売るわけには行かないのです。」それを聞いた宣教師は、「おじいさん、神さまもひとり子の命を懸けて勝ち取った罪の赦しと永遠の命を、お金で売ることなどできないのです。信じる人に無代価で与えようとしているのです。あなたも神が命をかけたこの真珠を受け取りませんか。」と語りかけたというのです。神さまの愛を受け取り、互に愛し合う者となりましょう。


                                                        【2020年11月8日】
                                                          聖  書
                                                        ヨハネの第一の手紙4章1~10節
                                                          題
                                                        「あなたを生かす神の愛」
                                                          聖  句
                                                        神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。(9)

                                                        ① 信仰によって神の愛を
                                                           霊は教えの背後にあって、それを動かしている力です。「すべての霊を信じることはしないで」(1)とあるのは、本物の霊の他に、偽預言者や反キリストの霊も存在するので注意する必要があるからです。反キリストの霊の中には「強欲」という力が働いていますが、本物の霊のしるしの第一は、「イエスが肉体をとって来られたことを告白します。」 第二は、「神の言葉に従います。」内側に神の霊があるなら、人は自然と神に従い、互に愛し合うようになるのです。
                                                        ② ここに愛がある
                                                           神の本質は愛です。神のなさる事のすべては愛から出ています。「あなたは善にして善を行われます。」(詩119:68) とある通りです。若い時のヨハネは「雷の子」とあだ名されるほどの怒りの子でしたが、神によって「愛の使徒」と呼ばれるほどに造り変えられました。それは怒ることによって、どんなに神を悲しませていたかがわかり、神の前にも人の前にも悔い改めたからです。罪に気づかなかった時の自分は、まるで死んでいたようなものだ。しかし、罪が赦された今のわたしは、本当の意味で生きるようになったのだと気づき、証ししているのです。


                                                          【2020年11月1日】
                                                            聖  書
                                                          ヨハネの第一の手紙3章13~24節
                                                            題
                                                          「互に愛し合う秘訣」
                                                            聖  句
                                                          主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。(16)

                                                          ① 死から命に移る
                                                             人は生れながらにして「愛してほしい」「理解してほしい」「赦されて当然」との思いが強い者です。そのような人間が「愛する者」に変えられるためには内的な大変革が必要です。それは、罪の中に死んでいた者が自分の罪を認め、心から悔い改め、イエス様が私の罪のために十字架に掛かってくださったと信じ、罪を赦していただく事です。それは死から神の命へ移される事です。神に赦された者は人を赦すことができ、また人を愛することができるのです。
                                                          ② 愛の実践
                                                             それでは、罪を赦され、内に神の愛をいただいたらすぐに「愛する者」に変えられるかというと、そうではありません。愛の練習期間が必要です。手術を受けた人が、その後リハビリをして回復するように、私たちも日常生活の中で愛を実践し、一歩前進二歩後退を繰り返しながら、螺旋階段を上るように成長して行くのです。「いのちを捨てる」とは、いのちを削り、時間を使い、他の人のために生きることです。誰も自分の過去を変えることはできませんが、愛の実践を通して未来を変えることはできるのです。


                                                            【2020年10月25日】
                                                              聖  書
                                                            ヨハネの第一の手紙3章1~12節
                                                              題
                                                            「見よ、なんという大きな愛」
                                                              聖  句
                                                            わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。(1)

                                                            ① 父から賜った愛
                                                               「人類の罪の身代わりとして神のひとり子を地上に遣わし、十字架につけたこと」、それが神の一方的な愛のプレゼントでした。愛が本物かどうかは、犠牲の大きさによって測られます。その愛を信仰によって受け取り、私たちは「神の子」とされました。「よく考えてみなさい」とは、日常の流れの外に出て考えなさいという事で、「毎週の礼拝」や「朝・昼・夜の静思の時」がその時です。祈りとみことばによって、神の愛で心が満たされるまで、そこを動かないでください。
                                                            ② 生き方が変わる
                                                               人は、自分が神に愛されている事が本当にわかった時、その生き方が変わります。「きよさ」とは何でしょう。それは、自分の罪に気づき、悔いて悔いて心砕けた状態のことです。そのようにしてへりくだった魂と共に神は歩んでくださいます。人は不完全ですから信じた後でも罪を犯す事がありますが、先に十字架の赦しを受けた者は、罪の内に何年も留まっている事はできません。なぜなら再度、聖霊が心に語りかけて罪の悔い改めに導くからです。


                                                              【2020年10月18日】
                                                                聖  書
                                                              ヨハネの第一の手紙2章18~29節
                                                                題
                                                              「キリストの内に留まっていなさい」
                                                                聖  句
                                                              そこで、子たちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、彼が現れる時に、確信を持ち、その来臨に際して、みまえに恥じいることがないためである。(28)

                                                              ① 実を豊かに結ぶため
                                                                 「キリストに留まる」とは、具体的には「みことばに従い、聖霊の助けを経験し、祈りによって神と交わる」ことです。船がドックの中で完成されるように、私たちもキリストの中にあって初めて、清く傷なき者となることができるのです。「わたしに繋がっていなさい」とありますが、父なる神はつながった者に何をなさるのでしょうか。剪定し、手入れし、肥料をやり、消毒をなさるのです。良い実を結ぶためには、神を信頼し、従い、お委ねするのです。
                                                              ② キリストが与える祝福
                                                                 山田晴枝先生は、28歳からの4年間を満州の宣教師として奉仕されました。満州に渡ってしばらくすると、内地からの送金が途絶え、生活が立ち行かなくなり、うつ状態になって毎日毎日砂漠へ行って砂を頭からかぶりながら祈っていたそうです。その時「わたしは有って有る者」(出3:14)とのみ言葉が響いて来たというのです。「神さま、わかりました。ここで死ぬにしても、それが御心なら、私にはその事が幸せです」と思えた。その後も状況は変わらなかったのですが、心が変わり、思い煩いから解放され、人の助けによらずキリストに留り、無限の祝福を体験したという事です。


                                                                【2020年10月11日】
                                                                  聖  書
                                                                ヨハネの第一の手紙2章12~17節
                                                                  題
                                                                「ただ神のみ旨に生きる」
                                                                  聖  句
                                                                世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。(17)

                                                                ① 神の期待は「成長すること」
                                                                   「子たちよ」「若者たちよ」「父たちよ」との呼びかけは、信徒の霊的成長の段階を示しています。私たちは神の助けによって少しでも成長し、その姿から人々に、この世とは違う何かを感じていただけるなら幸いです。「子たち」とは、十字架の贖いを幼な子のように信じ受け取る事を経験した人です。「若者たち」とは、サタンの誘惑に負けないばかりでなく、救霊のために用いられる人です。そして、「父たち」とは、イエス・キリストのすばらしさを知って、生涯をささげた人の事なのです。神は私たちに対して、このような成長を願っておられるのです。
                                                                ② 成長のゴール
                                                                   では、私たちの成長のゴールはどこでしょうか。それは、「世から聖別されて神の御旨を行う者となること」(17節)です。「世」とは神を認めない人間社会の精神の事です。この「世」に深入りすると、神から引き離す力が働きます。「肉の欲」とは、自分のしたい事だけするというわがままな生き方です。しかし、本当に価値ある働きは「自分を捨て自分の十字架を負う」所から始まります。「神の御旨に 任せる」生き方こそ、一番平安で祝福に満ちているのです。


                                                                  【2020年10月4日】
                                                                    聖  書
                                                                  ヨハネの第一の手紙2章1~11節
                                                                    題
                                                                  「どこまでも生かすために」
                                                                    聖  句
                                                                  もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる。

                                                                  ① 私たちのための助け主
                                                                     人間は弱さゆえに失敗や罪を犯すことがあります。しかしその時、クリスチャンには聖霊による助けや慰めがあり、キリストの十字架による赦しが用意されています。「あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共におる。」(イザヤ43:2)とある通りです。聖書に「全世界の罪のため」(2)とありますように、あの人、この人、どんな人の罪のためにも十字架に掛かって赦しを与えられた事がわかると、「私が人を責め続けていいのか」と気づかされ、「憎しみと怒り」を何年も持ち続けることはできなくなるはずです。
                                                                  ② 闇からの解放
                                                                     「闇の中におる」(11)とは、憎しみや怒りに支配されていることです。闇の支配の特徴は、闇の中を歩いているので、「どこへ行くのかわからず」「目が見えない」そして「つまづく」のです。それは自分が傷つき苦しむだけなのです。「憎しみ」は自分の心を冷たくし、人を拒絶し、無視する心のガンです。この闇から解放されるには、光の中に入り、そこに留まる以外にありません。「イエスを知り」「イエスの戒めを守り」「イエスのそばにおる」とき、その人は、彼が歩かれたように歩き、造り変えられるのです。


                                                                    【2020年9月27日】
                                                                      聖  書
                                                                    ヨハネの第一の手紙1章1~10節
                                                                      題
                                                                    「真実な神との交わり」
                                                                      聖  句
                                                                    神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。(7)

                                                                    ① 喜びが満ちあふれる
                                                                       「光の中にいます」とは、互に見つめ合う関係にあるという事です。神さまの前にやましいことがあると、そのような関係にはなれません。お互いに目をつぶったり背を向けたりしないで、愛し合い理解しようと努力できる関係です。「歩く」とは生活を意味します。そのような生活は、喜びも悲しみも共有し、喜びがただ一人のもので終らないでまわりに広がって行きます。
                                                                    ② 光の中を歩む
                                                                       神は無条件の愛で私たちを罪の闇の中から光の中へ移してくださいました。そのために、御子イエスが私たちの罪の身代わりとなって十字架に掛けられなければなりませんでした。「父よ、彼らをお赦しください。」との十字架の祈りは、「あなたこそが赦されなければならない罪人である事に気づいてほしい」との祈りです。強盗の一人はその事に気づき、パラダイスでの生活を約束されました。自分の本当の姿から目をそらせていると救いはありません。もし自分の罪を告白するなら、罪が赦され新しく生れ、神と共なる人生が開けるのです。悔いし砕けた魂で救い主を見上げましょう。


                                                                      【2020年9月20日】
                                                                        聖  書
                                                                      イザヤ書30章15~26節
                                                                        題
                                                                      「待っていて 助ける神」
                                                                        聖  句
                                                                      それゆえ、主は待っていて、あなたがたに恵みを施される。それゆえ、主は立ち上がって、あなたがたをあわれまれる。(18) (18)

                                                                      ① 主に立ち帰るならば
                                                                         かつて、イスラエルの民は神を信頼しないでエジプトの豊かさや軍事力に頼ろうとした事がありましたが、その間違いに気づいて神に立ち帰るという出来事がありました。神は、あの放蕩息子のように、自分の間違いに気づいて神に立ち帰る人を大いに祝福してくださいます。あなたがひとり部屋に入って神と一対一になって祈り、悩みを打ち明け、罪を告白するなら、神はその人を導き、解決に向かわせてくださいます。
                                                                      ② 主を待ち望むならば
                                                                         その時に神の下さる恵みとは、(1)後ろから声をかけて正しい道に導いてくださいます。その道は自分の思い通りの道ではないかもしれませんが、神の最善の道なのです。(2)偶像から解放され、神のみに信頼して従えるようになります。(3)生活面での祝福が加えられ、暗い心が明るくなり、心の傷が癒やされます。人生の嵐は誰にでもあるものです。信仰がぐらつくこともあります。しかし、主に立ち帰り、主を待ち望みましょう。主はそのようなあなたを待っていて、立ち上がって迎えてくださるのです。


                                                                        【2020年9月13日】
                                                                          聖  書
                                                                        テモテへの第二の手紙2章1~13節
                                                                          題
                                                                        「恵みによって強くなりなさい」
                                                                          聖  句
                                                                        そこで、わたしの子よ。あなたはキリスト・イエスにある恵みによって、強くなりなさい。(1) (18)

                                                                        ① 主にゆだねなさい
                                                                           私たちの前に困難な出来事が起こった時、神さまはどのようにして私たちを強くし、それを乗り越えさせてくださるのでしょうか。苦労を自分一人で背負い込むと、ついには疲れ、倒れてしまいます。しかし廻りをよく見ると、神さまが備えられた忠実な人々がいます。私たちに委ねらた福音も自分の力で何とかしようとがんばるのではなく、主におゆだねすることです。これは恵みです。「あなたの荷を主にゆだねよ、主はあなたを支えられる。」(詩55:22) お委ねした上で自分の最善を尽くしましょう。きっと良い実を結ぶことができるでしょう。。
                                                                        ② 主の恵みを感謝して受け取る
                                                                           主は私たちを「キリストの良い兵卒」と見て、日常生活に必要な物はすべて備えて下さいます。主の働きのルールは、自分を喜ばせるのではなく、自分を召してくださった神をお喜ばせすることです。自分の栄光のためではなく、神の栄光のために生きるのです。十字架に掛かり、死人の中から甦えられた主イエスを、「私のため」と信じて受け取りましょう。いくら差し出されても、受け取らなかった自分の物とはなりません。


                                                                          【2020年9月6日】
                                                                            聖  書
                                                                          ヨブ記1章12~22節
                                                                            題
                                                                          「主のみ名はほむべきかな」
                                                                            聖  句
                                                                          わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな。(21) (18)

                                                                          ① 人生の嵐の中で
                                                                             誰の人生にも厳しい試練や災難は降りかかって来るものです。そんな時、ヨブのように、「主のみ名はほむべきかな」と賛美できたら幸いです。それは、悲しんではいけないという事では決してありません。ヨブも人間ですから悲しみました。しかし彼は、悲しみの中でぐっと踏みこたえて、賛美することを選び取り実行したのです。文句や不平からは何の良きものも生れません。「主は与え」という言葉の中には、自分の財産も子どもたちもすべて神さまから与えられたものですと、自分の力ではないという思いがこもっています。また、「主が取られた」の中には、「主がお入り用なのです」や「実を豊かに実らせるために神が剪定なさっているのだ」という主の僕としてのへりくだりの姿勢が表われています。
                                                                          ② 苦しみの背後にある主のご計画
                                                                             ヨブの苦しみの背後には、ヨブには知らされていない神とサタンとの論争がありました。私たちの人生の舞台裏もわからない事だらけですが、私たちに対する神のご計画は、「万事を益とする」(ローマ8:28)であり、「あなたの苦労が無駄になることはない」(Ⅰコリント15:58) と宣言されていいる通りです。私たちも、どんな時にも「主のみ名はほむべきかな」と神を信頼し賛美しましょう。


                                                                            【2020年8月30日】
                                                                              聖  書
                                                                            ルカによる福音書15章20~32節
                                                                              題
                                                                            「神の子となる祝福」
                                                                              聖  句
                                                                            すると父は言った、「子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。(31) (18)

                                                                            ① 父なる神の愛
                                                                               神の子となる祝福の第一は、生涯、神の愛が注がれることです。「まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り・・」息子の方からではなく父の方から走り寄り、息子を抱きしめました。これは、ひとり子イエス・キリストを十字架につけて罪人を迎えられた神の姿です。神は今も私たちを愛し、忍耐して待ち続けておられるのです。待つことは愛・信頼・希望です。
                                                                            ② 神との祈りの交わり
                                                                               神の子となる祝福の第二は、生涯、神との祈りの交わりがあることです。兄息子は父の側で仕えていましたが、それは「しかたなく」「罰せられるのが恐ろしいから」という奴隷の仕え方であって、「喜んで仕える」というのではありませんでした。すばらしい主人と一緒に長い間働けることは祝福です。喜びの時も恐れの時も、祈りによって何でも神に申し上げるなら、必要な助けは必ず与えられます。パウロはしばしば死の陰の谷を通りましたが、その都度神の助けを体験し、「主はわたしをすべての悪のわざから助け出し、天にあるみ国に救い入れてくださるであろう。」と確信したのでした。


                                                                              【2020年8月23日】
                                                                                聖  書
                                                                              マタイによる福音書7章13~29節
                                                                                題
                                                                              「狭い門からはいれ」
                                                                                聖  句
                                                                              狭い門からはいれ、滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。(13) (18)

                                                                              ① 狭い門とは
                                                                                 「狭い門」と聞くと、多くの人は「容易な道より辛く厳しい道を選んで努力する者が、本当の人生を生きる事になる。」などと考えますが、聖書が言う「狭い門」は、「わたしは門である」(ヨハネ10:9) と言われるイエス・キリストを指しています。つまり、イエス・キリストの十字架を私の罪のためと信じ、個人的に信頼する救いの道のことを指しているのです。この道は選び取る価値のある道です。なぜなら、ゴールがはっきりしていて決して滅びることのない、命に至る道だからです。
                                                                              ② 命に至る道
                                                                                 人生に苦難が襲って来たときでも、どうしてこんな事が起こるのか今はわからないが、何か神のご計画があるにちがいないと、善にして善を行われる神を信じるなら、その時を耐え忍ぶことができます。そして最後の審判=人生の総決算(ヘブル9:29) の時にも、キリストの十字架による罪の赦しのゆえに、恐れることなく神の御前に立つことができるのです。狭い門を通った人のゴールにこのような祝福が用意されているとは、何とすばらしいことでしょうか。


                                                                                【2020年8月16日】
                                                                                  聖  書
                                                                                詩篇46篇1~11節
                                                                                  題
                                                                                「われらは恐れない」
                                                                                  聖  句
                                                                                このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。(2) (18)

                                                                                ① 神を避け所とする
                                                                                   世の中が大きく変わり、これからの世界はどうなって行くのだろうかと思えるような時でも、「神さまがおられるから大丈夫、恐れません。」と告白できるのがクリスチャンの特権です。「神さまを信じたら悪い事は起こらない。また、悩みや苦しみもない。」という事はありません。人は誰でも悩み苦しみ、苦労もたくさんあります。しかし、それらを乗り越えさせてくださる神さまが、いつも私たちと一緒にいてくださるのです。何か事が起こった時には、神さまの側に身を避け、祈り相談します。神さまからの慰め・励まし・助けを体験する人は幸いです。
                                                                                ② 祈りをもって神に近づく
                                                                                   ヒゼキヤ王の時代、18万5千人のアッスリヤ軍に包囲された時、エルサレムには地下に隠れた水路があり、そこから水を得て人々は命を保つことができました。さらにヒゼキヤ王は衣を裂き、粗布を身にまとって主の宮で祈りました。すると、ぎりぎりの所で「主の使いが出て」(イザヤ37:36) 驚くべき救いがなされたのでした。大変な問題が起こると、人は恐れのために祈る事を忘れてしまいがちです。そんな時こそ、神の前に出て祈り続けましょう。


                                                                                  【2020年8月9日】
                                                                                    聖  書
                                                                                  ヨハネによる福音書3章1~16節
                                                                                    題
                                                                                  「だれでも新しく生れなければ」
                                                                                    聖  句
                                                                                  イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。誰でも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない。」 (18)

                                                                                  ① 新生の重要性
                                                                                     ニコデモは、人々から尊敬されていたユダヤ人指導者でした。主イエスは、このような立派な人でも、新しく生れなければ神の国を見ることはできないと言われました。なぜなら、人間には三つの腐敗があるからです。(A)「知性の腐敗」=自分の事がわからない。(B)「愛情の腐敗」=自分を愛してくれる人しか愛せない。(C)「意志の腐敗」=善をしたいと思うがそれができない。だから誰でも新しく生れなければ神の国をみることが出来ないと言うのです。
                                                                                  ② 神の国を見るための備え
                                                                                     人間は生れた時から罪と死の支配の中にいます。その状態から神の恵みの支配に移るために、神は二つの備えをされました。(A)神は何度でもチャンスを与えて忍耐強く待って導かれる。ニコデモはすぐには信じることがでできませんでしたが、十字架の後に目が開かれて信じることができたのです。(B)十字架の愛による赦し 主イエスは、私の罪のために十字架で身代わりとなって死んでくださいました。罪を悔い改めてそれを信じるなら罪が赦され、神の子とされるのです。主の備えられたこれらの道を通って、驚くばかりの恵みを体験しようではありませんか。


                                                                                    【2020年8月2日】
                                                                                      聖  書
                                                                                    コリント人への第二の手紙4章16節~5章10節
                                                                                      題
                                                                                    「見えないものに目を注ぐ」
                                                                                      聖  句
                                                                                    わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。(18)

                                                                                    ① 天を思う生涯
                                                                                       私たちは毎日の生活で、目に見えるものばかりを見ていると不安になります。それらは常に変化しますし、やがていつか崩れ去るものだからです。パウロは伝道の戦いの苦労の中で「苦しみもだえている」と言いましたが、また「内なる人は決して落胆しない」とも言いました。神さまを見ていたからです。状況が悪くても神さまのご計画がある、やがてそれが明らかになる。そして、最後には神さまからの大きな報いがあると信じていたからです。
                                                                                    ② 主に喜ばれる者となる
                                                                                       「ただ主に喜ばれる者となる」それが、見えないものに目を注ぐ人の生きる姿勢です。パウロは十字架のイエスの愛を知ってからは、たとえ自分が喜べない事であっても、主が喜んでくださるなら感謝すると言いました。ゲッセマネのイエスの祈り「しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください。」と同じ心に変えられたからです。私たちも主に喜ばれる者となりましょう。


                                                                                      【2020年7月26日】
                                                                                        聖  書
                                                                                      詩篇119篇101~112節
                                                                                        題
                                                                                      「聖書と人生」
                                                                                        聖  句
                                                                                      あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。

                                                                                      ① あなたのみ言葉
                                                                                         ヤコブは、父イサクを騙して長子の特権を奪い取り、その祝福を自分の物としました。その結果、兄エサウ聖書の言葉を、ただ、道徳的な格言、昔の賢者の言葉として聞くことは正しくありません。そうではなく、神が私に語られる言葉として愛と信頼を持って聞くなら、その言葉は「わが足のともしび、わが道の光」となって私の人生を安全に導いてくれます。人間の足は欲の方に向く傾向がありますから、「あなたのおきてを離れません」(102節)のように、事あるごとに聖書を読むことは大切です。そうするなら、み言葉がやがて自分の思いとなり、少しずつ主と同じ姿に変えられて行きます。しかし、聖書を読まない人の信仰生活は自己流になってしまうのです。
                                                                                      ② わが道の光
                                                                                         「ともしび」「光」は主イエスを表わしています。私たちの罪の身代わりとなって十字架で死んでくださった主イエスを信じると、私たちのために三つのとりなしがなされるようになります。それは、「御霊のとりなし」(ローマ8:26)、「父なる神の摂理のとりなし」(ローマ8:28)、「十字架の愛のとりなし」(ローマ8:34) これらによって私たちは、内・外・下から支えられ、困難な時にも主と共に乗り越えて行くことができるのです。


                                                                                        【2020年7月19日】
                                                                                          聖  書
                                                                                        創世記28章10~22節
                                                                                          題
                                                                                        「心の目が開かれた」
                                                                                          聖  句
                                                                                        ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった。」(16)

                                                                                        ① 神に祈り求めたとき
                                                                                           ヤコブは、父イサクを騙して長子の特権を奪い取り、その祝福を自分の物としました。その結果、兄エサウの怒りを買い、母の実家のあるハランへと逃げる途中、心細さのため初めて真剣に神に祈り求めました。それに対して神は夢を通して、「主がここにおられる事」をヤコブに示されました。ヤコブは自分のような者に救いの手を差し伸べる神の存在を知り、心の目が開かれ、神に背を向けていた愚かさに気づき、初めて神の前に罪を悔い改め、へりくだったのです。「人の行き詰まりは神の働かれる大きなチャンスとなる」。
                                                                                        ② 主がこの所に
                                                                                           自分は神から遠く離れ、自分には神の助けなどないと思う時にも、神は側におられます。人が神さまと個人的な出会いをした時、初めて「わたしの神」となられます。ヤコブは、その後もたくさんの苦労をしましたが、①神はいつも私と共におられる。②神は公平な審きを行われる。③神を信頼して、静かに神のなさりようを見る。この三つのことを心に留めて生活しました。


                                                                                          【2020年7月12日】
                                                                                            聖  書
                                                                                          ヘブル人への手紙13章1~14節
                                                                                            題
                                                                                          「満ち足れる約束」
                                                                                            聖  句
                                                                                          金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい。主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。

                                                                                          ① 兄弟愛に生きる
                                                                                             「旅人をもてなす」(2節)、「獄につながれている人々を思いやる」(3節) などは兄弟愛に分類されます。これらを実行に移すためには、まずその人の家庭生活がしっかりできていなければなりません。また、金銭欲からも解放されている必要があります。その上で、「あなたを決して離れず、捨てない」との神の約束を堅く信じ、共におられる神さまを信じる信仰こそ、その力となるのです。
                                                                                          ② 主とはどのようなお方か
                                                                                             人間の慰めの言葉では人の心に届かない場合がありますが、主の言葉は違います。私たちと同じ肉体をもって地上に来られた主イエスは、人の苦しみを理解し、その重荷を共有してくださる方です。また、主はあわれみ深い忠実な大祭司です。(ヘブル2:17)この大祭司は神と私たちのと間で、今もとりなしていて下さり、聖霊を注いで、みわざを行っておられます。イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも変わることがありません。(8節)あわれみ深く、私たちの祈りに応えてくださる神さまに、「主はわたしの助け主」と大胆に告白して従って行きましょう。


                                                                                            【2020年7月5日】
                                                                                              聖  書
                                                                                            ヘブル人への手紙12章1~13節
                                                                                              題
                                                                                            「耐え忍んで走る力を」
                                                                                              聖  句
                                                                                            いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競争を、耐え忍んで走りぬこうではないか。(6)

                                                                                            ① イエスを仰ぎ見つつ
                                                                                               「信仰の導き手」とは、私たちの信仰生活の全体をご計画くださり、それらが私たちの人生に祝福をもたらすようにと導いてくださる方との意です。また、「完成者であるイエス」とは、私たちの人生において、前を行き、しんがりとなって、後始末をして下さり、責任を持って完成して下さる方のことです。雪国では寒さのために、にわとりが凍死する事があるそうです。しかし、よく見ると、その下から元気なひなが出て来るそうです。めんどりが翼の下にひなを集めていたからです。(マタイ23:37) このような、至れり尽くせりのお方の背中を見つめながら従うなら、どんな苦しみでも耐えることができると勇気が湧いて来るのではないでしょうか。
                                                                                            ② 神の愛の訓練
                                                                                               苦しみは耐えるだけではなく、その中に込められた神の愛のご目的を汲み取らなければなりません。神は私たちを実子として扱い、益となるように訓練し、平安な義の実を結ばせてくださいます。どんな苦しみも神の愛の訓練の道と心得て進みましょう。そうすればやがて癒やされ、強くされるのです。強くされてから歩むのではなく、信じて歩み出すと、強くされていることに気づくのです。私たちの信仰の生涯を完成させて下さるのは、主イエス様だけです。


                                                                                              【2020年6月28日】
                                                                                                聖  書
                                                                                              ヘブル人への手紙11章1~7節
                                                                                                題
                                                                                              「神に喜ばれる信仰」
                                                                                                聖  句
                                                                                              仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。(6)

                                                                                              ① 神のいますこと
                                                                                                 神は、「わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいる。」(マタイ18:12) と語られ、ガリラヤ湖の嵐の中では「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない。」(マタイ14:27) と励まされました。人間は生れても、やがて死んで行きますが、神はいつまでも有り続けるお方です。日々の生活の中で、人間関係に悩み、困難の壁の前で失望する時、それは「神のいますこと」を見失っている時かもしれません。「民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。」(詩62:8) 神が共におられる事を忘れてはいけません。
                                                                                              ② 神を求める者に
                                                                                                 ここには、目に見えない神を信仰によって求めた人々の事が記されています。アベルは群れのういごと肥えたものを神にささげて報いを得ました。エノクは神と共に歩み、毎日の生活の中で、ののしられてもののしり返さず、正しい審きをする方に一切を委ねていました。ノアは家族を救うために、全身全霊をもって神の言葉に従い、箱舟作りに打ち込みました。神は、キリストの血によって贖った神の子たちの一心に従う姿を見、また、その叫びを必ず聞き、そこに神の最善の答えを用意してくださるのです。


                                                                                                【2020年6月21日】
                                                                                                  聖  書
                                                                                                ガラテヤ人への手紙6章1~10節
                                                                                                  題
                                                                                                「人生の種まき」
                                                                                                  聖  句
                                                                                                まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。(7.8節)

                                                                                                ① まちがってはいけない
                                                                                                   間は迷える羊で、弱くまちがいやすい者です。寂しさや空しさを酒で紛わしたり、死の問題を避けて通ったり、罪を隠して、せっかく備えられている十字架の贖いによって神に赦されるという道へ来ようともしません。「人間が作った神」によって人は救われず、「人間を造られた神」に近づくことによって、人は神の愛を知り、その救いに与るのです。神を侮ってはいけません。真剣に神の前に出て、神から示されたみことばに従って行きましょう。
                                                                                                ② 種を蒔く人
                                                                                                   人生には二種類の種の蒔き方があります。一つは「自分の肉にまく」蒔き方。肉とは自己中心で、神を外に置いて都合のよい時だけ神を利用する生き方で、そこには神に従うという姿勢はありません。その道は神の審きに耐えられず、滅びを刈り取ります。一方、「霊にまく」蒔き方、これは神との関係を大切にし、霊の糧である礼拝やみことばや祈りをおろそかにしません。聖霊はそのような人に語りかけ、気づかせ、どのように従うべきかを教えられます。私たちはそれに従うのみです。そこに豊かな祝福があるのですから。


                                                                                                  【2020年6月14日】
                                                                                                    聖  書
                                                                                                  ヨハネによる福音書20章24~31節
                                                                                                    題
                                                                                                  「信じる者になりなさい」
                                                                                                    聖  句
                                                                                                  それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」(27)

                                                                                                  ① 一緒にいなかった
                                                                                                     復活の主にお目にかかった弟子たちは喜びに溢れていましたが、トマスは「決して信じない」と不信仰に陥っていました。その理由は、「イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった」(24節) と説明されています。彼は教会の礼拝にいないで世の支配の中にいたのです。み国とは神のめぐみが支配する所です。そこから離れてしまうと、この世の自己中心的な考え方になり、神に仕えるより、お金に仕える事を優先する世界に生きてしまうのです。神が私たちに願われていることは、「信じる者になれ」(27節)という事なのです。
                                                                                                  ② 一緒にいた
                                                                                                     次の日曜日の夕方、トマスは他の弟子たちと一緒にいました。恐らく、まわりの弟子たちに励まされて一緒にいたのでしょう。そこへ復活の主がトマスのために入って来られて「安かれ」と言われ、トマスに対して「わたしの手を見なさい」と、十字架の釘痕のある手を伸ばされました。トマスは「わが主よ、わが神よ」とひれ伏しました。トマスは自我を十字架につけ、キリストを内に宿したのです。たとえ自分の思い通りにならなくても、主のみこころが成ることが最善ですと神を信頼したのです。


                                                                                                    【2020年6月7日】
                                                                                                      聖  書
                                                                                                    伝道の書7章1~14節
                                                                                                      題
                                                                                                    「逆境の日には考えよ」
                                                                                                      聖  句
                                                                                                    順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。神は人に将来どういう事があるかを、知らせないために、彼とこれとを等しく造られたのである。

                                                                                                    ① 神が創造された人生
                                                                                                       私たちの人生は偶然そこにあるのではなく、神が目的とご計画をもって創造されました。ですから、自分の思い願いが実現された人生であったかどうかよりも、その人生において神のみわざが行われたかどうかを考えましょう。自分の思い通りに行かない時、私たちの人生の主権者は神であることを思い出しましょう。神は私たちが、神のもとに帰り、神の前にへりくだり、十字架の赦しを受けて救われ、きよめられて、祝福された人生を送ってほしいと願っておられるのです。
                                                                                                    ② 主イエスが共に
                                                                                                       「順境の日」には楽しみ喜べるように思いますが、返って人は、次に悪い事が来たらどうしようと思い患ってしまいがちです。罪を悔い改めてキリストの十字架は私の罪のためと信じ、神の子とされた人は、いつも喜べるようになります。「逆境の日」の代表格は「死の陰の谷」を通過する時でしょう。しかし、キリストの救いに与った者にとっては、死の向こうに神さまが待っておられる天国があるのですから、それは希望です。パウロは、「どんな時にも、キリストが共におられたら大丈夫」(ピリピ4:13)と力強く証ししています。


                                                                                                      【2020年5月31日】
                                                                                                        聖  書
                                                                                                      使徒行伝9章18~31節
                                                                                                        題
                                                                                                      「聖霊に励まされて歩む」
                                                                                                        聖  句
                                                                                                      こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増して行った。

                                                                                                      ① 主を恐れる者へと変えられる
                                                                                                         人はもともと「自分が、自分が」と言って生きており、人の顔色を見、人の評判を気にして生きています。しかし神は、そのような人を「主を恐れる者」へと造り変えてくださいます。その人に聖霊が働かれると、神を第一とする生き方を選び、主の僕として従い、そして、神が喜ばれる生き方を求め、自我から解放され、自分の人生のハンドルを主にお任せするようになるのです。クリスチャンを迫害していたサウロも、復活のキリストに出会い、聖霊によって、キリストの福音のためにいのちをかける者へと180度 変えられたのでした。
                                                                                                      ② 聖霊に励まされて
                                                                                                         聖霊に励まされて生きる人生は幸いです。途中で失敗もあるかもしれませんが、いつもそばで「一緒にいるよ」と呼びかけ、「一人にはしないからがんばれ」と励ましながら、使命を全うできるよう見守ってくださいます。死の陰の谷を行く時にも平安を与え、神の審きに対しては弁護してくださり、十分な報いを用意した天国で待っていてくださるのです。


                                                                                                        【2020年5月24日】
                                                                                                          聖  書


                                                                                                            ① ペンテコステの由来
                                                                                                            ペンテコステは、クリスマス、イースターと共にキリスト教会の三 大祝日のひとつです。ペンテコステとはギリシャ語で「五十」を表わし、イエス・キリストの復活から数えて50日目ということです。  その日は120人ほどの信徒たちがエルサレムの二階座敷に集まって祈っていました。すると突然、激しい風のような大きな音が響いてきて、炎のような分かれた舌が、ひとりびとりの上にとどまり、みんなが聖霊に満たされて、力強くキリストを証し始めたのです。  しかもその日、ペテロの説教を聞いて、罪を悔い改め、洗礼を受けた人が三千人も起こり、地上に初めて教会ができたのです。ですから、この日は教会の誕生日としても記念されているのです。  どうしてこのような事が起こったのでしょうか。それは、 ① 祈り     弟子たちは聖霊に満たされるまで都にとどまり祈 って待っていました。彼らはその間に真理のみたまによって深く心 を探られ、罪を示されました。 ② 罪の告白   示されるままに、ペテロは主イエスを裏切った罪 を告白し、ヨハネとヤコブは高慢や嫉みの罪を告白し、トマスは不 信仰の罪を告白したことでしょう。神の前に真剣に悔い改めて、自 我に死に、わがままを捨てたのです。 ③ 十字架の贖いを信じる    都とはイエス・キリストが十字架 につけられた所です。今日でも、互いに罪を告白し、十字架を仰 ぎ、祈って待っているなら、聖霊に満たされ、力を受けるのです。


                                                                                                              【2020年5月17日】
                                                                                                                聖  書


                                                                                                                  ① 目をあげて天上のキリストを見よ
                                                                                                                  私たちの救いを完成してくださった主イエスは、今は天上におられ、私たちがキリストの良い証し人となるよう、暖かく見守り、訓練し、日々働いておられます。このようなキリストと私との関係を日常的に自覚することは大切です。世の中の人は神さまの事がわかりません。しかし、クリスチャンの生活を通して見せて行くのです。いつも生きてとりなし、救うことができるお方を証しするのがクリスチャンの使命です。
                                                                                                                  ② 天上のキリストの三つの働き
                                                                                                                     A. 私たちの弁護者として天におられます。 弁護者とは「パラクレートス」=慰める者、いと近き助けとい う意味です。日々の生活の中で失敗があっても、神は十字架の 血によって私たちを赦し、回復するよう働いてくださっている のです。  B. 私たちが宣教する時、共に働かれます。 私たちがみことばを伝える時、主もまた共に働いてみわざを行 われます。神さまはみことばの約束を通して働かれます。健全 な信仰生活はみことばの約束に従って前進するのです。大きな 問題をかかえた時、聖書を持って祈りに行きましょう。神が生 きて働いておられることがわかります。  C. 約束の聖霊を注いでおられます。 私たちが救いを求めて教会に近づき、聖書に目が開かれ、主イ エスを信じて心が造り変えられるのは、天上で主イエスが約束 の聖霊を注いでいてくださるから起ることで、これは神のみわ ざです。「わたしのような者はだめだ」というような人は一人も いません。すべてのクリスチャンには聖霊によって可能性が与 えられているのです。


                                                                                                                    【2020年5月10日】
                                                                                                                      聖  書


                                                                                                                        ① 信仰の錨をキリストに
                                                                                                                        永く信仰を持っている人でも、迫害や苦しみのために信仰が後ろ向きになったり、知らず知らずの内に世間の声に押し流され、罪が入り込み、みことばや祈りが無くなってしまうことがあります。「まず神の国と神の義とを求めなさい。」(マタイ6:33)や「主のおきてを喜び、昼も夜もそのおきてを思う。」(詩1:2)などのみことばを「強く心に留め」(1節)、信仰の錨をしっかりとキリストに降ろして生活しようではありませんか。
                                                                                                                        ② 兄弟と呼ぶことによって
                                                                                                                            友人とは別れたければ別れることもできますが、兄弟は別れる事はできません。主イエスは罪に満ちた私たちを「兄弟」と呼んで下さり、私たちのために救いのみわざを行ってくださいました。主はどこまでも私たちから離れることなく、試練の中でも共に歩んでくださり、慰め励まし、必要な知恵と助けとをくださるのです。
                                                                                                                        ③ 死の恐れから解放するキリスト
                                                                                                                            人の一生には死の恐怖が付きまとい、人々はその奴隷となっています。「私たちの心臓の鼓動は死への行進曲だ」と言う人もあり、誰もが死を恐れています。なぜそんなに恐れるのでしょうか。それは死の向こうに何があるのかがわからないからです。また、失う事を恐れていますし、良心の呵責もあるからです。しかし、キリストは人となって世に来られ、罪と死とサタンとの戦いに決定的な勝利を収められました。まず、キリストは死から甦り、天国を約束して下さいました。そして、人間が築き上げた物は失われても、いつまでも残る人生を保証してくださいました。さらに、神に対する後ろめたさや審きの予感は、罪のないイエス・キリストが私たちの罪のために身代わりとなって神の審きを受けてくださり、それらを解決してくださったので、私たちは全く平安であって、何ら死を恐れる必要がなくなったのです。


                                                                                                                          【2020年4月25日】
                                                                                                                            聖  書


                                                                                                                              ① 主のしもべによってみわざは広がる
                                                                                                                              「わたしの支持するわがしもべ」(1節)のように、聖書は神と神の民との関係を「主人としもべ」と表現します。そのしもべは、奴隷のように主人を恐れて仕えるのではなく、主人もまたムチで命令するのではありません。お互いに愛と信頼をもって仕え合う関係です。  主イエスが神のしもべに徹した時、人類の救いの道が開かれました。私たちも主のしもべになって従う時、主の救いのみわざが私たちの内に行われ、そこから神のみわざが広げられて行くのです。  また、「真実をもって道を示す」(3節)のように、罪と問題と多くの苦難の中で悩み、迷路のような人生を歩いている人に、神は「ここへ行くのだ」と救いの道を示されます。
                                                                                                                              ② 助けと回復によって道を示す
                                                                                                                                 「傷ついた葦」は風が吹くとすぐに折れてしまい、「ほの暗い灯心」は今にも消えそうな弱い炎であって、どちらも弱い人間を表しています。パスカルは「人間は考える葦である」と言いましたが、その弱い人間に手を伸べ立ち上がらせて下さるのが神さまです。  イエスを裏切ったイスカリオテのユダでさえも、「最後まで愛し通され」(ヨハネ13:1)、「イエスを見捨てて逃げ出した」(50節) 弟子たちに、もう一度新たな出発を与えようとし、戸を閉ざして隠れている弟子たちの中に入って「安かれ」と平安を与えられました。  その弟子たちが新しい出発をするためには、自分の弱さや失敗を包み隠さず神の前に言い表す必要がありました。「その罪を隠す者は栄えることがない、言い表わしてこれを離れる者は、あわれみをうける。」(箴言28:13) そして、十字架にかかり甦られた主を信じる時、私たちの内に新しい命が与えられ、どんな試練も神さまと共に乗り越える力が与えられるのです。 ♪安かれ わが心よ 主イエスは共にいます 痛みも 苦しみをも 雄々しく忍び耐えよ 主イエスの共にませば 耐え得ぬ 悩みはなし♪


                                                                                                                                【2020年4月17日】
                                                                                                                                  聖  書


                                                                                                                                    ① 約束を守られる真実な神(1~13節)
                                                                                                                                    バビロンに捕囚となっていたイスラエルの民は、いつ、誰が、どのようにして、われわれを解放してくれるのだろうかと待望していました。70年の後、ペルシャからクロス王が攻めて来てバビロンは滅ぼされ、とうとうイスラエルの民は解放されることとなったのです。「だれが東から人を起こしたか」(2節) 「わたしがそれだ」(4節) そうです、神様がこれらのわざを行ってくださったのです。神は「捨てない」と約束され、怒る者、争う者がどれほど多くいても「わたしはあなたを助ける」(13節)と語られます。10節を何度も音読してください。胸にこみ上げるものがあるでしょう。「あなたと共にいる」「あなたの神だ」「あなたを強くする」「あなたを助ける」「あなたを支える」。イスラエルの民のように、神に背を向け不信仰に陥った者であっても、神は決して見捨てず真実を尽くされるのです。
                                                                                                                                    ② 神の助け
                                                                                                                                       神さまの助け方には二つの方法があります。一つ目は変貌させて強くする助け方です。「虫に等しいヤコブよ」(14節)のように、一文の値打ちもなく、踏みつけられたら死んでしまうような者を、造り変えて有用な器としてくださいます。ヤコブは「押しのける者」でした。人を騙してでも自分だけは得をしたいと考える人間でした。しかし、多くの試練の後、神と組み打ちするうちに自我が砕かれ、人々を祝福する人へと造り変えられたのです。 二つ目は、分け隔てなく誰にでも太陽をのぼらせ、雨を降らせてくださる助け方です。(マタイ5:45) 水を求める貧しい者、乏しい者には「はだかの山に川を開き、谷の中に泉をいだし・・」(18節)て、惜しみなく与えるお方です。 神の民はいつの時代にも、様々な偶像に取り囲まれ、誘惑にさらされ、真の神を見失いやすい者です。しかし、間違いを犯しても、そんな私たちを赦し、きよめ、造り変え、助けてくださる神さまを仰ぎつつ走ろうではありませんか。


                                                                                                                                      【2020年4月12日】
                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                          この4週間の礼拝は、教会に集まらないで家庭で礼拝する事にしました。三木栄光教会としてとても残念ですが、信仰に堅く立ってこの困難を乗り越えたいと思います。

                                                                                                                                          ① 新たなる力を求めて
                                                                                                                                             自らの罪のために「バビロン捕囚」というさばきを受けたエルサレムの人たちに対して、「もうすぐバビロンから導き出す」、「荒野に主の道を備える」、「羊飼いのようにやさしく抱き導く」と、神は民を慰められました。なぜ、そのような事ができるのか。それは、神は人の手で作られた偶像などではなく、天地を造られ、人々を愛し、いつも見守られる父なる神様だからなのです。この神に向かって、もっと信仰を大きく広げるなら、神は惜しみなく祝福をお与えになるのです。
                                                                                                                                          ② 主を待ち望む者
                                                                                                                                             「人間は弱い者です。苦難に遭うとすぐに不信仰になりやすく、「わが訴えはわが神に顧みられない」などと言ってしまいやすい者です。しかし、そうではなく、目の前の出来事だけに目を奪われて、測り知れない神の知恵とみわざとを見失ってはなりません。「万事を益となさり」(ローマ8:28)「逃れる道を備えて」(Ⅰコリント10:13)おられる神を見上げ、待ち望むなら、神は思いがけないみわざを行ってくださいます。そして、それが「後でわかるようになる」(ヨハネ13:7)のです。
                                                                                                                                           試練のただ中、失望のどん底にいる者も、この主の約束を自分に当てはめるなら、希望を持って困難の中を歩き続けることができるのです。毎日同じ事の繰り返しのように見えても、雨の日も晴れの日も農夫のように、たゆまず種を蒔き耕し続けるなら、やがて刈入れの日を迎えるのです。
                                                                                                                                           待ち望む時に大切なことは、自分の内にある、神に喜ばれないものを捨て、神と富とに兼ね仕える二股をかけるような心のあり方を捨て、神のみ心を第一とする事です。


                                                                                                                                            【2020年4月5日】
                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                            ヨハネによる福音書12章20~33節
                                                                                                                                              題
                                                                                                                                            「一粒の麦が地に落ちて」
                                                                                                                                              聖  句
                                                                                                                                            「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒の ままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶ ようになる。」(24節)

                                                                                                                                            ① イエス・キリストの十字架の死
                                                                                                                                               罪の告白をし、キリストの十字架は私の罪のためと信じるなら、神さまの豊かな祝福が与えられます。その祝福とは、○ア贖い=罪の奴隷から神の恵みの支配へと移される。○イ罪の赦し=良心の呵責からの解放。○ウ神との和解=神との敵対関係から神が味方となって私たちの人生を導かれる。○エキリストとの合体=古い自我がキリストと共に十字架につけられ、生きて働かれる神さまと共に人生を歩み、困難があっても乗り越える力が与えられる。
                                                                                                                                            ② 自分の十字架を負うて
                                                                                                                                               「自分の命を憎む者」(25節)とは、自己中心の思いが砕かれ、へりくだって神のみこころを第一にする事、つまり、「自分に死ぬ」ことです。イエスの十字架は私たちには負えませんが、自分の十字架(主から与えられた仕事)を負うて従う時、その人を「父は重んじて下さる」(26節)のです。自分には力がないと思っても、「無きに等しい者をあえて選ばれた。」(Ⅰコリント1:28) と語り、神が責任を持つから、心配せずに従って来なさいと命じられているのです。


                                                                                                                                              【2020年3月29日】
                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                              ヨシュア記6章1~14節
                                                                                                                                                題
                                                                                                                                              「聖書の約束を信じて」
                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                              「見よ、わたしはエリコと、その王および大勇士を、あなたの手にわたしている」(2節)

                                                                                                                                              ① みことばの約束にとどまる
                                                                                                                                                 難攻不落のエリコの城壁を、「あなたの手に渡している」(2節)と、神さまは勝利の約束をお与えになりました。ここでは、ヨシュアがその約束を信じ続け、どんな事があっても約束にとどまり続ける事が求められています。ヨシュアとイスラエルの民は戦いの準備として、○ア命がけで割礼を受け、○イ過越の祭を守り、○ウ足からくつを脱ぎ、軍勢の将の前に僕としてへりくだり、祈りによって神に近づきました。苦難の時、私たちは聖書だけを持って祈りましょう。神さまは必ず逃れる道を開いてくださいます。
                                                                                                                                              ② みことばの約束に従う
                                                                                                                                                 「しなければならない」との命令に民はその通りに従い、また、「呼ばわってはならない」の命令にも忍耐してじっと待ち望んでいました。六日間、無駄に見える命令にも忠実に従い、七日目の命令で一斉に呼ばわりました。そして、「信仰によってエリコの城壁は崩れた」(ヘブル11:30) のです。神は私たちに「十字架の救いをあなたがたの手に渡している。」と語っておられます。あとはまごころから罪を悔い改めて「十字架はわたしのため」と信じるだけでいいのです。勇気を出して従い、大きな祝福をいただきましょう。


                                                                                                                                                【2020年3月22日】
                                                                                                                                                  聖  書
                                                                                                                                                コリント人への第一の手紙1章18~31節
                                                                                                                                                  題
                                                                                                                                                「十字架の愛によって」
                                                                                                                                                  聖  句
                                                                                                                                                「十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である」(18節)

                                                                                                                                                ① 無きに等しい者に
                                                                                                                                                   「十字架の言」とは、キリストの十字架のみわざのすべての内容を含んでいます。この事を伝えることは難しく、もっとうまく語り、もっとうまく生活で証しできたらと、もどかしく感じる事が多いと思います。しかし、主は「いいえ、それでいいのだ。」「無きに等しい者をあえて選んだのだ。」と語られます。神は、人々を魅了する方法を用いず、愚かと思える方法で救いの手を差し伸べ、また、欠けある器を用いて信じる者を救おうとされます。「わたしは必ずあなたと共にいる。これがわたしのあなたをつかわしたしるしである。」(出3:12) と語られます。主の選びを信じましょう。
                                                                                                                                                ② 神の力
                                                                                                                                                   十字架の言は、人間の能力によってではなく、神の力によって伝えられます。その力は、○ア人間の罪を赦し、品性をきよめます。罪はその人の品性を蝕み、家庭を破壊し、その人の人生を狂わせ、最後は永遠の滅びに至ります。○イあなたの人生を変えます。それは、キリストがあなたの重荷を共に負うて下さるからです。○ウその魂は死ぬことがなく、キリストが先に甦られたのと同様に、後に続く者に栄光の身体を与え、天国へと迎え入れて下さるのです。


                                                                                                                                                  【2020年3月15日】
                                                                                                                                                    聖  書
                                                                                                                                                  ヨシュア記5章8~15節
                                                                                                                                                    題
                                                                                                                                                  「まことの神への信頼を」
                                                                                                                                                    聖  句
                                                                                                                                                  「あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたが立っている所は聖なる所である。」(15節)

                                                                                                                                                  ① 割礼を行う
                                                                                                                                                     旧約のイスラエルの民は、神と契約を結び神に属する者となり、自分勝手な思いを捨て、神に信頼して神の所有となるために、割礼という儀式を行いました。これは、今日の洗礼に当たります。キリストが十字架にかかり、わたしたちの罪のために傷ついてくださった。それを「わたしのため」と信じ、神に結びつくのです。
                                                                                                                                                  ② 過越の祭を行う
                                                                                                                                                     過越の祭には、子羊一頭をほふり、その血を家の入口の二つの柱とかもいに塗り、その肉を火に焼いて家族で食べ、夜の内に食べ尽くし、残った物は火で焼きつくします。これは、キリストのなされたすべてのみわざを信じ、神の子とされ、父なる神から愛され、神に喜ばれる生活をして天国を目指すことを意味しています。 ③ 足のくつを脱ぐ
                                                                                                                                                     ヨシュアの前に現れたのは、抜き身の剣を持った、神から遣わされた軍勢の将でした。それは、ヨシュアのためにいつでも戦う用意のある軍団でした。あなたの立っている所は聖なる所つまり、神がおられる(臨在)所です。足からくつをぬぎなさい。つまり、神を信じ従って来なさいということです。私たちもヨシュアのように神を信じ、神に従って行きましょう。


                                                                                                                                                    【2020年3月8日】
                                                                                                                                                      聖  書
                                                                                                                                                    コリント人への第一の手紙1章1~10節
                                                                                                                                                      題
                                                                                                                                                    「神は真実な方である」
                                                                                                                                                      聖  句
                                                                                                                                                    「神は真実な方である。あなたがたは神によって召され、御子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに、はいらせていただいたのである。」(9節)

                                                                                                                                                    ① 真実な神のまなざし
                                                                                                                                                       神の栄光ではなく自分の栄光を求めて分争していたコリント教会の人たちへ、パウロは「兄弟たちよ、あなたがたに勧める」(10節)と、キリストと同じような目線でやさしく語りかけています。このように分かれ争う人々の背後にもおられる神のご計画を信じ、神は彼らの上に最善を行われ、最後まで堅く支え、やがて完成へと導いてくださる真実なお方であるとパウロは信じていたのです。
                                                                                                                                                    ② 神の真実への信頼
                                                                                                                                                       「主イエス・キリストの交わり」(9節)とは何でしょう。それは、イエスがわたしの罪と汚れをご自分のものとして担われ、十字架によってあがないを成し遂げ、イエスのきよさと永遠のいのちを私たちのものとして下さるという、喜ばしき交換です。それを信じて受け取りましょう。信仰とは、○ア「自分の意思による信仰」:十字架の贖いを私のためと信じる。○イ「神の賜物としての信仰」:神が信じるように導いてくださる。○ウ「共同体としての信仰」:教会でのお互いのとりなしの祈りによって信仰が与えられる。


                                                                                                                                                      【2020年3月1日】
                                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                                      ヨシュア記4章1~11節
                                                                                                                                                        題
                                                                                                                                                      「神のみわざを告げ知らせる」
                                                                                                                                                        聖  句
                                                                                                                                                      「すなわちその箱がヨルダンを渡った時、ヨルダンの水が、せきとめられたことを告げなければならない。こうして、それらの石は永久にイスラエルの人々の記念となるであろう。」(7節)

                                                                                                                                                      ① 記念の石
                                                                                                                                                         ヨルダン川での大きな出来事とその恵みを次の世代に証しするために、ヨルダンの川底から記念の石を取り、宿営地に運びました。神のみわざを自分だけの体験で終らせず、他へ告げ知らせる事は大切です。丁度、多くの水が流入し、多くを流出させるガリラヤ湖にたくさんの魚が住み、流入だけしてどこへも流出しない死海(海抜-430M)には生き物がいないのと同じです。「受けるより与える方が幸い」(使20:35)です。荒野の40年の自己中心的な生活をヨルダンの川底に捨て、神に信頼して約束の地へと向かったのです。
                                                                                                                                                      ② 神のみわざを証しする
                                                                                                                                                         神のみわざを体験した者は、その喜びと感謝を信仰生活の後ろ姿で伝えます。すると、子どもたちは、「どうしてそんな生活ができるのですか。」と問うて来る。その時、「神が最後には良い事に変えてくださるから、良い時も悪い時も喜び祈り感謝するのです。」と言葉で伝えるのです。


                                                                                                                                                        【2020年2月23日】
                                                                                                                                                          聖  書
                                                                                                                                                        コリント人への第二の手紙1章1~11節
                                                                                                                                                          題
                                                                                                                                                        「慰めに満ちたる神」
                                                                                                                                                          聖  句
                                                                                                                                                        「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。」(3節)

                                                                                                                                                        ① イエス・キリストの慰め
                                                                                                                                                           幼な子から老人に至るまで、人は生きている時も死ぬ時にも慰めが必要です。しかもその慰めは、単に気持ちが楽になったという程度のものではなく、その人に救いをもたらすものでなければなりません。本当の慰めはキリストの内にあります。自分の罪に気づき、それを神さまの前に告白し、キリストの十字架を私の罪のためと信じた時、キリストは罪を赦し、いつも私のそばにいて慰め励まし、教え導き、祈りを助け、人生の最後まで伴ってくださるのです。
                                                                                                                                                        ② 神への信頼による慰め
                                                                                                                                                           人は順調に物事が運んでいると神に感謝し、信頼します。しかし、「いかなる時にも神に信頼せよ。」(詩62:8)とあるように、悪い時でも神を信頼しようではありませんか。人にはわからない神のご計画がある。万事を益となさる神、後になればわかる。そのようにして神の前にへりくだり、すべてをお委ねして、悔い改めながら神に従いましょう。不思議と道が開かれるものです。


                                                                                                                                                          【2020年2月16日】
                                                                                                                                                            聖  書
                                                                                                                                                          ヨシュア記3章5~17節
                                                                                                                                                            題
                                                                                                                                                          「困難を乗り越える道」
                                                                                                                                                            聖  句
                                                                                                                                                          「きょうからわたしはすべてのイスラエルの前にあなたを 尊い者とするであろう。こうしてわたしがモーセと共にいたように、あなたと共におることを彼らに知らせるであろう」(7節)

                                                                                                                                                          ① 主の臨在の確信
                                                                                                                                                             イスラエルの人々が約束の地へ入るためにはヨルダン川を渡らなければなりません。この時期のヨルダン川はヘルモン山からの雪解け水が流れ込んで水量は多く、渡るのは命がけでした。神の民にとって、川を渡るためには「神が共におられる」との確信が必要でした。まず、契約の箱をかいた祭司たちが民に先立ってヨルダン川に入りました。すると、その足が水際に浸ると同時に川の水は上流で留まり、その状態で祭司たちは川の中に留まり、主の御手にすべてをお委ねしました。信仰が試されたのです。
                                                                                                                                                          ② 身をきよめなさい
                                                                                                                                                             身をきよめるとは修業や訓練ではなく「聖別」です。それは神に従い、繋がることです。「もし、わたしたちが自分の罪を告白するなら・・その罪を赦し、すべての不義からきよめてくださる。」(Ⅰヨハネ1:9) 自分の本当の姿に気づいて神に告白し、心砕かれて謙遜になる時、神は大変喜ばれます。さらに、十字架のイエス・キリストは私の罪の身代わりであると信じ受け入れた時、聖霊が内に働き、罪をきよめ、神の子とし、平安と祝福をくださるのです。


                                                                                                                                                            【2020年2月9日】
                                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                                            コリント人への第二の手紙3章3~18節
                                                                                                                                                              題
                                                                                                                                                            「キリストの愛を伝える手紙」
                                                                                                                                                              聖  句
                                                                                                                                                            「あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものである・・」(3節)

                                                                                                                                                            ① わたしたちはキリストの手紙
                                                                                                                                                               パウロの伝道によってコリントの町の多くの人が回心しました。その人たちの心の板には聖霊によってキリストの愛が刻まれており、彼らはキリストの手紙です。同様に、現代に生き、「キリストの十字架は私の罪のため」と信じ受け入れた人々もまた、新しい契約に仕えるキリストの手紙なのです。父の元から出て行った、あの放蕩息子も、全財産を使い果たして窮地に陥り、本心に立ち帰って天に対し父に対して心からお詫びした時、初めて父の愛の深さ、存在の大きさが心に刻まれたのです。
                                                                                                                                                            ② 主に向く時には
                                                                                                                                                               私たちがキリストの手紙として用いられるためには、神との祈りの交わりが不可欠です。ある人が、「民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。」(詩62:8) を読み、自分は良い時だけ神を信頼し、悪い時には信頼することを忘れて悩んでいたことに気づきました。そこで、「どんな時でも信じて従います。」と主の御手にすべてを委ね、「自我に死んで、キリストと共に生きる」新たな出発をしました。私たちも常に主を信頼して歩みましょう。


                                                                                                                                                              【2020年2月2日】
                                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                                              ヨシュア記2章9~21節
                                                                                                                                                                題
                                                                                                                                                              「新しい人生の出発」
                                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                                              「われわれがこの地に討ち入る時、わたしたちをつりおろした窓に、この赤い糸のひもを結びつけ、またあなたの父母、兄弟、およびあなたの父の家族をみなあなたの家に集めなさい。」(18節)

                                                                                                                                                              ① ラハブの命がけの信仰
                                                                                                                                                                 イスラエルの民のエジプト脱出から始まり、荒野での40年と、その間になされた神のみわざの噂はカナンの人々の耳にも届いており、遊女ラハブもこれらを聞いて信じていました。無駄と思える荒野の40年も実は、イスラエルの民の今後のために周到に用意された神のご計画だったのです。ラハブは自分と家族の救いをイスラエルの神に賭けたのです。信仰とは、神の真実と人間の側の命がけの信頼とがぶつかる所で生れるのです。神の恵みからは遠く離れていたラハブでしたが、救い主の家系に入れられたのです。(マタイ1:5)
                                                                                                                                                              ② あがないの信仰
                                                                                                                                                                 ラハブは、「赤い糸のひも」を窓に結びつけて家の中にいる限り安全であるとの斥候の言葉を信じ、その通りに実行しました。「赤い糸」はあがないを表しており(出12:1-13) 、「わたしはその血を見て過ぎ越す」との過越と同じ約束であり、やがて来るイエス・キリストの十字架の贖いを示しているのです。


                                                                                                                                                                【2020年1月26日】
                                                                                                                                                                  聖  書
                                                                                                                                                                ヨシュア記1章1~9節
                                                                                                                                                                  題
                                                                                                                                                                「土の器から栄光の体へ」
                                                                                                                                                                  聖  句
                                                                                                                                                                「しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。」(7節)

                                                                                                                                                                ① わたしたちは土の器
                                                                                                                                                                   私たちは素焼きの器のように粗末でもろいものです。(創2:7) しかし、そんな粗末な器であっても、中に何を入れるかによって値打ちは変わります。泥水を入れたのでは何の値打ちもありませんが、神の宝物であるキリストを入れたなら、私たちの人生は祝福され輝くようになるのです。人間は自分が主人であり自分の心を自分で支配しています。しかしキリストに出会い、キリストを主人として心にお迎えし、善にして善をなしたもう方に人生のすべてをお任せするなら、神様に喜ばれる平安な一生を送ることができるのです。
                                                                                                                                                                ② 測り知れない力
                                                                                                                                                                   罪を告白し、キリストの十字架は私の罪の身代わりであったと信じ、新しい人生を歩み出すなら、たとえ四方から困難が押し寄せたとしても、天は開けているので、どんな事でも神さまに祈って相談し、必要な知恵や助け、慰めや励ましをいただいて乗り越えて行くことができるのです。そして、やがて天国で愛する人たちと再会し、そこで神のご計画の全貌を見ることができるのです。


                                                                                                                                                                  【2020年1月19日】
                                                                                                                                                                    聖  書
                                                                                                                                                                  ヨシュア記1章1~9節
                                                                                                                                                                    題
                                                                                                                                                                  「みことばへの深い信頼」
                                                                                                                                                                    聖  句
                                                                                                                                                                  「あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう。」(3節)

                                                                                                                                                                  ① 積極的な信仰
                                                                                                                                                                     よく、「自分を信じて前に進みます。」というような言葉を耳にしますが、私たちは「神様の約束を信じて」進んで行きます。神は「足の裏で踏む所は」と、明確な約束を示して導かれますので、私たちはこれを信じて積極的に一歩前へ踏み出しましょう。モーセと共にヨシュアも荒野で40年を過ごし、山あり谷あり様々な困難の中で神のみわざを目撃しました。私たちは、「あの人は特別だから乗り越えられたのだ。」と思いやすいですが、そうではない、神は「雄々しくあれ強くあれ ・・」と励ましておられるのです。
                                                                                                                                                                  ② 勇気の源泉は
                                                                                                                                                                     一歩踏み出す勇気の源泉は、「みことばの約束」です。ジョージ・ミュラーは何千人という孤児を養いながら、「神は決して遅すぎる事はない。必ず、ぎりぎりの所で恵みを与えてくださいます。世の人は見捨てるかもしれないが、神は決してお見捨てになることはない。」と語りました。神はいつも共におられ、また万事を益としてくださるお方です。みことば(キャノン=まっすぐな定規)に従って、右にも左にも曲がらずに進みましょう。


                                                                                                                                                                    【2020年1月12日】
                                                                                                                                                                      聖  書
                                                                                                                                                                    コリント人への第二の手紙6章1~10節
                                                                                                                                                                      題
                                                                                                                                                                    「今という時を大切に」
                                                                                                                                                                      聖  句
                                                                                                                                                                    「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である」(2節)

                                                                                                                                                                    ① 今を訓練の時として
                                                                                                                                                                       「今」という時は好機と思える時ばかりでなく、逆境・失望の時をも含んでいます。たとえ、苦しい逆境の時であっても、それを神からの訓練の時であると受け取ると、それは大きな恵みの時となります。(ヘブル12:5~11)「わたしたちは神と共に働く者」(2節)です。それはちょうど書道家と筆のような関係で、どんなに粗末な筆であっても書道家の手に握られるとすばらしい字を書くことができるように、私たちが神の僕として働くとき、すばらしいみわざのために用いられるのです。
                                                                                                                                                                    ② 今を救いの日として
                                                                                                                                                                       「神の救いの招待状」は、すべての人に送られていますが、人々は「笛吹けど踊らず」(ルカ7:32)、「放蕩に身を持ちくずして財産を使い果たし」(ルカ15:13) てしまいました。しかし、肉体を宿としている間は誰にでも救いのチャンスは残されています。十字架上で強盗が悔い改めた時、主イエスは、「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう。」(ルカ23:43) と約束されました。見よ、今は救いの日なのです。


                                                                                                                                                                      【2020年1月5日】
                                                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                                                      ヨシュア記14章6~15節
                                                                                                                                                                        題
                                                                                                                                                                      「勇気に満ちた信仰の人」
                                                                                                                                                                        聖  句
                                                                                                                                                                      「それで主があの日語られたこの山地を、どうか今、わたしにください。・・・しかし、主がわたしと共におられて・・・彼らを追い払うことができるでしょう」(12節)

                                                                                                                                                                      ① 無限の神の恵み
                                                                                                                                                                         神の恵みは汲んでも汲んでも尽きる事がありません。「あなたは年が進んで老いたが、取るべき地は、なお多く残っている。」(ヨシュア13:1)の励ましのように、幾つになっても求めさえすれば神の無限の恵みは与えられるのです。教会生活が長くなると、神の恵みはこんなものと、ある程度の所で満足して腰を下ろしてしまいがちですが、「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい。」(ルカ5:4)との神さまの声に従って、求めてみようではありませんか。
                                                                                                                                                                      ② カレブの信仰
                                                                                                                                                                         神の無限の恵みを受け取るためには、どこまでも神を信じ続けるなければなりません。 カレブの信仰は勇気に満ちていました。神を信頼して従い、みことばの約束を忍耐強く信じ続けました。私の力ではなく、共におられる神様がみわざを行ってくださるのです。主は、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。」(ヨハネ8:31)のように、2020年、私たちもみことばに信頼して歩みましょう。


                                                                                                                                                                        【2020年1月1日】
                                                                                                                                                                          聖  書
                                                                                                                                                                        コリント人への第二の手紙5章14~21節
                                                                                                                                                                          題
                                                                                                                                                                        「新しい出発」
                                                                                                                                                                          聖  句
                                                                                                                                                                        「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」(17節)

                                                                                                                                                                        キリストにある新しい人生へ
                                                                                                                                                                           「だれでもキリストにあるならば」(17節)は、キリストを信頼する者とキリストに背を向ける者とを分ける分水嶺のような言葉です。キリストによらない古い人生とは、自分の損得を基準に決断して行く自己中心的な生き方で、自分勝手なキリスト像を作り、キリストを心の王座にではなく片隅に追いやり、自分の思い通りに行かないと文句を言う、情けない生き方です。しかし、「ひとりの人がすべての人のために死んだ」(14節)という事を知り、それを信じて、キリストの愛の迫りを受けた私たちは、地の塩、世の光、主の証し人としての役割を果たすために、新しく出発しようではありませんか。



                                                                                                                                                                          【2019年12月29日】
                                                                                                                                                                            聖  書
                                                                                                                                                                          ヨハネによる福音書2章1~11節
                                                                                                                                                                            題
                                                                                                                                                                          「水くむしもべは知れり」
                                                                                                                                                                            聖  句
                                                                                                                                                                          「料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで・・・。」(9節)

                                                                                                                                                                          ① 主イエスの恵み
                                                                                                                                                                             主イエスの恵みの世界は、水をぶどう酒に変え、後になるほど良い物が出て来る末広がりの恵みの世界です。それは、主イエスのみことばに従った僕だけが体験できる恵みです。ユダヤの結婚披露宴は一週間も続くため、途中でぶどう酒が切れる事もありました。その事を母マリヤがイエスに告げると、イエスは僕たちに、「かめに水をいっぱい入れること」と「それを汲んで料理がしらの所へ持って行くこと」を命じ、彼らはそれに従いました。そして、水差しに水を汲んで持って行く途中で水はぶどう酒に変わったのです。
                                                                                                                                                                          ② みことばへの服従
                                                                                                                                                                             イエスのことばに従う僕たちがいたから、この奇跡が行われ、神の栄光が現わされました。レビ記24章には、オリーブの実を砕き、時間をかけて流れ出た上質の油で聖所のともしびを絶えずともし続けなさいとあります。私たちも自我が砕かれ、純粋な信仰が与えられた時、世の光として証しをすることができるのです。


                                                                                                                                                                            【2019年12月22日】
                                                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                                                            マタイによる福音書1章18~25節
                                                                                                                                                                              題
                                                                                                                                                                            「心配しないで」
                                                                                                                                                                              聖  句
                                                                                                                                                                            「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。」(20節)

                                                                                                                                                                            ① 神のみ声を聞く
                                                                                                                                                                               クリスマスの祝福は、「心配しないで」との神のみ声を聞く事です。そして、生涯その声を聞き続けましょう。ヨセフがマリヤの事で心配していた時、主の使いが夢に現れました。(20節) 神の介入の形は人によって様々ですが、神はすべての人に、いざという時に介入されます。ヨセフはみ使いの語ったことを信じ、神のみ旨に従いました。このような人によって神の栄光は表されるのです。
                                                                                                                                                                            ② クリスマスの祝福
                                                                                                                                                                               ヨセフに与えられた祝福の約束は、生れて来る子は「もろもろの罪から救う者となる。」という内容でした。その約束の通り、主イエスは後に十字架に掛かって罪の赦しの道を開かれました。さらに、「神われらと共にいます。」という祝福も添えられました。苦労のない人生などどこにもありませんが、常に神が共におられ、すべてを知っておられ、味方になり、必要な時には助けの手を伸べられるとは、何という祝福でしょうか。


                                                                                                                                                                              【2019年12月15日】
                                                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                                                              ルカによる福音書1章39~55節
                                                                                                                                                                                題
                                                                                                                                                                              「マリヤの讃歌」
                                                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                                                              「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救主なる神をたたえます。」(46節)

                                                                                                                                                                              ① 信じきった人の幸い
                                                                                                                                                                                 「あがめる」とはラテン語で「マグニフィカート」(マリヤの讃歌の意)と言い、自分より神を大きくするとの意味があります。自分としては落胆して主をあがめる事などできないが、神を賛美していると神が私の魂を引き上げ立ち上がらせてくださいます。ザカリヤは不信仰のために口がきけなくなりましたが、その沈黙の期間は神を待ち望む時となり、祝福への入口となりました。人の目には悪いと思える事でも、神のご計画と最善を信じ切る人にとっては祝福となるのです。
                                                                                                                                                                              ② 神のあわれみのすばらしさ
                                                                                                                                                                                 「この卑しい女をさえ心にかけて」(48節)とありますように、神のあわれみは、どんな人に対しても、その人を好意を持って見つめ、行動を起さずにはおられない熱い愛で「引き上げ」(52節)、「忘れず」(53節)、 助けの手を差し伸べてくださいます。それは、約束を決して忘れず、預言通り救い主を送られた事を見ればわかります。  
                                                                                                                                                                              ♪忘れないで いつもイエスさまは 君のことを 見つめている  
                                                                                                                                                                              だからいつも 絶やさないで   胸の中の  ほほえみを♪


                                                                                                                                                                                【2019年12月8日】
                                                                                                                                                                                  聖  書
                                                                                                                                                                                テモテへの第二の手紙2章8~13節
                                                                                                                                                                                  題
                                                                                                                                                                                「わたしの福音」
                                                                                                                                                                                  聖  句
                                                                                                                                                                                「ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。」(8節)

                                                                                                                                                                                ① わたしが体験した福音
                                                                                                                                                                                   知識は人を傲慢にし、お金は人を狂わせ、物の豊かさは人の心を衰えさせます。しかし、真実な神の愛は、人の心を造り変え、困難を乗り越える力を与え、み国の希望に生きる人へと変える事ができるのです。ですから、イエス・キリストをいつも忘れないで信じて結びついていましょう。やがて、聖霊によって自分の罪に気づき、十字架をわたしのためと感謝する日がやって来ます。
                                                                                                                                                                                ② 私が愛し、喜びとする福音
                                                                                                                                                                                   人が、「私の学校・私の教会・私の故郷」という言い方をした時、それは、私が愛し、喜び、また、命がけで奉仕しているという思いがあるからではないでしょうか。パウロは「わたしの福音」と言って、喜んで福音のために全生涯を捧げました。また、クレネのシモンは無理矢理負わされたイエスの十字架を喜んで受け取りました。そのようなシモンとその家族に神の大きな祝福が注がれました。 喜んで本気で主に従い福音を宣べ伝える人に、主もまた本気で答えてくださいます。


                                                                                                                                                                                  【2019年12月1日】
                                                                                                                                                                                    聖  書
                                                                                                                                                                                  テサロニケ人への第一の手紙4章9~18節
                                                                                                                                                                                    題
                                                                                                                                                                                  「主を待ち望む生活」
                                                                                                                                                                                    聖  句
                                                                                                                                                                                  「そして、あなたがたに命じておいたように、つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身をいれ、手ずから働きなさい。」(11節)

                                                                                                                                                                                  ① 愛し、慰め合う生活
                                                                                                                                                                                     イエス・キリストは宮殿の中ではなく、ベツレヘムの家畜小屋にお生れになりました。それは、どんな階級の人の心にも救いが届くようにとの神のご計画でした。テサロニケ教会が愛し合う教会となった出発点は、この神の愛を信じ受け入れたからでした。信じる人には天国の命が約束されるだけではなく、心が内から造り変えられるのです。
                                                                                                                                                                                  ② 落ち着いた生活
                                                                                                                                                                                     主を待ち望む生活は冷静で堅実です。今ある仕事に精を出し、コツコツと与えられた務めを果たします。その先には大きな報いが待っているからです。創世記に出てくるヨセフは、兄弟から嫉まれ、エジプトに奴隷として売られ、大変な苦労をしましたが、神が共におられると信じ、いつも主に従う道を選んで罪と誘惑に打ち勝ちました。それに対して神は十分に彼に報いて下さいました。私たちも日常の生活の中で勇気を出して一歩踏み出して主に従ってみましょう。そうすれば、必ず不思議な神の助けと導きを体験する事でしょう。


                                                                                                                                                                                    【2019年11月24日】
                                                                                                                                                                                      聖  書
                                                                                                                                                                                    ルカによる福音書17章11~19
                                                                                                                                                                                      題
                                                                                                                                                                                    「感謝の心」
                                                                                                                                                                                      聖  句
                                                                                                                                                                                    「そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、イエスの足もとにひれ伏して感謝した」(15節)

                                                                                                                                                                                    ① 感謝する信仰
                                                                                                                                                                                       十人の病人たちは、その病ゆえに「わたしは汚れた者です。」といいながら、一般の人々から離れて歩かなければなりませんでした。しかし、彼らがイエスに会った時には、「わたしたちを憐れんでください。」と叫んで、癒やし主であるイエスに対する信仰を表しました。そして、「祭司のところへ行ってからだを見せなさい。」との主イエスの言葉に従って、行く途中で癒やされ、きよめられたのでした。しかし、その中で主のもとに帰って来て感謝したのは、ただ一人だけでした。
                                                                                                                                                                                    ② 大いなる報い
                                                                                                                                                                                       ただ一人戻って来て感謝したサマリヤ人には、神からの大きな報いが与えられました。「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ。」(19節) 出て行って証ししなさい。生涯、神をほめたたえて礼拝しなさいと励まされ、「心から感謝にあふれて祈りと願いをささげるなら、思い煩いや不安から解放され、心が神の平安で満たされるのです。」(ピリピ4:6.7)と、神からの約束をいただいたのです。


                                                                                                                                                                                      【2019年11月17日】
                                                                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                                                                      コリント人への第二の手紙12章1~10節
                                                                                                                                                                                        題
                                                                                                                                                                                      「わが恵み汝に足れり」
                                                                                                                                                                                        聖  句
                                                                                                                                                                                      「主が言われた、『わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」(9節)

                                                                                                                                                                                      ① 聞かれざる祈り
                                                                                                                                                                                         聖書には三つの聞かれざる祈りが記されています。モーセの祈り(申3:25)、主イエスの祈り(マルコ14:35)、パウロの祈り(Ⅱコリント12:8)です。自分の祈り願いがその通りにならなくても、そこには隠れた神の目的と計画があります。「神はさらに良い事を備えてくださるにちがいない。」との神への信頼をもって祈り続けましょう。後で振り返ると、あの時はそれで良かったと思える日が必ずやって来ます。神の最善を信じましょう。
                                                                                                                                                                                      ② 弱いところに
                                                                                                                                                                                         真の使徒のしるしは、◆キリストのために苦しみを受ける人◆み国の希望に立つ人◆弱さの中で恵みを経験する人です。「わたしの力は弱いところに完全に現れる。」(9節) とありますように、私たちが自分の弱さを知れば知るほど、自我が砕かれれば砕かれるほど、神の恵みは注がれるのです。神は、自分が強い人間だと思う人を助ける事はできません。土の器のような私たちが「イエスの死をこの身に負う」(Ⅱコリント4:8)とき、その苦難に耐える力が与えられ、「四方から患難を受けても窮しない。」と証しすることができるのです。


                                                                                                                                                                                        【2019年11月10日】
                                                                                                                                                                                          聖  書
                                                                                                                                                                                        創世記21章8~21節
                                                                                                                                                                                          題
                                                                                                                                                                                        「神がハガルの目を開かれた」
                                                                                                                                                                                          聖  句
                                                                                                                                                                                        「神がハガルの目を開かれたので、彼女は水の井戸のあるのを見た。彼女は行って皮袋に水を満たし、わらべに飲ませた。」(19節)

                                                                                                                                                                                        ① 見たもう神との出会い
                                                                                                                                                                                           サラは、自分に子どもが与えられないため女奴隷ハガルを通して跡継ぎを得ようとしました。しかし、ハガルは子を産むと女主人を見下すようになったので、サラはハガルをいじめ、それに耐えかねたハガルは荒野へと逃げ出したのでした。その時主の御使いは「女主人のもとに帰り、その手に身を任せなさい。」と諭しました。それに対しハガルは、どんな時でも見たもう神が共におられるなら従いますと、帰って行きました。人生の厳しい現実の中で「主が見ておられる」と信頼できたなら、どんな苦しみにも耐えることができるのです。
                                                                                                                                                                                        ② 皮袋の水が尽きたので
                                                                                                                                                                                           ハガルに再び試練がやって来ました。ハガルとその子イシマエルがサラによって追い出され、荒野をさ迷うことになったのです。ついに皮袋の水が尽き、神に祈った時、神はハガルの目を開かれ、そこに水の井戸があることに気づかせてくださったのです。人生に行き詰まった時、神は祈りの声を聞き、目を開いてくださるのです。私たちも主の助けを求め、イエスの井戸からいのちの水を飲みましょう。


                                                                                                                                                                                          【2019年11月3日】
                                                                                                                                                                                            聖  書
                                                                                                                                                                                          ヨハネによる福音書14章12~21節
                                                                                                                                                                                            題
                                                                                                                                                                                          「キリストの名による祈り」
                                                                                                                                                                                            聖  句
                                                                                                                                                                                          「わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。」(13節)

                                                                                                                                                                                          ① わたしの名によって
                                                                                                                                                                                             「わたしの名によって願うならば」(13,14節)と2回も語られたキリストの名とは、キリストの性質、その人格、また事業や思いを表し、その土台の上にあって捧げられる祈りの事です。決して自分勝手な祈りではありません。だからその祈りは聞かれるのです。その祈りには、「大きなわざをする」「別の助け主を送る」「真理を悟らせ」「共におり」「決して孤児とはしない」「内に住んで人を生かす」という祝福の約束が付いて来るのです。
                                                                                                                                                                                          ② イエスを愛し、疑わないで信頼する
                                                                                                                                                                                             科学の世界では「疑ってみる」事は必要ですが、神様を疑ってはいけません。とかく見える物は信じやすいですが、見えない物は信じにくいものです。良い事があると神を信じ、悪い事が続くと神を疑ってしまいやすいものです。トマスは疑い深い人として聖書に登場します。(ヨハネ20:15)しかし主は、「信じない者にならないで信じる者になりなさい。」と迫ってくださいました。私たちも主の迫りに応えましょう。


                                                                                                                                                                                            【2019年10月27日】
                                                                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                                                                            ルカによる福音書11章5~13節
                                                                                                                                                                                              題
                                                                                                                                                                                            「切なる祈り」
                                                                                                                                                                                              聖  句
                                                                                                                                                                                            「しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう。」(8節)

                                                                                                                                                                                            ① しきりに願うので
                                                                                                                                                                                               長い人生、平和な時ばかりでなく危機的な時もあります。主イエスは「しきりに願う祈り」(8節) と「切なる祈り」を喜ばれました。友人との横の関係は大切ですが、困難な時に本当の助けとなってくださる神さまとの縦の関係はもっと大切です。日頃から神さまとの太い祈りのパイプを持っているなら、困難な時、絶望する時にも、いつものように天の父に向かって信頼と期待とを持って祈る事ができるのです。主イエスもゲッセマネで三度同じ言葉で祈られました。堅く閉ざされた門であっても忍耐強くたたきましょう。必ず開けてもらえます。
                                                                                                                                                                                            ② 神の応答
                                                                                                                                                                                               神は祈り求める者に「聖霊」(13節)を約束されました。聖霊は助け主と呼ばれ、私たちといつも一緒にいてくださり(ヨハネ14:16)、病には癒やし、失敗には慰め、成功に対しては高ぶらないようにと諭し、失望落胆には立ち直る力を与えてくださいます。また、心からの悔い改めには魂の救いを与え、新しい人生へと導いてくださいます。私たちは祈りの武器を持って与えられた人生を進んで行きましょう。


                                                                                                                                                                                              【2019年10月20日】
                                                                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                                                                              ルカによる福音書11章1~4節
                                                                                                                                                                                                題
                                                                                                                                                                                              「何を祈るべきか」
                                                                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                                                                              「主よ、ヨハネがその弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈ることを教えてください。」(1節)

                                                                                                                                                                                              ① 父よ、御名があがめられますように
                                                                                                                                                                                                 神さまに向かって「父よ」と祈ることができるのはクリスチャンの特権です。父とは恵み深いお方(詩103:13)、近くにいます方(詩68:5)、導いて下さる方(エレミヤ31:9)、人が従うべきお方(申32:6)です。神さまが崇められるためには、「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」(マタイ6:33)のみことばのように、神を第一として生活する事です。それでは、私たちが強く優秀にならなければ神が崇められないのでしょうか。いいえ、傲慢にならず、たとえ弱く、汚れ、迷える子羊であっても、忍耐強く神を信じて歩むなら、神は栄光を表し、人々は神様の素晴らしさに気づき、神を崇めるようになるのです。
                                                                                                                                                                                              ② 生活の必要のために祈る
                                                                                                                                                                                                 生活の必要を与えてくださいとの祈りも大切です。神は多すぎる事も少なすぎる事もなく必要をお与えになります。このように祈る人は、今持っている物はすべて神から与えられたものであることに気づき、それは自分のためだけに使うのではなく、神の御名が崇められるために感謝しながら使う事ができるようになるのです。


                                                                                                                                                                                                【2019年10月13日】
                                                                                                                                                                                                  聖  書
                                                                                                                                                                                                テサロニケ第一の手紙5章12~24節
                                                                                                                                                                                                  題
                                                                                                                                                                                                「絶えず祈るとは」
                                                                                                                                                                                                  聖  句
                                                                                                                                                                                                「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」(16節)

                                                                                                                                                                                                ① キリストのいのちにつながる
                                                                                                                                                                                                   「絶えず」=「途切れる事なく勤勉に習慣的に」祈って神に近づくと、神との交わりによって神のいのちを内にいただき、それが外に輝きとなって表われます。それとは反対に、毎日の生活に張りがなく、やる気もなく、生きている事がつらいというのであるなら、内に神のいのちを失っていることになります。呼吸が人間にとって大切なように、霊の呼吸である祈りも絶えず行う必要があります。
                                                                                                                                                                                                ② 真実な神が完成へと
                                                                                                                                                                                                   神は平和の神です。しかし人間は罪人で神に敵対しています。その罪人が罪を悔い改めてキリストを信じると平和の神が共にいて、神の平和が心の中に与えられます。ガリラヤ湖で嵐の時にペテロが、「主よ、お助けください。」と言うと、「イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて・・」(マタイ14:30.31)くださいました。今の時代も同様に、祈る人に神は平安を約束してくださいます。さらに人生のゴールにおいても、真実な神が私たちの潔さを完成して迎え入れてくださるのです。


                                                                                                                                                                                                  【2019年10月6日】
                                                                                                                                                                                                    聖  書
                                                                                                                                                                                                  ルカによる福音書15章1~7節
                                                                                                                                                                                                    題
                                                                                                                                                                                                  「失われた羊」
                                                                                                                                                                                                    聖  句
                                                                                                                                                                                                  「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。」(4節)

                                                                                                                                                                                                  ① 神の愛
                                                                                                                                                                                                     キリストは、取税人・罪人と呼ばれ差別されている人々を特に愛されました。その事は、自分を優れた人間だと思っている人にとっては不服ですが、自分をどうしようもない罪人であると認めている人にとっては福音でした。その事を主は「失われた羊」の譬を通して語られました。「九十九匹の羊を野原に残す」とは、大きな犠牲を払ってでも「見つけるまでは捜し歩く」という決意の表われです。見つけるまでは決して諦めないのです。この神の愛を確信すると、どんな困難でも死の恐怖でも乗り越えることができるのです。
                                                                                                                                                                                                  ② 神の喜び
                                                                                                                                                                                                     「見つけたら喜んでそれを肩に乗せ」(5) イエスは全人類の罪をご自分の肩に負って十字架にかかられ、義なる神の審きを受け、キリストを信じる者に罪の赦しの道を開かれました。ですから私たちは、この十字架の贖いを信じて、まごごろから罪を悔い改めましょう。


                                                                                                                                                                                                    【2019年9月29日】
                                                                                                                                                                                                      聖  書
                                                                                                                                                                                                    ヨハネの第一の手紙5章13~21節
                                                                                                                                                                                                      題
                                                                                                                                                                                                    「祈りの確信」
                                                                                                                                                                                                      聖  句
                                                                                                                                                                                                    「わたしたちが神に対していだいている確信は、こうである。すなわち、わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれて下さるということである。」(14節)

                                                                                                                                                                                                    ① 祈りは聞かれる
                                                                                                                                                                                                       使徒ヨハネであろうと、私たちのようなクリスチャンであろうと、主イエスを信じるなら祈りの霊が与えられ、父なる神に祈る時、その祈りは無視されたり耳を塞がれたりする事なく、神は愛する者の祈りを必ず聞いてくださいます。(詩50:15)ただ一つの条件は、「神のみ旨に従って願い求めること」です。「求めても与えられないのは快楽のために使おうとして、悪い求め方をするからだ。」(ヤコブ4:3)
                                                                                                                                                                                                    ② 隣人の救いのために
                                                                                                                                                                                                       「祈りは聞かれる」との確信が与えられると、隣人や家族のために祈りを活用せずにはいられなくなります。「死に至ることのない罪」(16節)とは、私たちと罪との間に十字架を置くことです。「死に至る罪」とは、キリストの十字架を拒否し自分には罪がないと言い続けるため、赦される事のない罪のことです。神は人が一人も滅びることを望まれません。私たちの祈りによって救霊の実を結びましょう。


                                                                                                                                                                                                      【2019年9月22日】
                                                                                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                                                                                      マタイによる福音書17章14~21
                                                                                                                                                                                                        題
                                                                                                                                                                                                      「祈りの貧困」
                                                                                                                                                                                                        聖  句
                                                                                                                                                                                                      「しかし、このたぐいは、祈りと断食とによらなければ、追い出すことはできない。」(21節)

                                                                                                                                                                                                      ① へりくだった祈り
                                                                                                                                                                                                         主イエスの弟子たちには汚れた霊を追い出す権能が与えられていましたが、彼らの不信仰のゆえにその力を発揮することはできませんでした。それはちょうど、健康な肺が与えられていても深呼吸をしなければ十分な酸素を体内に取り込むことができないのと同じです。私たちがへりくだって神の力を求める祈りをしなければ、神のみわざを見ることはできません。
                                                                                                                                                                                                      ② 祈りによらなければ
                                                                                                                                                                                                         神との正しい関係は祈りによって保たれます。祈りによらなければ神に近づく事はできません。真の希望と平安は神のみもとにあるからです。また、祈りによらなければ家族の救いはありません。「主イエスを信じる」と芋蔓式に家族が救われるのではありません。まずあなたが主イエスを信じて救われ、その後、あなたの忍耐強い祈りによって「家族が救われる」という神の約束が成就するのです。


                                                                                                                                                                                                        【2019年9月15日】
                                                                                                                                                                                                          聖  書
                                                                                                                                                                                                        使徒行伝12章5~17節
                                                                                                                                                                                                          題
                                                                                                                                                                                                        「祈りへの応答」
                                                                                                                                                                                                          聖  句
                                                                                                                                                                                                        「こうして、ペテロは獄に入れられていた。教会では、彼のために熱心な祈が神にささげられた。」(5節)

                                                                                                                                                                                                        ① 熱心な祈り
                                                                                                                                                                                                           教会は「祈りの家」と呼ばれ、「大勢の人が集まって祈っていた。」(12節) との記事もあります。また、主イエスの十字架と復活の後、120名ほどの人が都に留まって祈っていた時にペンテコステのみわざが起りました。「熱心な祈り」とは「張り広げる」との意味で、それは神に対する期待と求めを張り広げる魂の姿です。「イエスは苦しみもだえてますます切に祈られた。」(ルカ22:44) このゲッセマネの祈りが十字架の勝利に繋がったのです。「キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって・・祈りをささげ・・」(ヘブル5:7)と、キリストでさえこのように祈られたのなら、私たちも熱心に祈って、神のみわざを待ちましょう。
                                                                                                                                                                                                        ② 祈りに対する神の応答
                                                                                                                                                                                                           祈りの答えはぎりぎりまで待って与えられ、不可能と諦めるような状況で突然奇跡的に行われました。問題や困難は人生に付きものです。自分の強さに頼って生きると必ず力尽きてしまいます。祈りの池に飛び込んで熱心な祈りをささげましょう。


                                                                                                                                                                                                          【2019年9月8日】
                                                                                                                                                                                                            聖  書
                                                                                                                                                                                                          ローマ人への手紙8章26~30節
                                                                                                                                                                                                            題
                                                                                                                                                                                                          「クリスチャンの祈りとは」
                                                                                                                                                                                                            聖  句
                                                                                                                                                                                                          「御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである」(26節)

                                                                                                                                                                                                          ① わたしたちの祈り
                                                                                                                                                                                                             信じてからも肉の弱さを持っている私たちは、自己中心で不信仰になりがちです。しかし、その自分の無力さに気づき、神の助けを求めるなら、聖霊が近づき、苦しみを理解してとりなして下さるのです。クリスチャンの祈りは聖霊の助けなしにはできないのです。
                                                                                                                                                                                                          ② 神のご計画が進む
                                                                                                                                                                                                             御子イエスの十字架の愛を受けて神を愛する者とされると、御霊による背後のとりなしが加わって、神のご計画は大きく前進します。旧約のヨセフに対する神のご計画は、イスラエルの民を生き残らせ、その子孫から救い主を誕生させる事でした。そのためにヨセフは大変な苦しみを経験しましたが、どこまでも神を信じて従ったので、神のご計画は見事に実現することとなるのです。


                                                                                                                                                                                                            【2019年9月1日】
                                                                                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                                                                                            マタイによる福音書6章5~15節
                                                                                                                                                                                                              題
                                                                                                                                                                                                            「神の報いを求めて」
                                                                                                                                                                                                              聖  句
                                                                                                                                                                                                            「あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」(6節)

                                                                                                                                                                                                            ① 神は報いてくださる
                                                                                                                                                                                                               「部屋に入って祈る」とは、人からの報いを期待するのではなく、神の報いを求めて祈る姿勢です。そうすれば、人の想像を超えた神の恵みが現わされます。人からの報いは失望とつまずきです。それらは「虫が食い、さびがつく」ものだからです。み国こそ私たちの目的地、地上は途中であり過程です。来たるべき世を思いながら過ごす人は喜んで神のみもとに行き、安らかに満ち足りています。
                                                                                                                                                                                                            ② 天の宝を求めて
                                                                                                                                                                                                               「天の宝」とは「神の国と神の義」(マタイ6:33)です。神の支配の内に生きることを喜びとし、みこころが最善であると信じます。「神の義」とはイエス・キリストを信じる信仰による義でです。主イエスのあがないによって罪の赦しと誘惑に勝つ力、謙遜が与えられます。天の宝=神の報いを求める信仰生活を送りましょう。


                                                                                                                                                                                                              【2019年8月25日】
                                                                                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                                                                                              コリント人への第一の手紙10章1~13節
                                                                                                                                                                                                                題
                                                                                                                                                                                                              「私たちへの教訓」説教者:福本行宏師
                                                                                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                                                                                              「あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、・・・のがれる道も備えて下さるのである。」(16節)

                                                                                                                                                                                                              ① イスラエルはなぜ荒野で滅ぼされたのか
                                                                                                                                                                                                                 神の民イスラエルがどうして神の御心に背いて滅びてしまったのか。約束の地カナンに入国をゆるされたのはエキソダス当時の内僅か2名でした。これらは『私たちへの教訓』とするためなのです。(11節)
                                                                                                                                                                                                              ② 神の御心に背くとはどういうことか
                                                                                                                                                                                                                 イスラエルの民は神の尊い豊かな臨在、愛の律法も授けられて、途方もない恵みを蒙って、信仰と希望に燃えて約束の地を目指していました。しかし、神の御心から逸れて己の欲望の道に走ったのです。『立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。』(12節) ③ 神の御心にかなうとは何か
                                                                                                                                                                                                                 ①貪らない。②偶像礼拝をしない。神以外のものを余りにも慕い求めてしまうことも偶像礼拝です。③姦淫をしない。④主を試みない。⑤つぶやかない。イスラエルの民が犯した罪は、今日のクリスチャン・教会にも起こり得るものです。あなたもわたしも心しなければなりません。


                                                                                                                                                                                                                【2019年8月18日】
                                                                                                                                                                                                                  聖  書
                                                                                                                                                                                                                創世記19章12~26節
                                                                                                                                                                                                                  題
                                                                                                                                                                                                                「あわれみの神」
                                                                                                                                                                                                                  聖  句
                                                                                                                                                                                                                「彼はためらっていたが、主は彼にあわれみを施されたので、かのふたりは彼の手と、その妻の手と、ふたりの娘の手を取って連れ出し、町の外に置いた。」(16節)

                                                                                                                                                                                                                ① とりなしの祈りへの招き
                                                                                                                                                                                                                   堕落を極めた町ソドムとゴモラに神の審きがくだろうとした時、アブラハムのとりなしの祈りが捧げられました。「もしそこに十人の義人がいたら・・・わたしは滅ぼさない。」(創18:32)のような神様とのやりとりが何度もありました。残念ながらわずか十人の義人さえおらず、神の審きが決定的になりましたが、「アブラハムはなお主の前に立っていた。」(創18:22)と神の憐れみにすがりました。
                                                                                                                                                                                                                ② あわれみの神の恵み
                                                                                                                                                                                                                   神の重大なメッセージが語られているのに、真剣に受け取らなかったり、聞き流したりするのがこの世の現実です。しかし、み使いは無理やりにでもロトの家族を引っ張ってくださいました。それはアブラハムの背後のとりなしの祈りがあったからです。今日では、主イエスのとりなしの祈りがあります。(ヘブル7:25)私たちも他の人のために祈る者となりましょう。


                                                                                                                                                                                                                  【2019年8月11日】
                                                                                                                                                                                                                    聖  書
                                                                                                                                                                                                                  ピリピ人への手紙4章14~23節
                                                                                                                                                                                                                    題
                                                                                                                                                                                                                  「人を生かす神の愛」
                                                                                                                                                                                                                    聖  句
                                                                                                                                                                                                                  「わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。」(19節)

                                                                                                                                                                                                                  ① 神を喜ぶ
                                                                                                                                                                                                                     天地創造の神を「私の神」と親しく呼び、また、「福音」を私の体験とし、救いの喜びを知った時、この喜びを何とかして他の人に伝えたいという思いが湧き上がって来ます。福音を伝える喜びは世の中の喜びとは少し違います。神を喜び、神の栄光が現れてほしいという願いが原動力となっているからです。
                                                                                                                                                                                                                  ② 神へのささげもの
                                                                                                                                                                                                                     パウロは最後に、ピリピ教会からの贈り物に対して、心から感謝しています。それは、自分に与えられた物ではなく、福音に仕えるパウロに献げられた物であると理解しているからです。つまりそれは神への捧げ物です。神への供え物は必ず「あなたがたの勘定を増やしていく果実」(17節)となり、「神への芳しいかおり」(18節)となるのです。人間同士の物のやり取りは、やがて忘れられますが、神への捧げ物は永遠に忘れられる事はないのです。


                                                                                                                                                                                                                    【2019年8月4日】
                                                                                                                                                                                                                      聖  書
                                                                                                                                                                                                                    ピリピ人への手紙4章10~13節
                                                                                                                                                                                                                      題
                                                                                                                                                                                                                    「わたしの力であるキリスト」
                                                                                                                                                                                                                      聖  句
                                                                                                                                                                                                                    「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」(13節)

                                                                                                                                                                                                                    ① 足ることを学んだ
                                                                                                                                                                                                                       人は、物やお金によっては真の満足を得ることはできません。しかし、主に信頼するなら、どんな境遇の中でも満足することができます。「貧に処する道」とは、「主が与え、主が取られる」(ヨブ1:21) のように、貧しくても本当に必要な物は神が与えてくださるとの信仰に生きることです。また、「富におる道」とは、「喜んで施す人を神は愛して下さる」(Ⅱコリント9:7) との信仰に生きることです。主に信頼しているなら神の力が表されて、ありとあらゆる境遇に処することができるのです。
                                                                                                                                                                                                                    ② わたしを強くして下さる方によって
                                                                                                                                                                                                                       自分の無力さを知って神様以外に頼るものがないとわかった時、キリストが心の内に輝き、すべてを支えてくださるとの信仰が湧き上がり、また、自我の問題で悩んでキリストのもとへ行くと、わがままを捨て、信じてお委ねしようとの決心が湧き上がります。


                                                                                                                                                                                                                      【2019年7月21日】
                                                                                                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                                                                                                      ピリピ人への手紙4章1~7節
                                                                                                                                                                                                                        題
                                                                                                                                                                                                                      「一番幸福な時」
                                                                                                                                                                                                                        聖  句
                                                                                                                                                                                                                      「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。」(6節)

                                                                                                                                                                                                                      ① 主にあって堅く立つ時
                                                                                                                                                                                                                         クリスチャンにとって一番幸せな時は、「主にある時」つまり、キリストと人格的につながる時です。私たちのみ国に対する信仰がしっかりして来ると、地上の小さないざこざが次第に気にならなくなってきます。また、繰り返し「主を喜び」、自我を十字架につけ、何もかも明らかになる「主の日は近い」と信じるなら、人々に対して次第に寛容になれます。物の豊かさではなく主イエスとの生きた信仰の結びつきによって幸せは決まるのです。
                                                                                                                                                                                                                      ② お祈りができる時
                                                                                                                                                                                                                         思い煩いの根底にあるのは自我です。自分の思い通りになってほしい。自分に都合の良いように解決してほしいとの思いが、思い煩いにつながります。そうではなく、へりくだって神のみこころがなる事が最も良い解決であると信じて待ちましょう。そうすれば神の平安で心が満たされます。主のみこころが成るようにと祈りつつ、神の平安の証し人として生きる事が最も幸せな事です。


                                                                                                                                                                                                                        【2019年7月14日】
                                                                                                                                                                                                                          聖  書
                                                                                                                                                                                                                        ピリピ人への手紙3章17~21節
                                                                                                                                                                                                                          題
                                                                                                                                                                                                                        「キリストを信じたらどうなるのか」
                                                                                                                                                                                                                          聖  句
                                                                                                                                                                                                                        「兄弟たちよ。どうか、わたしにならう者となってほしい。また、あなたがたの模範にされているわたしたちにならって歩く人たちに、目をとめなさい。」(17節)

                                                                                                                                                                                                                        ① キリストの十字架を喜びとする
                                                                                                                                                                                                                           パウロが「わたしにならう者となってほしい。」(17節)と言うのは、自分は人々の手本になるような立派な人間だと自慢しているわけではありません。クリスチャンなら誰でもキリストの十字架の救いによって生かされているので、そのキリストに背を向けて欲望のままに生きる事の空しさを知っています。十字架のみわざには、信じる者の罪を赦し、神の子とし、聖霊によって人を造り変える力があります。このような生き方にならってほしいと語っているのです
                                                                                                                                                                                                                        ② み国を喜びとする
                                                                                                                                                                                                                           十字架を喜びとしない人の目は地上の事のみに向けられていますが、キリストを信じる者の目と心はみ国へと広がっています。「お金こそ私の頼みです。」という価値観を土台にすると、地上の嵐によってすぐに崩れてしまいますが、十字架を土台とすると、地上でもみ国でも主が共におられるので平安です。


                                                                                                                                                                                                                          【2019年7月7日】
                                                                                                                                                                                                                            聖  書
                                                                                                                                                                                                                          ピリピ人への手紙3章10~16節
                                                                                                                                                                                                                            題
                                                                                                                                                                                                                          「幸せな生活の三原則」
                                                                                                                                                                                                                            聖  句
                                                                                                                                                                                                                          「兄弟たちよ、わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ。」(13節)

                                                                                                                                                                                                                          ① 正しい謙遜を身につける
                                                                                                                                                                                                                             パウロは「兄弟たちよ」と呼びかけ、自分は特別な存在ではなく皆さんと同じであるとへりくだり、「自分の力ではなく、神の助けによって数々の苦難を乗り越えて来たのです。」と語りました。
                                                                                                                                                                                                                          ② キリストの愛を確信する
                                                                                                                                                                                                                             「そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。」(12節)の告白のように、パウロはキリストの愛に捕えられていました。その状態は、腰に神の命綱を付けているようなもので、滅びに落ち込まないように、常に神さまが支えてくださっているという確信に立っていたのです。 ③ うしろのものを忘れて前のものに向かう
                                                                                                                                                                                                                             「忘れる」とは記憶から消えてしまうことではなく、過去の罪や失敗の負い目から開放され、今の生活や心がそれらに支配されていない状態のことです。人間は深い悲しみや、理不尽な取扱いを受けると、恨み・憎しみ・復讐の心に捕われやすいものですが、パウロは神によって、それらから解放され癒やされ喜んでいるのです。


                                                                                                                                                                                                                            【2019年6月30日】
                                                                                                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                                                                                                            ピリピ人への手紙3章10~16節
                                                                                                                                                                                                                              題
                                                                                                                                                                                                                            「キリスト・イエスを誇とし」
                                                                                                                                                                                                                              聖  句
                                                                                                                                                                                                                            「神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇とし、肉を頼みとしないわたしたちこそ、割礼の者である。」(3節)

                                                                                                                                                                                                                            ① 肉を頼みとせず
                                                                                                                                                                                                                               「肉」とは、「人間的な」との意味で、神の恵みなどなくても自分の力で生きて行けるという傲慢な思いの事です。本当は、自分ほど頼りにならない者はないのです。ですから、人は繰り返し神さまの戒めを聞かなければ、すぐに忘れてしまいます。パウロも以前は名誉欲・権力欲・自分の義に捕えられ、本当の平安を失っていました。その性質はアダム以来すべての人間が受け継いでいます。しかし、信じてキリストに属するなら、神は肉性を十字架に付けて滅ぼしてくださるのです。
                                                                                                                                                                                                                            ② キリスト・イエスを誇とし
                                                                                                                                                                                                                               パウロは「教会の迫害者」でしたが、ダマスコ途上で復活のキリストに出会い、神の愛と真実に触れて心の目が開かれ、今まで誇りと思っていたものが全く価値のない物である事に気づきました。キリストに救われると自分の全生涯・全運命を神にお任せすることができます。それは天地創造の神がいつも共におられ、愛の神が最善に導いてくださる事を知るからです。人間の力には限界がありますから、一切をキリストにおまかせし、この神を信頼しましょう。


                                                                                                                                                                                                                              【2019年6月23日】
                                                                                                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                                                                                                              ピリピ人への手紙2章25~30節
                                                                                                                                                                                                                                題
                                                                                                                                                                                                                              「神の愛によって生きる幸せ」
                                                                                                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                                                                                                              「彼は実に、ひん死の病気にかかったが、神は彼をあわれんで下さった。」(27節)

                                                                                                                                                                                                                              ① 神のあわれみによって
                                                                                                                                                                                                                                 ここに「福音にふさわしい生活をした人」であるとしてエパフロデトが紹介されています。彼はピリピ教会からの贈り物をもって獄中のパウロを世話するためにやって来ました。しかし、旅の疲れからか瀕死の病気に罹り、パウロの看病と神さまのあわれみによって癒やされたのでした。神のあわれみとは、いろいろな弱さや欠けがあり、また、箸にも棒にもかからないような状態でも、キリストの十字架と復活のみわざにより、神がそれらを赦し、愛し、癒やし、救ってくださる事を言います。キリストを信じる者には神のあわれみが豊かに注がれるのです。
                                                                                                                                                                                                                              ② 命がけの奉仕
                                                                                                                                                                                                                                 神のあわれみにより癒やされたエパフロデトは何をしたでしょうか。それは、「キリストのみわざのために命をかけ、死ぬばかりになった」(30節)のです。「命をかける」という言葉はばくちの時に使うもので、一か八か勝負に出ることです。神のあわれみによって救われたわたしたちクリスチャンは、「伝道に」、「祈りに」、「みことばに」命をかけ、神の栄光を表そうではありませんか。


                                                                                                                                                                                                                                【2019年6月16日】
                                                                                                                                                                                                                                  聖  書
                                                                                                                                                                                                                                ピリピ人への手紙2章19~24節
                                                                                                                                                                                                                                  題
                                                                                                                                                                                                                                「キリストと共に生きる幸せ」
                                                                                                                                                                                                                                  聖  句
                                                                                                                                                                                                                                「しかし、テモテの練達ぶりは、あなたがたの知っているとおりである。すなわち、子が父に対するようにして、わたしと一緒に福音に仕えてきたのである。」(22節)

                                                                                                                                                                                                                                ① 信仰の仲間テモテ
                                                                                                                                                                                                                                   福音のために戦っているパウロに、神はテモテという信仰の仲間をお与えになりました。「そこにテモテという名の弟子がいた。」(使16:1)には、「神がわたしのために彼を備えてくださった。」というパウロの驚きと叫びの気持ちが表われています。テモテはユダヤ人の母から偽りのない信仰を受け継ぎ、ギリシャ人の父からはすばらしい賜物を受け継ぎました。教会はひたすら優れた方策を求めますが、神は祈りの人を用いてご計画を実行されるのです。
                                                                                                                                                                                                                                ② 練達の秘訣
                                                                                                                                                                                                                                   テモテの品性は試練というテストに合格して身についたものです。とかく人間関係のトラブルは、自分の事のみを求める自己中心性にあります。しかし、テモテは信仰により自我を十字架につけ、キリストを心の王座に迎えました。ここに練達の秘訣があります。彼はその後も幾度となく試練を通ってさらに練達し、パウロと共に福音を伝える喜びの奉仕を続けて行ったのです。


                                                                                                                                                                                                                                  【2019年6月9日】
                                                                                                                                                                                                                                    聖  書
                                                                                                                                                                                                                                  ピリピ人への手紙2章12~18節
                                                                                                                                                                                                                                    題
                                                                                                                                                                                                                                  「輝いて生きる」
                                                                                                                                                                                                                                    聖  句
                                                                                                                                                                                                                                  「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(15節)

                                                                                                                                                                                                                                  ① 星のように輝く
                                                                                                                                                                                                                                     「子どもは口で言っても従わないが、親の背中を見て従うようになる。」と長谷川保(浜松聖隷福祉事業団理事長)は語りました。子どもに限らず大人も、言葉で語るよりも生活を通して品性で証しすることは有効です。へりくだって神を信頼している姿こそが、一番クリスチャンらしく、この世で輝く存在となります。人は、神に背を向け自分勝手な道を歩もうとする傾向がありますが、キリストの十字架を私の罪のためと信じる事によって、神様が用意してくださった祝福の道を歩むことができるのです。
                                                                                                                                                                                                                                  ② いのちの言葉を堅く持って
                                                                                                                                                                                                                                     キリストの代わりに十字架刑を免れたバラバは、「キリストの十字架はわたしのため」と告白し、キリストの名のゆえに命を捨てることも喜びました。私たちクリスチャンもキリストの十字架によって罪を赦された者です。いのちのみことばを堅く持って、最後まで喜んで主お従いしましょう。


                                                                                                                                                                                                                                    【2019年6月2日】
                                                                                                                                                                                                                                      聖  書
                                                                                                                                                                                                                                    ピリピ人への手紙2章1~11節
                                                                                                                                                                                                                                      題
                                                                                                                                                                                                                                    「キリストのようにへりくだる」
                                                                                                                                                                                                                                      聖  句
                                                                                                                                                                                                                                    「キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。」(5節)

                                                                                                                                                                                                                                    ① へりくだりの心を持つ
                                                                                                                                                                                                                                       キリストのようにへりくだるとは、キリストの真似をするというのではなく、キリストを信じ受け入れる事によって内側から聖霊によってへりくだる者へと造り変えられるという事です。「謙遜は人を天使にするが、傲慢は天使を悪魔にする。」とアウグスチヌスは言いました。「高ぶりは滅びに先立つ」(箴16:18)ともあります。私たちも「神さま、罪人のわたしをおゆるしください。」(ルカ18:13)と祈った取税人のように神に近づき、永遠の祝福をいただきましょう。
                                                                                                                                                                                                                                    ② キリストのへりくだり
                                                                                                                                                                                                                                       キリストは神のかたちを捨てる事を惜しいとは思わず、ご自身のすべてを犠牲にして人間の姿になられました。それは、ただ一つの目的である、十字架で身代わりとなって全人類の救いを全うするという父なる神のみ旨を行うためでした。その後、神はキリストを甦らせ、高く天に引き上げられました。このキリストのへりくだりを確認して、私たちも「この人による以外に救いはない。」(使4:11)「キリスト・イエスは主である。」と告白して従いましょう。


                                                                                                                                                                                                                                      【2019年5月26日】
                                                                                                                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                                                                                                                      ピリピ人への手紙1章27~30節
                                                                                                                                                                                                                                        題
                                                                                                                                                                                                                                      「福音にふさわしい生活」
                                                                                                                                                                                                                                        聖  句
                                                                                                                                                                                                                                      「ただ、あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい。」(27節)

                                                                                                                                                                                                                                      ① 福音にふさわしく
                                                                                                                                                                                                                                         福音にふさわしい生活とはどのような生活でしょうか。私たちは死と罪と欲望の奴隷となっていた所から、恵みによりキリストを信じ、あがない取られ、今の私になりました。それは自分の力によってではなく、ただ神の憐れみによってこのようにされたのです。この事を忘れずに生きる事が福音にふさわしい生き方です。「生きるにも死ぬにも、わたしたちは主のもの」(ローマ14;8)なのです。
                                                                                                                                                                                                                                      ② 福音のために戦う
                                                                                                                                                                                                                                         しかし、福音にふさわしい生活には、自分との戦い、外なる敵との戦い、宣教のための戦いがあります。この戦いで大切な事は、一つ霊によって、狼狽させられないように、また、あわてて同士討ちなどせず、苦しむ事も恵みとして与えられている事を信じる、などです。戦いに伴う苦しみには目的があり、神様のお考えがあります。そう信じて従うと神の恵みを体験し、キリストの十字架によって罪赦された者は、やがて喜びと平安の内に天国へと迎えられるのです。


                                                                                                                                                                                                                                        【2019年5月18日】
                                                                                                                                                                                                                                          聖  書
                                                                                                                                                                                                                                        ピリピ人への手紙1章20~26節
                                                                                                                                                                                                                                          題
                                                                                                                                                                                                                                        「パウロの幸いな証し」
                                                                                                                                                                                                                                          聖  句
                                                                                                                                                                                                                                        「そこで、わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても、恥じることなく、かえって、いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。」(20節)

                                                                                                                                                                                                                                        ① キリストがあがめられる
                                                                                                                                                                                                                                           私のこの身体は、キリストの十字架の代価によって罪と死から買い取られた聖霊の宮ですから、もはや自分の物ではなく、キリストのために使う生涯です。私の生き方を通してキリストがあがめられ、拡大され、キリストのすばらしさが現われる事が私の願いであり喜びです。キリストがいつも共におられたら、必要な助けは必ず与えられる事を私たちは経験します。
                                                                                                                                                                                                                                        ② 死ぬことは益
                                                                                                                                                                                                                                           世の中では、「死んだらおしまい」と言いますが、主は、「一粒の麦が地に落ちて死んだなら、豊かに実を結ぶ。」(ヨハネ12:24)と語られました。自我に死ぬという経験によって初めてキリストが崇められるようになります。私が低く小さくされるとキリストが大きくされ、私が高くなるとキリストが隠されてしまうのです。自我を捨てて主に従うと、キリストはみこころをなしてくださるのです。


                                                                                                                                                                                                                                          【2019年5月12日】
                                                                                                                                                                                                                                            聖  書
                                                                                                                                                                                                                                          ピリピ人への手紙1章12~19節
                                                                                                                                                                                                                                            題
                                                                                                                                                                                                                                          「測り難い神の知恵」
                                                                                                                                                                                                                                            聖  句
                                                                                                                                                                                                                                          「さて、兄弟たちよ。わたしの身に起った事が、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、あなたがたに知ってもらいたい。」(12節)

                                                                                                                                                                                                                                          ① 福音の前進
                                                                                                                                                                                                                                             人間的計算では災いと思える事でも、信仰の目をもって見るなら福音の前進となり喜ばしい事となります。それは、その背後にある人の知恵ではとうてい測り難い神の知恵を信じるからです。パウロはローマで捕らわれましたが、その入獄が「キリストのため」という噂が広まり、それがローマ教会を励まし福音が語られ多くの実を結ぶ事となりました。不思議な神のみわざとしか考えられません。
                                                                                                                                                                                                                                          ② パウロの喜び
                                                                                                                                                                                                                                             ローマではパウロの伝道に対してケチをつけたり、悪口を言ったりする人がいました。しかしパウロは、悪意からキリストを伝える人たちに対して、伝道の仕方にもいろいろあると、キリストが伝えられたことを喜びました。パウロは悪意に対して悪意で応えず、「善意の先手」を打ったのです。私たちの祈りが天に向かうと、神の助けは天から送られて来ます。あなたがたがひとりぼっちでいる時は、神さまが最も近くにおられる時です。これからも神様をどこまでも信頼して、神と共に前進しましょう。


                                                                                                                                                                                                                                            【2019年5月5日】
                                                                                                                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                                                                                                                            ピリピ人への手紙1章1~11節
                                                                                                                                                                                                                                              題
                                                                                                                                                                                                                                            「喜びの秘訣」
                                                                                                                                                                                                                                              聖  句
                                                                                                                                                                                                                                            「キリスト・イエスの僕たち、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、ならびに監督たちと執事たちへ。」(1節)

                                                                                                                                                                                                                                            ① イエス・キリストの僕たち
                                                                                                                                                                                                                                               「僕たち」とは奴隷たちという意味です。パウロもまた現代に生きる私たちクリスチャンも、キリストの十字架による罪の赦しとよみがえりの命をいただき、感謝と喜びをもって死ぬまでキリスト・イエスという主人の所有物として生きるのです。この言葉の中には、中途半端ではなく本気で信じ従うという覚悟が込められているのです。そのように信じ従う者を、「鷲の翼に載せ・・・わたしの宝とする。」(出19:4,5)と、神は約束してくださっているのです。
                                                                                                                                                                                                                                            ② キリスト・イエスの熱愛
                                                                                                                                                                                                                                               「熱愛」とは「腹の底から、その人の全部をゆさぶるような愛」との意味で、そのようなキリストの愛が私たちを神の恵みへと向かわせます。このように神に愛されると、神の命が内に宿り、罪深い自分を恥ずかしく思うようになり、自分の損得で動いていた人も神の栄光のためにという思いに変えられて行くのです。


                                                                                                                                                                                                                                              【2019年4月28日】
                                                                                                                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                                                                                                                              詩篇8篇1~9節
                                                                                                                                                                                                                                                題
                                                                                                                                                                                                                                              「人間の尊さ」
                                                                                                                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                                                                                                                              「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか」(4節)

                                                                                                                                                                                                                                              ① 幼な子のように
                                                                                                                                                                                                                                                 神はひとり子イエス・キリストを幼な子としてクリスマスに地上へお遣わしになりました。その姿勢は無抵抗・無防備・無弁解を生涯にわたって貫き、裸にされ、ムチ打たれ、傷つけられ、十字架上で罪の身代わりとなり、神の裁きを受け、その結果三日目に甦り、死のとげを取り除き、サタンの頭を打ち砕き勝利してくださいました。(ヘブル2:14) 私たちも幼な子のように救い主を信頼するなら、神さまは豊かな勝利へと導いてくださるのです。
                                                                                                                                                                                                                                              ② 欠けたる存在
                                                                                                                                                                                                                                                 神は、少しく人を神より低く(欠けたる者として)造られました。パスカルは、「人は創造主である神による以外には決して満たされない空洞を持っている。」と言いました。その空洞に主イエス・キリストをお迎えする人は「乏しいことがない者」つまり、神により満足と平安を与えられた者とされ、高ぶりや罪を恥ずかしいと感じ、神を愛し神と共に生きる事を誇りとする者とされるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                【2019年4月21日】
                                                                                                                                                                                                                                                  聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                ルカによる福音書24章13~32節
                                                                                                                                                                                                                                                  題
                                                                                                                                                                                                                                                「共に歩むイエス・キリスト」
                                                                                                                                                                                                                                                  聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                「語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた」(15節)

                                                                                                                                                                                                                                                ① 共に歩む
                                                                                                                                                                                                                                                   私たちがどんなに愚かで不信仰であっても、復活の主イエスは共に歩んでくださいます。主は私たちの愚痴や不満を聞いてくださり、間違ったメシヤ観でさえ黙って聞き、神の時が来た時に私たちの目を開いてくださるのです。悩みや悲しみのために主を見失っても、泣く者に近づき、必要な事は全部丁寧に明らかにしてくださるのです。「わたしはあなたの年老いるまで変わらず、白髪となるまであなたがたを持ち運ぶ。・・・」(イザヤ46:4)
                                                                                                                                                                                                                                                ② 交わりを求める
                                                                                                                                                                                                                                                   では、どうすれば目が開かれ、共におられる主イエスがわかるのでしょうか。それは、「しいて引き止めた」(29節)弟子のように、積極的に求める事です。「一緒に食卓についてパンをさき」(30節) とありますように、主人の席に招いて親しく交わる時に、十字架にかかって私たちの身代わりとなられた主がはっきりとわかるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                  【2019年4月14日】
                                                                                                                                                                                                                                                    聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                  マタイによる福音書27章27~44節
                                                                                                                                                                                                                                                    題
                                                                                                                                                                                                                                                  「十字架上のキリスト」
                                                                                                                                                                                                                                                    聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                  「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。」(42節)

                                                                                                                                                                                                                                                  ① キリストの愛
                                                                                                                                                                                                                                                     世の権力者は自分の利益のために他人を犠牲にしますが、イエス・キリストは他人を救うためにご自身を犠牲にされました。ここにキリストの愛があります。人々のあざけりを代わって身に受け、全人類の罪を背負い、最後まで決して十字架から降りないで、神の審きを受けられました。それは私たちの罪を贖うためでした。「この人による以外に救いはない。」(使4:12)のみ言葉通り、救いを成し遂げ、信じる者を罪から解放してくださったのです。
                                                                                                                                                                                                                                                  ② 十字架を負う祝福
                                                                                                                                                                                                                                                     無理矢理十字架を負わされたクレネのシモンは、イエスの背中をみつめて歩き、ゴルゴダの丘でイエスの言葉を聞きました。これがきっかけとなってキリストの愛を知り、後に彼も彼の家族もクリスチャンになりました。十字架を負うて従う者には、このように神からの豊かな祝福が与えられるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                    【2019年4月7日】
                                                                                                                                                                                                                                                      聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                    詩篇6篇1~10節
                                                                                                                                                                                                                                                      題
                                                                                                                                                                                                                                                    「涙に目を留められる神」
                                                                                                                                                                                                                                                      聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                    「すべて悪を行う者よ、わたしを離れ去れ。主はわたしの泣く声を聞かれた。」(8節)

                                                                                                                                                                                                                                                    ① 苦しみの中で
                                                                                                                                                                                                                                                       神と共に歩んだダビデにも苦しみや涙がたくさんありました。しかしその都度、神さまの助けを求めて乗り越える事ができるのが信仰者の特権です。「人の心は希望と失望の根比べ」と言った人がいます。失望の条件がどんなにたくさん揃っていても、神さまと命綱で繋がっている魂は、必ず最後には感謝することができるのです。キリストの十字架による罪の赦しと復活の命をいただき、試練の中でも常に神を見上げましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                    ② 祈りは聞かれる
                                                                                                                                                                                                                                                       「神はわたしの泣く声を聞かれた。」(8節)とあります。神はいつも私たちの祈りの声を聞いてくださっていると確信をもって祈り続けましょう。祈りの答えは自分の願っている通りのものとは限りませんが、どんな結果でも神の最善であると信じているなら、後になって、これが一番ふさわしい道であると感謝する時が来るのです。


                                                                                                                                                                                                                                                      【2019年3月31日】
                                                                                                                                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                      マタイによる福音書16章13~25節
                                                                                                                                                                                                                                                        題
                                                                                                                                                                                                                                                      「イエスにあって輝く教会」
                                                                                                                                                                                                                                                        聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                      「そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。」(18節)

                                                                                                                                                                                                                                                      ① 主イエスの約束
                                                                                                                                                                                                                                                         主は、弟子の中でも一番失敗の多いペテロを、岩のように不動な信仰者へと育てようとされました。その方法はゆるやかで、階段を上っては降り、降りては上りするように、長い年月と失敗を重ねながら、本人が自分で気づき、悔い改め悔い改めしながら少しずつ確実に成長して行くというものでした。神さまが始められるみわざは時間はかかっても、確実に成し遂げられるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                      ② 信仰告白に生きる
                                                                                                                                                                                                                                                         「この岩」とは、ペテロの口から出た「あなたこそ生ける神の子キリストです。」との信仰告白を指しています。そして、口で言う事と生活とが同じでなければなりません。「自分を捨て自分の十字架を負う」て生きるためには、わがままを捨てる必要があります。すると、キリストが内に生きて心が造り変えられ、苦しみは神からのものと受け入れ従うことができ、そこから人生が真に輝くのです。


                                                                                                                                                                                                                                                        【2019年3月24日】
                                                                                                                                                                                                                                                          聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                        詩篇5篇1~12節
                                                                                                                                                                                                                                                          題
                                                                                                                                                                                                                                                        「神の恵みの盾に囲まれて」
                                                                                                                                                                                                                                                          聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                        「主よ、あなたは正しい者を祝福し、盾をもってするように、恵みをもってこれをおおい守られます。」(12節)

                                                                                                                                                                                                                                                        ① 祈りの大盾
                                                                                                                                                                                                                                                           ダビデは悩み苦しむ時、はばかる事なく「わたしの叫びの声をお聞きください。」(2節)と祈りました。祈りの大盾に逃げ込んだのです。そして「朝ごとに」(3節)祈りました。早朝の祈りはまず、神への感謝、次に神の御旨を伺い、その御旨を実行する力を求めます。「主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。」(イザヤ40:31)と、主は約束して下さっているのです。
                                                                                                                                                                                                                                                        ② 十字架の大盾
                                                                                                                                                                                                                                                           3節に「いけにえを備え」とありますが、新約の時代のクリスチャンのいけにえはイエス・キリストです。主は全人類の罪の身代わりとなって十字架に掛かり、神の審きを受けられました。それによって父なる神への道が開かれたのです。この十字架の恵みに与った時(十字架の大盾に逃げ込んだ時)、救いの喜びが内側から溢れ、それを原動力として神の栄光のために生きることができるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                          【2019年3月17日】
                                                                                                                                                                                                                                                            聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                          マタイによる福音書15章21~28節
                                                                                                                                                                                                                                                            題
                                                                                                                                                                                                                                                          「すばらしい信仰」
                                                                                                                                                                                                                                                            聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                          「主よ、お言葉どおりです。でも、子犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます。」(27節)

                                                                                                                                                                                                                                                          ① 切なる祈り
                                                                                                                                                                                                                                                             主イエスはカナンの女の信仰を「見上げたもの」(28節) とほめられました。それは、拒否されても拒否されても求め続けた信仰の姿勢に対してでした。その拒否は、実は女の信仰を試すものだったのです。 (1)求め続けたらすぐに聞かれる。(2)心の中を深く探られ、取り扱われ、自分が変えられることによって聞かれる。(3)神の時が来て聞かれる。どのタイプにせよ、私たちは祈りの答えを見るまで忍耐強く祈り続けようではありませんか。
                                                                                                                                                                                                                                                          ② 最後まで神を信頼する
                                                                                                                                                                                                                                                             この当時の人々は外国人を「のら犬」と軽蔑していましたが、主イエスは「家でかわいがられている犬」と表現されました。そのような憐れみ深い主に対して、この女は、「子犬も、その食卓から落ちるパンくずはいただきます。」と、外国人の私も恵みのおこぼれに与って救っていただきたいと、その信仰を表したのでした。このように謙遜になって、神をどこまでも信頼し続けたいものです。


                                                                                                                                                                                                                                                            【2019年3月10日】
                                                                                                                                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                            詩篇4篇1~8節
                                                                                                                                                                                                                                                              題
                                                                                                                                                                                                                                                            「悩みの中のくつろぎ」
                                                                                                                                                                                                                                                              聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                            「わたしの義を助け守られる神よ、わたしが呼ばわる時、お答えください。あなたはわたしが悩んでいた時、わたしをくつろがせてくださいました。」(1節)

                                                                                                                                                                                                                                                            ① くつろぎの秘訣
                                                                                                                                                                                                                                                               人は、神さまに罪を赦していただくと、何とも言えない心の平安が与えられ、そこから心のゆとりやくつろぎが生れます。ひとり子主イエスさまが罪の身代わりとなり、私たちの罪を赦すために「義のいけにえ」となってくださったからです。人は怒りやすい者です。その怒りを放っておくと罪へと直結します。「怒っても罪を犯してはならない。」(4節)とありますように、たとえ動機が正しくても、限度を超えて怒ってはなりません。後の事を神さまにお委ねするなら、そこに真のくつろぎが与えられるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                            ② 主の報い
                                                                                                                                                                                                                                                               悩みの中でくつろぐ事の一番のメリットは、主からの報いとして与えられる霊的な喜びです。「わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。」(8節)と主に感謝し喜びましょう。


                                                                                                                                                                                                                                                              【2019年3月3日】
                                                                                                                                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                              マタイによる福音書14章22~33節
                                                                                                                                                                                                                                                                題
                                                                                                                                                                                                                                                              「人生の嵐を生き抜く」
                                                                                                                                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                              「イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。」(27節)

                                                                                                                                                                                                                                                              ① イエスと共に
                                                                                                                                                                                                                                                                 私たちの人生には神さまがいつも共におられ、守っていて下さる事を忘れてはいけません。主イエスは弟子たちを強いて向こう岸へおやりになりましたが、これには大きな目的がありました。人生に逆風は付きものです。どんな逆境でも、不幸でも、欠乏でも、死の床にいる時でさえ、主イエスが山で祈っておられたように、常に私たちのために祈り、やがて時が来れば助けに来てくださいます。
                                                                                                                                                                                                                                                              ② みことばに信頼して
                                                                                                                                                                                                                                                                 ペテロが「みもとに行かせてください。」と言うと、「おいでなさい。」と招かれ、みことばに信頼して水の上を歩く事ができました。しかし風を見て恐ろしくなり溺れかけると、主はすぐに手をのばして助けてくださいました。これはそのまま私たちの信仰生活に当てはまります。


                                                                                                                                                                                                                                                                【2019年2月24日】
                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                詩篇3篇1~8節
                                                                                                                                                                                                                                                                  題
                                                                                                                                                                                                                                                                「他を祝福する生涯」
                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                「救は主のものです。どうかあなたの祝福があなたの民の上にありますように。」(8節)

                                                                                                                                                                                                                                                                ① ありのままに主の前に出る
                                                                                                                                                                                                                                                                   「主よ、わたしに敵する者のいかに多いことでしょう。」(1節)と、詩篇の作者は現状をありのままに神に申し上げ祈りました。そのような人を神は決してお見捨てにはなりません。「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない。」(ヘブル13:5)と、みことばの約束にある通りです。
                                                                                                                                                                                                                                                                ② 神への信頼が勝利のカギ
                                                                                                                                                                                                                                                                   「主はわたしを囲む盾」「主が支えられる」とありますように、神は常に支え守ってくださるとわかれば、心から信頼することができます。このような神への信頼が大切なのです。 ③ 救いは主にある
                                                                                                                                                                                                                                                                   自分が立ち上がって復讐するのではなく、「主よ、お立ちください」(7節)と、神のみわざに期待しましょう。人の判断は間違いやすく頼りにはなりません。神は忍耐強く待って人々に救いを与えられます。その時、敵となっていた人々のために祝福を祈ることができるようになります。神は救う力を持っておられるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                  【2019年2月17日】
                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                  マタイによる福音書14章13~21節
                                                                                                                                                                                                                                                                    題
                                                                                                                                                                                                                                                                  「人生の訓練」
                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                  「イエスは言われた、「それをここに持ってきなさい。」(18節)

                                                                                                                                                                                                                                                                  ① 信仰の訓練
                                                                                                                                                                                                                                                                     主イエスは5千人の人たちの前で、「あなたがたの手で食物をやりなさい。」と、弟子たちにお命じになりました。それは弟子たちに対する信仰の訓練でした。そこで、たまたま一人の少年が持っていた弁当の「5つのパンと二匹の魚」というわずかな食べ物を用いて主は奇跡を起し、5千人に食べさせ、その腹を満腹にしました。この事から、どんなに困難な問題でもキリストのもとに持って来るなら解決され、道が開かれるという事を学ばされます。
                                                                                                                                                                                                                                                                  ② よき牧者のもとへ
                                                                                                                                                                                                                                                                     主は、「それをここに持って来なさい。」と言われます。小さな物でも、わずかな物でもキリストに献げるなら、主は「天を仰いでそれを祝福し」みわざを行われるのです。これらのみわざを見た人たちには、このお方こそ、まことのメシアであることを啓示する出来事でした。私たちは神のみ前に謙り、罪人の私を救うためにキリストが十字架にお掛りくださったと信じましょう。そこから人知では到底測り知る事のできない神の力を体験することになるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                    【2019年2月10日】
                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                    詩篇2篇1~12節
                                                                                                                                                                                                                                                                      題
                                                                                                                                                                                                                                                                    「この世の国と神の国」
                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                    「それゆえ、もろもろの王よ、賢くあれ、地のつかさらよ、戒めをうけよ。」(10節)

                                                                                                                                                                                                                                                                    ① この世の現実
                                                                                                                                                                                                                                                                       神は地上の人々の様子を見て、なぜ彼らは成功の見込みのない思い上がった計画を立てるのかと驚き怪しみます。創世記11章にあるバベルの塔の時代の人々も大いに高ぶっていました。お互いに通じ合っていた心が、通じ合わなくなる原因は高慢です。「すべての災いの根底には傲慢があり、すべての祝福の根底にはへりくだりがある」というのは根本的な原則です。この高慢を打ち砕いて心の内側を新しくし、人々に真の平安と幸いを与えるために、神はイエス・キリストをこの世に遣わされたのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                    ② 神からの三つの忠告
                                                                                                                                                                                                                                                                       (1) 人の心には多くの計画があるが、しかし主のみむねだけが堅く立つ(箴19:21)のだから、神の摂理の御手に委ねましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                    (2) いかに生きるべきか、神に祈り求めて戒めを受けなさい。
                                                                                                                                                                                                                                                                    (3) 私のような者が恵みを受け、神に仕えていることに恐れを感じ、恵みに慣れっこにならないように生活しましょう。


                                                                                                                                                                                                                                                                      【2019年2月3日】
                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                      マタイによる福音書13章44~52節
                                                                                                                                                                                                                                                                        題
                                                                                                                                                                                                                                                                      「喜びのあまり」
                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                      「天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売り払い、そしてその畑を買うのである。」(44節)

                                                                                                                                                                                                                                                                      ① 神の国発見の喜び
                                                                                                                                                                                                                                                                         ある農夫が畑を耕していた時、偶然に土の中から宝を発見し、喜びのあまりその畑を買い取り宝を自分の物としました。そのように、クリスチャンも日常生活の中で聖書を通して天国の喜びを見つけ、それを自分のものとする体験をします。とかく若い人は天国はまだ先の事と思い、その値打ちに気づきにくいようですが、年齢を重ね多くの苦労を経験すると、聖霊の働きによって目が開かれ、天国が現実のものとなり、その値打ちに気づかされるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                      ② 拡大する喜び
                                                                                                                                                                                                                                                                         「天国のことを学んだ学者は・・・その倉から取り出す一家の主人のようなもの」(52節)とありますように、弟子たちは天国の喜びを自分だけの物とせず、他の人に惜しみなく与えました。私たちも同じ体験をしたキリストの弟子です。「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。」(詩23:1)この喜びを広めて行こうではありませんか。


                                                                                                                                                                                                                                                                        【2019年1月27日】
                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                        詩篇46篇1~11節
                                                                                                                                                                                                                                                                          題
                                                                                                                                                                                                                                                                        「来て主のみわざを見よ」
                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                        「来て、主のみわざを見よ、主は驚くべきことを地に行われた。」(8節)

                                                                                                                                                                                                                                                                        ① 神に近づく
                                                                                                                                                                                                                                                                           「来なさい」との神の招きに従って神に近づくところから神のみわざは始められます。人が神さまとの物理的距離を縮め、信仰的距離をも縮めるなら、心が揺れる時でも神が側近くいてくださるので恐れる事なく、悩みを乗り越えることができるのです。いつも神に近づき、神の川にその根が伸びている人は幸いです。
                                                                                                                                                                                                                                                                        ② 静まって
                                                                                                                                                                                                                                                                           大切なもう一つの姿勢は静まることです。「静まって」無駄な人間的工作をやめ、自己中心的で肉的なあがきにピリオドを打ち、自分の情と欲とを十字架に付けて、神のいのちに生かしていただくことです。ヤコブは押しのける者で、兄エサウとの争いの中で様々な策略を巡らせましたが、その心に平安はありませんでした。彼は追い込まれ、神と一晩中組み打ちをし必死に抵抗しましたが、ついに自我とプライドを捨て、すべてを神に委ね謙って兄のもとに行きました。するとそこで驚くべき和解の体験をすることになるのです。 人間の知恵や策略よりも、はるかに優る神のみわざに期待する人は幸いです。


                                                                                                                                                                                                                                                                          【2019年1月20日】
                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                          マタイによる福音書13章24~30節
                                                                                                                                                                                                                                                                            題
                                                                                                                                                                                                                                                                          「最後まで神の時を待つ」
                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                          「収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう。」(30節)

                                                                                                                                                                                                                                                                          ① 油断することなく
                                                                                                                                                                                                                                                                             「収穫の時」とは、世の終わり、すべての人の労苦が報われる喜びの時です。畑に毒麦が蒔かれても静かに収穫の時を待ちましょう。神は人類を愛し、最善の事をしてくださるお方だからです。もし抜かなければならないとするなら、自分の心の中の毒麦を抜きましょう。「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉はこれから流れ出るからである。」(箴4:23) 命の泉に信仰の根を伸ばし、主イエスの十字架の赦しをいただき、毎日新鮮なみことばの糧をいただきましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                          ② 天の父のみこころ
                                                                                                                                                                                                                                                                             「毒麦を抜かないで、収穫の時まで待つ」これは農業の世界ではあり得ません。しかし、「人を育て、教会を建て上げる」には、急いで決着をつけてはいけないのです。あの人は善、あの人は悪とすぐにレッテルを貼ってはいけないのです。間違って良い麦を抜いてしまわないように。また、毒麦でもいつ良い麦に変わるかもしれないからと、天の父は忍耐強く待ち、期待されているのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                            【2019年1月13日】
                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                            詩篇16篇1~11節
                                                                                                                                                                                                                                                                              題
                                                                                                                                                                                                                                                                            「満ちあふれる喜び」
                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                            「あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。」(11節)

                                                                                                                                                                                                                                                                            ① 人を敬う
                                                                                                                                                                                                                                                                               満ちあふれる喜びは、「地にある聖徒はすべてすぐれた人々である。」(3節)とありますように、人を尊敬し愛する所に存在します。人を憎んだり恨み嫉んだりする所に喜びはありません。今、世の中は間違った方向に向かっているのではないでしょうか。「敵を愛し迫害する者のために祈れ」=善をもって悪に勝つ。「目には目を歯には歯を」=復讐にストップを。これらを忘れず、みことばに従って愛そうと思うなら、神は必ず聖霊によって力を与えて下さいます。
                                                                                                                                                                                                                                                                            ② 神の前にへりくだる
                                                                                                                                                                                                                                                                               人を敬うと共に神を敬う事が喜びに満ちあふれる秘訣です。自分の利益のために平気で神を取り替える時代の中で、「あなたのほかにわたしの幸いはない。」と告白し、「主はわたしの嗣業」とありますように、信仰の財産、その富の大きさに気づいていただきたい。


                                                                                                                                                                                                                                                                              【2019年1月6日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                              マタイによる福音書28章16~20節
                                                                                                                                                                                                                                                                                題
                                                                                                                                                                                                                                                                              「神 われらと共に」
                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                              「あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。」(20節)

                                                                                                                                                                                                                                                                              ① クリスチャンの使命
                                                                                                                                                                                                                                                                                 イスカリオテのユダが裏切り抜けた後、他の弟子たちの中にも疑い、逃げ、失敗する者がいました。主イエスは、それらの弟子たちをもう一度ガリラヤに集めて再出発させようと彼らに近づいて行きました。まず、ご自分の権威を示し、強制力ではなく霊的に、彼らの納得と信頼に基づいて教え、聖書全体から生活の方法を学び、愛の宝石で身を飾り、その後ろ姿を見せて人々を導いて行くという使命を与えられたのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                              ② あなたがたと共に
                                                                                                                                                                                                                                                                                 人が大きな使命を担うとき、自分を見るとがっかりしますが、キリストを見上げると勇気が湧いて来ます。主は天地万物を支配され、私たちのために十字架で命を捨てて罪の赦しを与え、天国への道を開いてくださったからです。「世の終わりまで」にはいろいろな時代があります。しかし、キリストはいつも私たちと共にいてくださいます。安息を与え、祈りに答え、みことばに伴うしるしを与えてくださるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                【2018年12月30日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                マタイによる福音書13章1~9節
                                                                                                                                                                                                                                                                                  題
                                                                                                                                                                                                                                                                                「良い地に落ちた種」
                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                「ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。」(8節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                種まきが蒔いた四つの種が落ちた場所は人の心の状態を表しています。つまり、傷ついた心、我儘な心、世の思い患いに捕らわれている心、素直な心などです。他の三つは無駄になりましたが、良い地に落ちた種は、素直にみことばを信じて多くの実を結びました。私たちも良い地となり、神の恵みをたくさんいただきましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                日本の伝道は福音の種を蒔いてもなかなか実を結ばないと、よく言われますが、それは主イエス様の時代も同じで、神の国を宣べ伝えても、人々は見えない天国をなかなか信じようとはしませんでした。しかし、それでも主は一粒の麦となって十字架で死なれ、天国への道を用意されました。私たちも「あなたがたの労苦は無駄になることはない。」との約束を信じてみ言葉の種を蒔き続けましょう。


                                                                                                                                                                                                                                                                                  【2018年12月23日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                  ルカによる福音書2章6~20節
                                                                                                                                                                                                                                                                                    題
                                                                                                                                                                                                                                                                                  「クリスマスのさんび」
                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                  「羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか。」と、互に語り合った。」(15節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                  ① 主のお知らせくださった出来事
                                                                                                                                                                                                                                                                                     なぜキリストは飼葉桶に寝かされる事になったのでしょうか。それは人々が人口調査で忙しく、ベツレヘムでお生れになった方がどなたかを知らなかったからです。しかし、そのような状況でも、神は人々を愛するがゆえに神のひとり子イエス・キリストをこの世にお遣わしになりました。神がお知らせくださった出来事とは、①救い主イエス・キリストがこの世に遣わされたこと。②神のみこころに従う事が最善であると信じる人々によって、この世に真の平和がもたらされるということです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                  ② さあベツレヘムへ行って
                                                                                                                                                                                                                                                                                     「神の愛と平和」を自分自身のものとするためには、「さあ、行って見て来よう。」という神への応答が必要です。羊飼いたちは一軒一軒根気よく尋ねて、ようやく飼葉桶に寝かせてある幼な子を捜し当てました。人々からならず者扱いされていた彼らが、救い主に出会って心が造り変えられ、神を賛美しながら帰って行ったのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                    【2018年12月9日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                    マタイによる福音書1章1~6節
                                                                                                                                                                                                                                                                                      題
                                                                                                                                                                                                                                                                                    「主イエスはわれらの仲間」
                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                    「キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。」(5節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                    ① キリストの系図の意味
                                                                                                                                                                                                                                                                                       「イエス・キリストの系図」(1節)を見れば、キリストは客観的な戸籍を持つ歴史上の人物であることがわかります。イエス・キリストはアブラハムのように全世界の祝福の基となり、ダビデのように王となり、まことの平和を与えるお方です。人類は神に背を向け神の祝福を失いましたが、神は決して人々を見捨てず、この系図の中に4人の女性を入れ、キリストをこの世に遣わし、人々の罪を贖うために十字架の道を用意し、キリストは十字架の死に至るまで従順に従い、神の愛を表しました。
                                                                                                                                                                                                                                                                                    ② キリストの心を心として
                                                                                                                                                                                                                                                                                       ピリピ2の5の文語訳は、「キリストの心を心とせよ。」です。キリストの心とは、「おのれをむなしうして」自我をささげ、「しもべのかたちをとり」仕える人となり、「人と異ならず」弱さや不自由さを味わわれ、罪人の救いのために十字架に至るまで従う姿勢です。私たちも「神のみ心であるなら、どんな事でも喜んで従います。」という信仰で進みたいものです。そこに神の栄光が表われます。


                                                                                                                                                                                                                                                                                      【2018年12月2日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                      ルツ記1章15~22節
                                                                                                                                                                                                                                                                                        題
                                                                                                                                                                                                                                                                                      「神のみぞ知るご計画」
                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                      「そしてふたりは旅をつづけて、ついにベツレヘムに着いた」(19節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                      ① ベツレヘムに帰る
                                                                                                                                                                                                                                                                                         エリメレク一家は飢饉のため故郷ベツレヘムを出てモアブの地へ移住しました。しかし、そこでエリメレクと息子二人が死に、妻ナオミと二人の嫁が残されました。この大きな悲しみと不安の中、ナオミと嫁のルツは故郷に戻って来たのでした。実は、これらの出来事の背後には、この地上に救い主を送り、人類を罪から救いたいと願う神の愛のご計画がありました。やがてルツはボアズと結婚し、息子オベデが生れ、エッサイ、ダビデ・・やがてイエス・キリスト誕生へと向かいます。同様に、すべての人の人生の背後にも、その人を幸せにしたいと願う神のご計画があることを信じましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                      ② 信仰によって
                                                                                                                                                                                                                                                                                         姑ナオミは嫁ルツの将来を思い、実家に戻って新しい人生をやり直すよう説得しましたが、ルツは「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神」と言ってナオミから離れようとせず、将来の事をすべて神さまにお任せしてベツレヘムまで着いて来ました。どこまでも神に従う人に、神は祝福をもって報いられるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                        【2018年11月25日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                        マタイによる福音書7章15~29節
                                                                                                                                                                                                                                                                                          題
                                                                                                                                                                                                                                                                                        「岩を土台とする人生」
                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                        「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。」(24節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                        ① 人生には必ず嵐が・・・
                                                                                                                                                                                                                                                                                           「雨が降り、洪水が押し寄せ」(25節)という天災・人災・予期せぬ病気。また、人生最大の嵐として「死と死んだ後の神の前でのさばき」(ヘブル9:27) 。さらに、にせ預言者(異端)という嵐。彼らは聖書がはっきりと言っていない事をはっきりと語り、聖書がはっきりと語っている事を語りません。それらの嵐に惑わされることなく、私たちはキリストの十字架に表された神の愛と罪の赦し、よみがえりによる永遠の救いという確かな土台の上に立ちましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                        ② 土台に心を用いる
                                                                                                                                                                                                                                                                                           岩盤層に土台を据えるには、その上にある砂や土を取り除かなければなりません。「地を深く掘り」とありますように、目に見えない所に時間と費用をかけるのです。それは、ひとり神の前に静まり、みことばを自分に当てはめ、罪を悔い改め、キリストの十字架を私のためと信じ受け入れるという行動です。この事をただ聞くだけで終わらないで実行に移すなら、そこから新しい未来と人生が開けて来るのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                          【2018年11月18日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                          マタイによる福音書7章1~11節
                                                                                                                                                                                                                                                                                            題
                                                                                                                                                                                                                                                                                          「求めよ、そうすれば与えられる」
                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                          「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」(7節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                          ① 人をさばくな
                                                                                                                                                                                                                                                                                             「さばく」とは、日常的な他人への悪口・陰口・告げ口のことで、良い人間関係を破壊するものです。「兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にあるはりを認めない。」(3節) これが人間の弱さです。しかし、人間の力で解決できない事もキリストに求めるなら道は開けます。それは丁度、急行列車を追いかけて同じスピードで走ることは無理でも、その列車に乗るなら同じスピードで前へ進むことができるのと同じです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                          ② 求め、捜せ、門をたたけ
                                                                                                                                                                                                                                                                                             幼な子のように単純に祈り求めさえすれば解決する課題があります。また中には、心の中を深く探り、注意深くみことばを学んで初めて解決が示される問題もあります。だから捜すのです。あるいは時として、堅く閉ざされたドアや壁の前に立たされたように感じ、祈ってもどうにもならない問題に出会うこともありますが、そんな時は門をたたき続けなさい。思い通りの物ではないかもしれませんが、その人に一番良いと思う物が神さまから与えられるでしょう。


                                                                                                                                                                                                                                                                                            【2018年11月11日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                            詩篇23篇1~6節
                                                                                                                                                                                                                                                                                              題
                                                                                                                                                                                                                                                                                            「恵みに満ちた生涯」
                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                            「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。」(1節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                            ① 主はわたしの牧者
                                                                                                                                                                                                                                                                                               羊の運命は、その飼い主によって決まります。怠け者の上に、我が儘で思いやりのない羊飼いに飼われている羊は悲惨です。しかし、いざという時には、羊のために命を捨ててもよいと考えている羊飼いのもとにいる羊は幸せです。イエス・キリストは私たちの罪の身代わりとして十字架で死んでくださるほどに、私たちを愛してくださいました。そして、私たちの人生が幸せになるよう導いてくださるのです。このお方が私たちの牧者なのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                            ② いつまでも主が共に
                                                                                                                                                                                                                                                                                               「死の陰の谷」(4節)は、誰もが必ず通らなければならない所ですが、「わざわいを恐れることはない」と語られます。そして、そこを通過すると、いよいよ神さまは天国へと導いてくださいます。天国は安心で恐れがなく、喜びで満ちています。そして私たちは永遠に神さまのみそばに住むのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                              【2018年11月4日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                              マタイによる福音書6章24~34節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                題
                                                                                                                                                                                                                                                                                              「神の国を求める」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                              「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」(33節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                              ① 天の父は
                                                                                                                                                                                                                                                                                                 「思いわずらい」とは心配し過ぎて心が乱れ、仕事が手につかなくなるノイローゼ状態です。しかし、ここに有効な解決法があります。「空の鳥を見るがよい」=じっと見てよく考えなさい。天の父は空の鳥を養ってくださり、野の花を美しく装ってくださいます。ですから天の父への信仰を大きく持ちましょう。野の花は置かれた所で焦らず、思いわずらわず、他の草花と比較しないで、毎日美しく咲いています。私たちもこのように生きましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                              ② 神が喜ばれる生き方
                                                                                                                                                                                                                                                                                                 思いわずらいのもう一つの解決方法は、神が喜ばれる生き方をすることです。そうすれば、神が衣食住だけでなく驚くような祝福を与えてくださるのです。(詩37:25、詩60:12、ヘブル11:6)人にはいろいろな苦労があります。なぜ私だけが・・と思う事もあるでしょう。そんな時は、イエス・キリストが私の重荷を一緒に背負ってくださっていることを信じましょう。(マタイ11:28、イザヤ53:4)イエス・キリストは世の終わりまでいつも共にいてくださるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                【2018年10月28日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                マタイによる福音書6章9~15節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                  題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                「人生の勝利の祈り」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。」(9節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                ① 神の栄光のために
                                                                                                                                                                                                                                                                                                   主の祈りの前半は、神の栄光のために祈りなさいと教えています。その理由は、とかく人間の祈りは自己中心的で、自分の利益のために祈りがちです。しかし、神さまの驚くようなみわざを見たいと願うなら、へりくだって神を心の王座に迎え、神さまのみ心のままにしてくださいという祈りでなければなりません。文句を言わず、疑わないで、神さまの栄光が表されますようにと祈る事が一番大切で、豊かな祝福をいただく近道なのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                ② 私たちの幸せのために
                                                                                                                                                                                                                                                                                                   主の祈りの後半は、私たちの幸せのために祈りなさいと教えています。欲深くならないで、今日一日の食べ物が与えられたら満足ですというように、へりくだって神を信頼するのです。そして、キリストの十字架の贖いを私の罪のためと信じ受け取り、罪が赦されたなら、心が造り変えられ、こんな私でも赦されたのだからと、他の人の罪を赦すことができるようになるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                  【2018年10月21日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                  マタイによる福音書6章1~8節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                    題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「輝く奉仕の秘訣」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れたことを見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」(4節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ① 父なる神の報い
                                                                                                                                                                                                                                                                                                     神に喜ばれる奉仕とはどのようなものでしょうか。「あなたがたの働きや、あなたがたがかつて聖徒に仕え、今もなお仕えて、御名のために示してくれた愛をお忘れになる事はない。」(ヘブル6:10)とありますように、父なる神からの報いを期待して喜んでささげる奉仕です。私はこれだけしているのに・・と、「自分の正しさ」や「自分がした奉仕や捧げ物」に気を取られていると、神様からの祝福を失ってしまいます。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ② 祈る人になる
                                                                                                                                                                                                                                                                                                     すべての人の一番美しい姿、それは手を合わせて神に祈る姿です。その祈りは人に聞かせるものではなく神にささげるものです。「自分部屋に入り」=神と一対一で向き合う。「くどくどと祈るな」=時間の長さや言葉の多さで祈りが答えられるわけではない。「必要はすべてご存知」=安心してどんなに貧しい祈りでも幼な子のように信頼して祈ること。このように祈る人の奉仕は輝くのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                    【2018年10月14日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                    マタイによる福音書5章38~48節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                      題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「神の愛とは」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」(44節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ① 悪人に対する愛
                                                                                                                                                                                                                                                                                                       人の心を失い、常軌を逸した人に対して手向かうな、相手にするなと、ここでは語っています。「右のほほを打たれたら左も向けよ。」とは、軽くいなしなさいという事です。また、当時のローマ軍の支配の中で、突然、理不尽な命令が下されたとしても、その通りにしなさいというのです。神を信じる私たちの姿勢は、「自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。」(ローマ12:19) 「悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。」(同12:21) のようにあるべきと思います。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ② 敵に対する愛
                                                                                                                                                                                                                                                                                                       敵と思われる人に対しては、すでに神様はお手本を示しておられます。私たちが弱く、罪人であり、神に敵対していた時に、すでに神は私たちの救い主として、イエス・キリストをお遣わしになりました。そして、「一人も滅びないように」「いつかどこかで罪に気づいて悔い改めるように」「未来を信じて待ち続けて」くださいました。人は急には変わりません。しかし、私たちも人々のために神さまが示してくださった忍耐をもって祈り続けるなら、ゆっくりと確実に変えられて行くのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                      【2018年10月7日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                      マタイによる福音書5章11~16節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                        題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「地の塩、世の光」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「あなたがたは、地の塩である。・・・あなたがたは、世の光である。」(13節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ① 地の塩
                                                                                                                                                                                                                                                                                                         「塩」は良いものです。料理を味付けし、腐敗を防ぎ、甘さを引き立たせ、野菜を色鮮やかにします。つまり塩は、自分を捨てて相手を生かすもので、クリスチャンの生き方のお手本でもあります。私たちは神の救いにあずかって喜びと平安に満たされ、自我が砕かれたなら、それから先は、まわりを生かすための人生として神さまに用いられるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ② 世の光
                                                                                                                                                                                                                                                                                                         月は自分で輝くことはできませんが、太陽の光を反射して美しく輝いています。クリスチャンもキリストの恵みを受けると、その存在そのものが、まわりの人を明るくします。クリスチャン一人一人はキリストの肢体です。「不必要な人はひとりもなく」「からだのうちで他よりも弱く見える肢体が返って必要である・・」(Ⅰコリント12:22)とありますように、弱く見える肢体には、神さまが特別に、「寛容、へりくだり、思いやり、真理を喜ぶ、未来を信じる」等の愛の宝石を与えて装ってくださるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                        【2018年10月1日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                        マタイによる福音書4章1~11節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                          題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「人生の海の嵐に」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。」(11節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ① 主イエスがすでに勝利されたのだから
                                                                                                                                                                                                                                                                                                           ○イ みことばを優先させる・・欲ばった行き方は幸せをもたらしません。おいしそうな餌の中には鋭い針が隠れています。それよりも、神様のお心やご計画を優先する方が幸せへの近道です。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                         ○ロ コツコツみことばに従う・・・人からの賞賛を目的とするような生き方ではなく、良い事も悪い事も感謝し、どんな時にも神を信頼する生き方には豊かな祝福が伴います。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                         ○ハ 今、思い切って主に従う・・・ぐずぐず考えないで、思い切って決断して主に従いましょう。もし失敗しても神は何度でもチャンスを与えて、きよめられる道を備えてくださるのですから。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ② み使たちに守られて
                                                                                                                                                                                                                                                                                                           「み使は主を恐れる者のまわりに陣をしいて彼らを助けられる。」(詩34:7) 目に見える仲間の助けと共に、目に見えないみ使という仲間にがっちりと守られて、ラザロはアブラハムのふところに送られました。(ルカ16:22) 私たちも同様に、み使の守りをいただきながら人生の海の嵐を乗り越えて行きましょう。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                          【2018年9月24日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                          マタイによる福音書3章1~12節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                            題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「プライドを捨てて」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。」(9節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ① アブラハムの子
                                                                                                                                                                                                                                                                                                             パリサイ人は宗教的なリーダーとなり、サドカイ人は政治的リーダーとなりました。彼らは、「自分たちの父はアブラハムである。」とのプライドを持って高慢になり、神の前に謙遜になることはできませんでした。しかし神は、どんな人でもアブラハムの心を持つ人に造り変えることができます。アブラハムは神の言葉に人生を掛け、時には失敗もありましたが、生活の中心に祈りの祭壇を据え、天幕生活を誇りとして天の都を目指しました。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ② 内住のキリストによって
                                                                                                                                                                                                                                                                                                             主イエスはバプテスマのヨハネによって「聖霊と火とによってバプテスマをお授けになる方」(マタイ3:11) と紹介されています。主は十字架によって私たちの罪を赦し、聖霊によって内側から造り変えてくださいます。私たちの自我が砕かれて、栄光の望みであるキリストがすべてとなったとき、「キリストの愛の広さ(寛容) 長さ(忍耐) 高さ(犠牲) 深さ(同情)によって、これからの生活と働きの必要はすべて備えられる。」との信仰に立つことができるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                            【2018年9月17日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                            マタイによる福音書11章25~30節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                              題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「わたしのもとにきなさい」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」(28節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ① 重荷をキリストに
                                                                                                                                                                                                                                                                                                               ここで言う「重荷」は、無理に背負わされていて投げ捨てることができないもの、そして、その重荷にはいろいろな種類があります。「苦労している者」、これは苦労が重なって疲れ切っている人の事で、一晩休んだくらいでは回復せず、立ち上がることができないほどの疲れを言っています。さらに、この重荷はうっかり人には相談できません。カルト集団に捕まりマインド・コントロールされては大変です。ですから、イエス・キリストのもとにこの重荷を持って行きましょう。イエスさまと力を合わせるなら、困難に打ち勝つ事ができるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ② くびきを負うてキリストに学ぶ
                                                                                                                                                                                                                                                                                                               「くびき」とは牛馬をつないで主人の考えている目的地に進ませる道具です。イエスさまとくびきで繋がれ、みこころの道を進みましょう。「学ぶ」とは弟子になることです。キリストの言葉に従うと大きな祝福があります。「兄弟の愛をもって互に慈しみ、進んで互に尊敬し合いなさい。」とありますように、相手が尊敬してくれなくても、先手を打って尊敬すると、そこに祝福があるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                              【2018年9月9日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                              黙示録1章9~18節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「恐れに勝つ者」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「わたしは彼を見たとき、その足もとに倒れて死人のようになった。すると、彼は右の手をわたしの上において言った、「恐れるな。わたしは初めであり、終わりであり・・」(17節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ① イエスがいつも共に
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 信仰のゆえにローマ帝国から迫害を受け、パトモス島に流され、そこで礼拝をしていたパウロに、真理の御霊である聖霊が語りかけました。主イエスは「七つの金の燭台」のように、全世界の教会の真中に立ち、教会のために取りなしの祈りをささげ、クリスチャン一人一人を支えていると。だから私たちは、たとえ一人ぼっちになったとしても、厳しい試練の中を通され、死の陰の谷を歩むような事があったとしても、主イエスがいつも一緒にいてくださるので「大丈夫」と告白できるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ② 主イエスの励ましを受けて
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 「その足もとに倒れて死人のようになった」(17節)自我が砕かれ自分の罪に気づくと、主は右の手を置いて私たちを励ましてくださいます。パウロもダマスコ途上で突然天から光が差して地に倒れました。同じ体験です。我が儘を捨てて罪を告白したなら、罪が赦され、神の愛がわかり、新しく造り変えられて、主イエスの励ましを受けながら人生を歩むことができるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                【2018年9月2日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                詩篇9篇8~20
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「神を求める者の祝福」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「み名を知る者はあなたに寄り頼みます。主よ、あなたを尋ね求める者を あなたは捨てられたことがないからです。」(10節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ① 悩みの時の砦
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   ダビデは少年時代に羊飼いとして羊を守るために獣と戦いました。また、ペリシテの巨人ゴリアテと戦い、その勝利によりサウル王に嫉まれ、命を狙われ、逃げ回った事もありました。やがて壮年になり、息子アブサロムに裏切られ、最後にはサタンの誘惑と戦いました。しかしその度に、神の砦に逃げ込み助けられました。彼は、どんな攻撃が仕掛けられても、常に公平な裁きをなさる神様にお任せしていたのです。私たちも神を知る者となったのですから、祈りの砦に逃げ込んで真の平安をいただきましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ② 決して捨てられない
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   主を賛美し、みことばを宣べ伝える人を、神は決して見捨てられることはありません。また神は、苦しむ者の叫びをお忘れになりません。私たちが神を忘れても、神は私たちをお忘れにはなりません。心の貧しい者、すなわちへりくだって自分の弱さを認める人には、神の救いの御手が差し伸べられるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  【2018年8月26日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ルカによる福音書15章11~23節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「あなたはどこにいるのか」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。」(24節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  『あなたはどこにいるのか』とは(創世記3章8~9節)、ここに登場する弟にも兄にも問いかけられています。それは、憐れみの神による私たちひとり一人に対する問いかけでもあります。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ① 主のもとで生きているか 11~24節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     弟息子に代表される人間の姿は、神を無視した自己中心的な生き方を現しています(13節)。その自分の間違いに気づかせられた者は、神のもとに立ち帰ろうとします(17~19節)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  神は、そのような者を憐れに思って走り寄るようにして、無条件に迎え入れてくださいます(20~23節)。ここに、神の愛による新しい生き方と神と共に生きる豊かな生活があります(24節)。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ② 主との交わりに生きているか 25~32節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     ここには、兄息子に代表されるもう一人の放蕩息子がいます。彼は仕方なしに神に仕える冷淡で傲慢な信仰者の姿を現しています(28~30節)。それは、共にいてくださる神との交わりを持たないでいる状態です。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   憐れみの神は、ご自身のみ思いを知らせ、いかなる時もご自身との交わりを持ち続けたいと招かれているのです(31~32節)。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    【2018年8月19日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ユダの手紙17~25節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「神の愛に守られて」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「神の愛の中に自らを保ち、永遠のいのちを目あてとして、わたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。」(21節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ① イエス・キリストの中に
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       神さまはすべての人を愛しておられ、守ってくださるお方です。しかし、神を知らず、十字架を知らず、罪の悔い改めもしていないなら、神さまの愛にも守りにも気づくことはできません。まず、心から罪を悔い改めて、「キリストの十字架は私のため」と信じましょう。そして、自己中心のわがままな生活から離れ、神さまに感謝する生活へと変えていただけるよう祈りましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ② 神の愛の守り
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       神さまは私たちに、生きる目的と使命を与えるために近づいてくださいます。疑い深いトマスに対しては、復活の主イエスが近づき、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」と諭されました。また、火のような試練に遭っている人には、「わたしが共にいる。」と励まし、憐れんでくださいます。このような神の愛を実際に体験すると、私たちも他の人を憐れみ、赦すことができるようになるのです。神の愛の泉に根を下ろすなら、日照りも困難も乗り越える力が与えられて、豊かな実を結ぶようになるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      【2018年8月12日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      詩篇102篇12~22節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「悩める時の祈り」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「しかし主よ、あなたはとこしえにみくらに座し、そのみ名はよろず代に及びます。」(12節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ① しかし主よ
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         迫害を受け、肉体的にも精神的にも弱り、孤独感に悩む。人の一生の中には、このような経験も含まれているのではないでしょうか。そんな時、「しかし主よ、あなたは・・」と祈るなら、びくともしなかった岩が軽く動いてしまう「テコの原理」のように、目の前の困難がさほど大きなものではなく、何とかなると希望が持てるものへと変わるのです。神さまに対して、「あなた」また、「アバ父よ」と呼べる御子の霊を授けられたクリスチャンは幸いです。この特権を活用して、どんな事でも神さまに頼り、祈りましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ② 変わることのないお方
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         世の中は目まぐるしく変化し、人の心も移り変わります。しかし、キリストの愛は変わらず、神の御目はいつも私たちに向けられていて、必要な時に必要な助けの手が延べられます。「カルバリ山の十字架につきて、イエスは尊き血潮を流し、救いの道を開きたまえり。」これは歴史上の事実です。この十字架を私のためと信じるなら、罪赦されて神の家族の祝福の内に入れられるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        【2018年8月5日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ヨハネの第三の手紙1~11節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「互に仕え合う」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「愛する者よ。悪にならわないで、善にならいなさい。善を行う者は神から出た者であり、悪を行う者は神を見たことのない者である。」(11節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ① 愛する者よ
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           ここでヨハネはクリスチャンたちに向かって、「愛する者よ」と呼びかけていますが、同じように、天地万物を創造された神さまも、放蕩息子のような私たちに対して「愛する者よ」と呼びかけておられます。その呼びかけに応答する人は幸いです。応答した人たちは神さまのいのちに生かされるようになり、「世の楽しみ失せ去れ人の誉れ消え行け 身を置く里 世になしとも わが幸こそイエスきみ」 (賛美歌509) と、賛美できるようになるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ② 仕える者となれ ( 仕え方には四つあります)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           (1)祈りによって:祈りはまわりの人々に恵みを届ける手段です。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         (2)キリストに仕える:人の声に惑わされず、淡々と主に従おう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         (3)生活の中で仕える:普段の生活を通して、まわりの人に愛のわざを届けよう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         (4)試練の中で仕える:自分が頭になりたいと主張すると混乱が生れます。主と共に十字架につけられた者として生活しよう。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          【2018年7月29日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          詩篇130篇1~8節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「謙遜な祈り」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「主よ、わたしは深い淵からあなたに呼ばわる。」(1節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ① 深い淵から
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             自分の力では到底這い上がれない深い淵に落ちたとき、人は、その事実を認めようとはせず、「自分の力でやれる」と、もがきます。しかし、もがけばもがくほど深みにはまり込み、「もうだめだ」と立ち上がることをあきらめてしまうのです。しかし、そうではなく、深い淵から神に呼ばわるのです。人間の力では解決できない罪のために、ひとり子イエス・キリストを遣わし、十字架にかけて人類の罪を贖ってくださいました。私たちはただ素直に謙遜に、「私のため」と受け入れたらいいのです。神の力は私たちを内側から強くして、立ち上がる力を与えてくださるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ② 主を待ち望む
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             神の愛には「慈しみと豊かなあがない」(7節) があります。ですから、忍耐強く主を待ち望むと、みことばによって、傷ついた人は癒やされるのです。パウロは火のような試練の中でも、神に祈り、賛美をしていました。神の助けを待ち望んでいたのです。その信仰に答えて、神の驚くべき救いのみわざが行われました。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            【2018年7月22日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ヨハネの第二の手紙1~11節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「互に愛し合う」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「婦人よ。ここにお願いしたいことがある。それは、新しい戒めを書くわけではなく、初から持っていた戒めなのであるが、わたしたちは、みんな互に愛し合おうではないか。」(5節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ① キリストのいのちによって
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               十二使徒の一人ヨハネは、もともと「ボアネルゲ=雷の子」とあだ名され、短気で怒りをまわりにぶちまけ迷惑をかけていた存在でした。しかし、主イエスの「恵み・憐れみ・平安」をいただいて、穏やかな愛の人へと変えられ、「キリストのいのちによって、互に愛し合おうではないか」と呼びかける人へと成長しました。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ② 愛の戒めによって
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               信仰によって与えられた神のいのちは、何もしなくても、自然に成長して輝くものではありません。神の愛の戒めに従って生活して行くうちに輝いてくるのです。「戒め」とは、人生を束縛するものではなく、祝福へと導くレールのようなものです。「愛の戒め」とは、何回でもやり直しをしながら歩む訓練であり、それによって慰め励まされ、少しずつ整えられ、やがてキリストの命が外に表われるようになり、人々が見て、「どこか違う」と感じるようになるものなのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              【2018年7月15日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              詩篇40篇1~12節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「神を待ち望む人の幸い」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。」(1節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ① 滅びの穴からの救い
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 ダビデはその生涯の中で、幾度も死の危険と隣り合わせになりながらも、その都度、主を信頼して待ち望んでいると、いつのまにか神によって、安全な岩の上に立たせられている事に気づくと、主を賛美しています。この待ち望みには忍耐が含まれています。助けの手がどれだけ遅くとも、それは神のご計画であり、時であると信頼し、辛抱強く待ち望む信仰が必要です。人間はせっかちで、すぐに答えを期待しますが、信頼していれば待つことができます。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ② わたしの耳を開かれた
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 「耳を開かれた」とは、神の言葉をよく聞く耳が与えられ、それに従うようになったということです。それはちょうど、奴隷が自由放免の時期になっても、あえて主人の下に留まりたいと願う時に、その耳たぶに穴をあける(出21:6)ように、「神よ、わたしはみこころを行うことを喜びます。」と、どんな事があっても神に従うことを選ぶことです。その時、心が平安に満たされ、その恵みを証しする幸いな人生を送るようになるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                【2018年7月8日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ヨハネの第一の手紙1章1~10節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「喜びが満ちあふれる」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるためである。」(4節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ① 喜びの人生
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   この世の喜びは境遇や物の有る無しで決まりますが、それらは変化するもので、喜びも一時的で消えゆく空しさがあります。しかし、聖書が語る喜びは、「主イエス・キリストとの交わりによる喜び」なのです。人は罪によって神から離れたため、神を愛し人を愛する事ができなくなりました。その愛を取り戻すためにキリストは私たちのもとに来てくださり、私たちの罪を赦し、神の子としてくださり、その生涯を共に歩んでくださる存在となってくださったのです。共にいます主は最良の相談相手、必要な知恵を与え、思い願いを理解し、慰め励まし、生涯にわたって必要な助けを与えてくださる神さまです。この喜び以上のものがあるでしょうか。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ② いのちある人生
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   人は嘘をついたり、盗んだりします。聖書は、人の内側に嘘をつく性質や盗む性質があるので、そのような事をしてしまうのだと語っています。つまり、内なる性質が外に現れているのです。しかし、主イエスの十字架は私のためと信じ、神の前に自分の罪を心から悔い改めるなら、その罪は赦され、内側が新しくされ、新しいいのちに生かされて、もう罪を犯したくないと思うようになるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  【2018年7月1日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  詩篇33篇9~22節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「神の民の幸い」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「主をおのが神とする国はさいわいである。主がその嗣業として選ばれた民はさいわいである。」(12節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ① 神の計画に従う人
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     世界にはいろいろな国があります。自由を楽しめる国もあれば、自由を抑圧される国もあります。それは、その国を支配している人によって決まります。私たちの神さまは正義と公平と慈しみに満ちたお方です。このような神に支配された時、そこが天国のようなすばらしい場所になるのです。この世界の歴史は偶然や無意味な繰り返しではなく、「主のはかりごとはとこしえに立つ」(11節)とありますように、真実な神の御心がなされて行く舞台なのです。この神のご計画に従う人は幸いです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ② 神の民の祝福
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     神の顔を避けて逃げるアダムとエバに対して、やさしく「あなたはどこにいるのか。」(創3:9)と呼びかけ、また、サライの顔を避けて逃げるハガルに対しては、み使いを通して「主はあなたの苦しみを聞かれたのです。」(創16:11) と語りかけ、レプタ二つのささげものをしたやもめの献金を喜ばれるように、主は常にその民を見つめ守っておられます。このような神を信頼し、「主を待ち望む」ことによって祝福をいただける信仰の道をこれからも進みましょう。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    【2018年6月24日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ペテロの第二の手紙1章1~11節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「力の限りをつくして」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「それだから、あなたがたは、力の限りをつくして、あなたがたの信仰に徳を加え、徳に知識を・・・」(5節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ① キリストとの交わり
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       人生の試練を乗り越える秘訣は、「キリストを愛すること」であると、ペテロは自分の体験から証しし、さらに、人生の中で継続的にキリストの愛を体験することが大切であると語りました。たとえ「からし種一粒ほどの信仰」であっても、それは神から与えられた尊い信仰ですから、その信仰を持ち続け、生涯にわたって礼拝や祈り、聖書を読んで神の愛を深く知り、また、横の交わりを通して、神がいかに人々を分け隔てなく愛しておられるかを知ることは大切です。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ② 力の限りをつくして
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       「力の限りをつくす」というと、がんばって努力するというイメージですが、ここではそうではなく、小さな信仰でも、その信仰に徳・知識・節制・忍耐・兄弟愛・愛などを加えて行くなら、神はそれを育てて豊かな信仰へと成長させてくださいます。「種を蒔く」ということは、自分のできる奉仕を一生懸命して、後は神さまにお任せし、神がどのように働かれるかを期待しながら待ち望むことです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      【2018年6月17日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      詩篇65篇1~13節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「神の恵みを見る人」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「あなたに選ばれ、あなたに近づけられて、あなたの大庭に住む人はさいわいである。われらはあなたの家、あなたの聖なる宮の恵みによって飽くことができる。」(4節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ① 聖所で神の栄光を見る
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         神はすべての人を救いに招かれますが、その招きに応答した人が、本当に選ばれた人と言えるでしょう。神の近くにいるということは、神の大庭にいることです。神の大庭には祭壇と洗盤とが置かれています。それは、肉欲が焼かれ、自我が砕かれ、清められるためです。人間の悩みの原因は自我(わがまま)です。自分だけが正しいと思い他人の間違いが赦せず、口からは文句ばかりが出て来ます。しかし、私たちが常に神の大庭にいるなら、少しずつゆっくりとではありますが、気づき、修正され、神に喜ばれる者へと変えられて行くのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ② 生活の中で神の恵みを見る
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         聖所で神の恵みを見た人は、生活の中でも神の恵みを見ることができるようになります。神は、「騒ぎを静めて」(7節)人々の間に平和をもたらし、「神の川は水で満ちている」と、すぐそこにある豊かさに気づかせ、遂には、「恵みをもって飽き足らせ」(4節)てくださるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        【2018年6月10日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ペテロ第一の手紙1章1~12節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「試練を乗り越える」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども、信じて、葉につくせない、輝きに満ちた喜びにあふれている。」(8節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ① 人生と戦い
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           人生に苦労は付きものです。誰の人生にも戦いや試練はあります。聖書は三つの戦いについて記しています。①自我との戦い:「自分を捨て自分の十字架を負うてわたしに従ってきなさい。」(マタイ16:24) とのみことばに従うことによって勝利します。②この世との戦い:しもべは主人に仕え、妻は夫に仕え、夫は妻を尊ぶ等、お互いにへりくだることによって実現します。③サタンとの戦い:私たちの心の隙に入って来て苦しめるだけでなく、遂には滅ぼすために働いているのです。常に神を避け所としましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ② 勝利の秘訣
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           人生の戦いに勝利する秘訣は、神さまに信仰の目を向けることです。目の前の戦いにばかり目が行っていると、良い判断をすることはできません。冷静になって神さまの導きを仰ぎましょう。たとえ間違った判断をしても、神さまにつながっているなら、あのペテロのように、もう一度、回復の恵みが与えられるチャンスがあるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          【2018年6月3日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          詩篇62篇1~12節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「神を待ち望む」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。」(8節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ① 健全な信仰生活
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             「いかなる時にも神に信頼せよ。」これが健全な信仰生活の姿です。困った時だけ神に頼ったらいいと思っていても、常日頃から祈っていないと、いざという時に神を信頼するお祈りは出てこないのです。心の重荷を神に申し上げ、心からなる罪の悔い改めがなされた時に初めて、神様に接ぎ木されるように、心が神様にぴったりと付いて一つとなるのです。すると、神さまから救いの恵みが流れて来て、まさに内面が変わり、人生と価値観が変わり、生活に革命が起るのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ② 神を待ち望む
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             「わが魂はもだしてただ神を待つ」(1節) とは、悪あがきをやめて、黙って神の声を聞き、神に信頼するということです。神を待ち望むとは、「神のなさる事は皆その時にかなって美しい。」(伝3:11) と、忍耐して神の時を待つことです。「あなたのパンを水の上に投げよ。」(伝11:1)のように、今できることを精いっぱいして神の時を待つ。すると、驚くような神のみわざを刈り取ることになるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            【2018年5月27日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ヤコブの手紙1章1~16節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「神のみ前での謙遜」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「試練を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。」(12節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ① いのちの冠
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               「試練を耐え忍ぶ」とは、「じっと我慢する」と言うより「へりくだる」という意味合いです。主イエスは十字架上で非常な罵りを受けました。しかし、「ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。」(Ⅰペテロ2:23)そのへりくだりによって復活の命が与えられ、神の右に上げられ、今は約束の聖霊を信じる者に注いでおられます。隣人に対して、言葉にも心の思いにも、主のみ前で、祈りにおいても常にへりくだりを勧めています。その結果が命に繋がるのですから。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ② 試練を耐え忍ぶ理由
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               最高のものは長い年月をかけて出来上がります。同様に、試練を耐え忍び続けるなら忍耐が生み出され、やがては完全な出来上がった人となります。「試練」と「誘惑」はギリシャ語では同じ言葉で表されていますが意味は違います。神が私たちを良くするために与えるのが試練です。誘惑はサタンと人間の欲から出て来て、やがて人を滅びへと引きずり込むのです。よくよく気をつけましょう。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              【2018年5月20日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              詩篇60篇1~12節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「神を知る者の特権」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「われらは神によって勇ましく働きます。われらのあだを踏みにじる者は神だからです。」(12節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ① 自分の力に頼るむなしさ
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 北から来る敵との戦いで連戦連勝し、少し高慢になっていたダビデに対し、南からエドム人が攻めて来て、イスラエルは一時敗北してしまいました。「神よ、あなたはわれらを捨て、われらを打ち破られました。」(1節) 自分の力に頼り過ぎたのです。この敗北は神からの愛の鞭でした。もう一度、神に立ち帰り、「一つの旗を立てる」(3節)すなわち、祭壇を作り、神の前に真剣に悔い改めの祈りを捧げたのです。回復はここから始まるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ② 神による力ある働き
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 私たち一人一人は、どんな事があっても「神に愛される者」(5節)です。「神は聖所で言われた。」(6節)とありますように、私たちが神の前に礼拝し祈る時に語りかけられます。しかし、自分の力に頼り過ぎていると神の声は心に響いて来ません。へりくだって神に信頼するなら、神は力強く働かれます。現代に生きる私たちの敵は、「罪のとげ」「死の恐れ」「かたくなな心」です。パウロは自分の弱さを知った時、謙遜の限りを尽くし、涙を流し、犠牲を喜びとして奉仕しました。その時、神はすばらしい働きをしてくださったと証ししているのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                【2018年5月13日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ヘブル人への手紙12章1~11節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「イエスを仰ぎ見つつ走る」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。」(2節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ① イエスを仰ぎ見つつ
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   試練や迫害によって後ろ向きな信仰になっているクリスチャンに対して、私たちの人生のゴールは天国であること。そこに至るまで、主は私たちの信仰生活のコーチとして一緒に歩んでくださいますし、困難な時には知恵を与え四方八方から守ってくださいます。だからイエス・キリストを仰ぎ見つつ走ろうと励ましています。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ② 愛による訓練
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   苦しみの背後には必ず神の愛と目的があります。それは愛し合う訓練です。それは、(ア)「言葉を慎む訓練」人は言葉によって互いに傷つけ合います。それを神の前に告白してきよめていただきましょう。舌を制する者は心と体と人生に平安を得るのです。(イ)「謙遜の訓練」自分に加えられた他者からの悪を沈黙し忍耐する。気にしないで聞き流してあげる。(ウ)「聞くという訓練」神への愛は神の言葉を聞く事から始まります。兄弟や他者についても同様です。兄弟の言葉を聞こうとしない人は神の言葉も聞かず、ただ神の前に文句を言うだけの者となるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  【2018年5月6日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  詩篇27篇4~14節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「神の守りの確かさ」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。」(10節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ① 変わらない神の約束
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     「父母がわたしを捨てる。」とは人間の限界を表す言葉です。好きで子どもを捨てる人など、どこにもいません。力の限界でどうしようもない状態だったのです。ところが聖書は、そんな時でも「主がわたしを迎えられる。」と約束しています。神のもとには希望があります。放蕩息子が父に迎えられたように、また、モーセがパロの娘に拾い揚げられたように、神のもとに来れば救われるのです。新約聖書は、神に見捨てられるような罪人でも、キリストの十字架を信じることによって救われると約束します。そして、神の恵み深い取扱いを体験すると言うのです。「ただ主を待ち望め」と語ります。すぐに主の報いがなくても忍耐強く待ちなさい、そうすれば主が答えを出してくださると言うのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ② 神の守りを受ける条件
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     「わたしは一つの事を主に願った。」(4節)とあります。祈り求める事が条件です。神は無理矢理食べさせるような事はなさいません。求めが必要です。「まず神の国と神の義とを求めなさい。」そうすれば、必要な物は、おまけのようにして与えられるのです。神の家族の一員となることで、そこから神のもてなしや保護が始まるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    【2018年4月29日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ピレモンへの手紙8~20節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「有益な者になる道」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「彼は以前は、あなたにとって無益な者であったが、今は、あなたにも、わたしにも、有益な者になった。」(11節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ① 三つの交わりによって
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       人は互いに支え合って生きています。オネシモとは「有益、役に立つ」との意味ですが、彼は実際には主人の金を盗んで逃亡奴隷となり、無益な者となっていました。しかし、ローマでパウロ一行に加わり、そこで福音を聞き、キリストを心の王座に迎え、心が造り変えられました。パウロはオネシモの主人ピレモンに対して、彼を赦し心から喜んで受け入れてほしいと、とりなしの手紙を送っています。人は、祈られ愛され交わりに加えられる事によって、その心が癒やされて行きます。命令は人の心を動かすことはできません。ただ命令された事だけをして、それ以上のことはしないのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ② 神の摂理の御手によって
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       人の目から見れば、オネシモは主人の金を盗んで逃げたと見えます。しかし神の側には、「兄弟として留め置くため」(15節)というご計画がありました。これを神の摂理の御手と言います。愛のゆえに先回りして助けを用意してくださる神がおられることを信じ、十字架の主イエスを見上げて互いに赦し合う時、有益な者となる道が開けてくるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      【2018年4月22日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      詩篇119篇65~72節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「苦難でのみことばの力」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」(71節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ① 苦難の中で
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         苦難は文字通り苦しく、決して幸せな事とは思えませんが、日頃から「あなた」と親しく呼べる神を知っており、何でも相談できる関係を築いているなら、苦難の中で「おきて」や「幸せの法則」を学ぶことができ、その事がしあわせだと語っています。5回に及ぶ大手術から回復し講壇に立った牧師が次のように証ししました。高熱と呼吸困難に苦しんでいる時、主イエスが私の側に立って、「おまえはこの度の苦しみに対して、どうしてこんな目に遭わねばならないのかと自問自答しているのだろう。」と言われ、続いて「わたしは様々な苦しみによって従順を学び、すべての人に対して永遠の救いの源となった。」(ヘブル5:9)との主のみことばに目が開かれた。御子イエスのように、私もこの道を歩むのは当然のことであると。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ② 主のおきてを学ぶ
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         「あなたは善にして善を行われます。」(68節)このように主を信頼することが幸せの道です。信仰こそ神の恵みの宝庫を開くカギなのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        【2018年4月8日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        詩篇95篇1~11節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「やわらかい心で」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「あなたがたは、メリバにいた時のように、また荒野のマッサにいた日のように、心をかたくなにしてはならない。」(8節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ① やわらかい心で
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           心は全身の司令塔であり、心が手足を動かしています。心が本気になると不可能と思えることも実現します。ですから、心がキリストを受け入れ、キリストに住んでいただくと神のみわざが現れます。やわらかい心とは主に向かう心です。老人は過去の栄光に生き、若者は未来を夢見ます。しかし、人は悩みのために今日という日に絶望しやすいのです。キリストは私たちの罪のために身代わりとなって十字架で裁きを受けてくださいました。心の奥にある隠された罪を告白し、やわらかい心でキリストの救いを受け入れましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ② 心をかたくなにするな
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           強情になると神の声が聞こえにくくなり、文句が多くなります。イスラエルの民は荒野の40年の旅の間、不平不満ばかりを言ったため、心の平安を失ってしまいました。人の心は油断しているとわがままになって行きます。放蕩息子は自分のわがままに気づき、神と父の前に心から悔い改めた時に、予想もしなかった回復と祝福が与えられました。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          【2018年4月1日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          マタイによる福音書28章1~10節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「復活の主イエスに会う」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。」(6節) (5節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ① イエスの所へ
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             主イエスに従っていた女たちは、十字架の後、悲しみながらもイエスの墓を見に来ました。どんな時でもイエスの所に行く人々には祝福があります。御使いは先回りして墓の石をころがし、「かねて言われたとおり」と、旧約の預言で語られた神の愛の救いの計画が実現したことを宣言しました。イエスは甦られたのです。人間の最後の敵である死を滅ぼしたことを証明するために甦えられたのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ② 復活の主イエスの恵み
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             復活の主イエスはガリラヤで弟子たちに会うと約束されました。差別され苦しめられていたガリラヤに神の救いの光が当てられたのです。挫折した人に回復を与える力は神さまから来ます。羽鳥純二牧師は、教会で初めて復活の話しを聞いた時、「復活は信じられないが、復活の信仰が教会と弟子たちとを回復させる力であることはわかった。だから、私にも回復の望みがあるかもしれないと信じて洗礼を受け主に近づいた。そこから主イエスの驚くべき恵みを体験した。」と証ししました。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            【2018年3月25日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            詩篇22篇1~11節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「苦悩から賛美へ」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「しかし、イスラエルの賛美の上に座しておられるあなたは聖なるお方です。」(3節) (5節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ① あなたは聖なるお方
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               「聖なるお方」という言葉には二つの意味があります。第一は、人の思いや常識を越えた力を表す方ということ。第二は、ひとり子イエス・キリストを十字架につけ、人類の罪の身代わりとしてさばき、人々に赦しを与えるお方ということです。苦しみに会った時、人は自分を責め、他人を責め、神を責めてしまいやすいものです。しかし、そこには本当の解決はありません。そんな時には聖なる神さまに近づいてください。近づくと行ってもどうやって・・?神に祈るという事は神に近づくということです。「私の神さま」と呼んで祈って近づいてください。そしてさらに、「わたしの思いではなく、みこころのままに。」と祈って結果を神さまにお委ねするなら、すばらしいみわざを見ることができます。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ② 幼な子のように神に信頼する
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               幼な子とは、単純で素直で疑わず、弱く何もできなくても「お父さん」と呼んで近づきます。この姿勢が大切なのです。そのように素直に神を信じ信頼する人には、神さまの力が表わされます。困った時にはそのような心で近づきましょう。きっと助けてくださいます。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              【2018年3月18日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              テモテへの第二の手紙4章5~18節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「満ち足れる祝福」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。」(8節) (5節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ① 困難を乗り越える
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 「世を去る日」すなわち、私たちが人生のゴールにたどり着いた時、そこは天国の門であって、長い人生の様々な重荷から解放されて、神さまから満ち足れる祝福をいただく時です。そこに至る長い人生の間には、「恐れ」、「孤独」、「落胆」、「迫害」など、いろいろな困難がありますが、それらを乗り越えて自分の務めを全うしなければなりません。「戦いをりっぱに」とは、ルールに従って戦うということ、また、多くの犠牲を払った分は多くの結実によって自分に返って来ます。キリストにしっかりとつながり、キリストを心の王座にいつも置いて生活するなら、これらのことを成し遂げることができるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ② 満ち足れる恵み
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 寒さにふるえる獄中からパウロは助けを求めました。私たちも求めを神さまに申し上げましょう。必要な助けは必ず与えられます。また、大いに苦しめられたり、捨てられたりと様々な苦難にも遭いましたが、恨みをいだかないで神に委ねました。相手を赦す心や寛容さは神からの賜物です。私たちも同じ恵みにあずかりましょう。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                【2018年3月11日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                詩篇112篇1~10節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「主の恵みに生きる人」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「彼は悪いおとずれを恐れず、その心は主に信頼してゆるがない。」(7節) (5節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ① 主をほめたたえよ(ハレルヤ)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   「主のみわざは偉大である。」と知る事は祝福です。しかし、そのみわざを自分で体験する事はもっとすばらしいことです。この神さまの恵みに生きる人は主をほめたたえます。すると子孫が強くされ、繁栄と富とが添えられ、「わたしを強くしてくださる内住のキリストによって」(ピリピ4:13) 何事でもすることができます。また、「まず神の国とその義とを求めるなら」(マタイ6:33) 物質的必要は添えて与えられ、神の光の中を歩むなら御子イエスの血がすべてを清めてくださるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ② 悪いおとずれを恐れない
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   残念ながら、「悪いおとずれ」は誰にでもやって来ます。しかし、主を信頼する人は、神が、「万事を益として下さる」(ローマ8:28)こと、「逃れる道が備えられている」(Ⅰコリント10:13) こと、「神はひとり子を賜ったほどに」(ヨハネ3:16)私を愛してくださっていること、そして、「平安が与えられる」(ヨハネ14:27)ことを知っているので、動揺することはありません。悪い事が続くと人はいろいろと考えがちですが、神が与える苦しみの奥には、神の愛とご計画がある事がわかって来ます。どこまでも主を信頼しましょう。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  【2018年3月4日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  テモテへの第一の手紙1章12~20節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「ゆだねられた栄光の福音」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来て下さった。』という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである。」(15節) (5節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ① 栄光の福音
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     キリストを罪からの救い主と信じて心にお迎えすると、主イエスの暖かい眼差しによって私たちの心は強くされます。神は、私たちが必ず成長すると信じて、いつも傍らで忍耐強く見守っていてくださいます。使徒パウロは、かつては神をそしる者でしたが、神はその忠実さを見抜いて栄光の福音を委ねられました。それは、「わたしは罪人の頭なのである。」とのパウロの告白を聞いたからです。もしもパウロが、「自分は間違ってはいない、他の人が悪い。」と言い張ったなら、罪の赦しと永遠のいのちは与えらなかったでしょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ② 委ねられたものを守る
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     委ねられた栄光の福音を次世代に受け継いでもらうなら、同時に神のいのちも受け継がれて行きます。受け継いでもらう方法は、模範となることです。罪人の頭であっても、罪の悔い改めと主の十字架を信じることにより救われた喜びを動力とし、神に仕え、神のみこころが成るようにと生活することです。この救いの恵みを自分だけのものとせず、次世代に引き継がれるように、良い見本となって自らをささげましょう。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    【2018年2月25日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    詩篇41篇1~13節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「あわれみ深い人たち」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    貧しい者をかえりみる人はさいわいである。主はそのような人を悩みの日に救い出される。(1節) (5節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ① 本当の生きがい
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       自分の人生をどのような姿勢で生きるかによって、その結果は随分と変わって来ます。自分の満足や自己実現のためにのみ生きるなら、空しい結果となりますが、他の人のために力と命とを使うなら本当の生きがいと幸せを経験することでしょう。人は神から離れると自己中心的になりますが、神に近づくと、他の人に対して憐れみ深くなれます。なぜなら神は「みなしごの父、やもめの保護者」(詩68:5)だからです。苦しむ民を決して見捨てず、貧しい者に落ち穂を残し、十一献金によりレビ人を支えます。一方、死海はすべての物を取り込んで豊に見えますが、魚も住めない死の海となっているのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ② 主が共にいて
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       貧しい者をかえりみる人に対しては、主が共にいて救いを与えてくださいます。信仰者にも災いが降りかかり、失敗する事もありますが、そのような時には主が味方となってくださいます。また、苦しみが長くじわじわと押し寄せる時もありますが、必ず報われる時を神は備えてくださいます。「主イエスを信じなさい。」(使16:31)とは、神を信じて心配事をお委ねし家族に愛を表し続けるなら、必ず家族の中から神を求め救われる人が起こされますとの宣言の言葉なのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      【2018年2月18日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      テサロニケ人への第二の手紙1章3~12節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「神の国に生きる信仰」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「これは、あなたがたを、神の国にふさわしい者にしようとする神のさばきが正しいことを、証拠だてるものである。その神の国のために、あなたがたも苦しんでいるのである。」(5節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ① 試練によって
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         神の国とは、神の恵みの支配が及んでいる状態を言います。私たちは、信仰によって神さまを心の中心にお迎えする事により、心と生活とが神さまの恵みによって支配されます。その状態を天国へ行くまで続けている間に、神は試練を通して私たちを神の国にふさわしい者へと整えてくださるのです。テサロニケ教会に間違った教えが入って混乱した時、パウロは第二の手紙を書いて警告しました。テサロニケの人々はこの混乱を神からの愛の試練と受け止めることにより、さらに神を愛し隣人を愛する者へと成長しました。その成長の背後にはパウロのとりなしの祈りがあったことは言うまでもありません。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ② 最後まで信じることによって
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         一本の薪より二本三本の薪の方がよく燃えるように、私たちは教会にしっかりとつながりましょう。そして、お互いに励まし合い、祈り合って信仰を強められ、最後まで神の子を信じ、報いを携えて再び来られる主にお目に掛かりましょう。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        【2018年2月11日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        詩篇77篇1~15節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「自分の思いに捕われる」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「わたしは、あなたのすべてのみわざを思い、あなたの力あるみわざを深く思う。」(12節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ① 自分の思いに捕われる
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           祈りには、その人の人格と人生を祝福する力があります。しかし、「わたしはわが心と親しく語り」(6節)のように、あまりにも自分の思いに捕われて自問自答を繰り返すと、否定的な考え方になって、「主はとこしえにわれらを捨てられる」(7節)のではないかと考えてしまいがちです。どんな言葉を信頼して生きるかによって人生は決まります。前向きで愛に満ちた神から離れると、私たちは後ろ向きで否定的な思いに自然と流されて行くのです。神の言葉に心を向けましょう。「モーセと共にいたように、わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。強くまた雄々しくあれ。」(ヨシュア1:5.6)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ② 神のみわざを深く思う
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           今までになされた数々のくすしき神のみわざを思い興し賛美しましょう。そこから視界が開け、神様のみわざの目撃者となるのです。モーセは、イスラエルの民を解放せよとの命令を神から受けましたが、80歳になった自分を見て「わたしはいったい何者でしょう。」と尻込みしました。しかし、信仰のつえを握って紅海を渡り、40年にも及ぶ荒野の旅の間、神からの食物で養われたのでした。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          【2018年2月4日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          テサロニケ人への第一の手紙5章12~24節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          喜び祈り感謝する
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」(16~18節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ① キリスト・イエスにあって
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             「喜び・祈り・感謝」の真ん中に祈りが挟まっているのは、「喜びと感謝」を支えるのが祈りだからであると、F.B.マイヤーは語っています。祈りがないと喜びは生れず、感謝も出てこないのです。罪を悔い改めてキリストの十字架を信じたあなたがたの心の王座には聖霊がおられるのだから、いろいろな事があっても、聖霊の助けによって喜び感謝できるはずだと期待しておられるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ② 神に喜ばれる道
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             「愛し敬いなさい」(13節)とありますように、進んで互いに尊敬し合う所に神の祝福があります。また、「すべての人に対して寛容であれ」(14節)、「悪をもって悪に報いないよう」(15節)、これらを実現するためには祈りが不可欠です。祈りは神との交わりであり霊的呼吸とも言われます。一年に一度だけの祈りでは力は与えられません。絶えず毎日祈ると、あなたの人生に神の不思議な力が表れます。祈り求めるなら神の恵みを得、祈り探すなら神の愛は見つかるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            【2018年1月29日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            詩篇56篇1~13節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「苦難の中での信頼」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「わたしが恐れるときは、あなたに寄り頼みます。」(3節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ① 苦難の中で
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               人生には、恐れ・不安・苦しみ・試練がつきものです。そのような時、神様を「あなた」と親しく呼んで祈り信頼できる人は幸いです。ダビデは苦しみの時、「神よ、どうかわたしをあわれんでください。」(1節)と祈りました。私たちの本当の敵は、あの人この人ではなく、その背後で働く悪の霊です。「人を恐れるとわなに陥る。主に信頼する者は安らかである。」(箴29:25) どんな時にも「主があなたがたのために戦われる。」(出14:14)ことを忘れてはなりません。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ② 神への信頼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               神はわたしたちの「さすらいを数えられました。」(8節) 祈れば「わたしの敵は退きます。」(9節) 感謝の供え物をささげ、すべての物は神によって与えられたと告白する時、不思議な神の力に満たされます。このような神の恵みが与えられると信じて神に近づきましょう。そうすれば、私たちは神の愛を人々に証しする者として用いられることでしょう。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              【2018年1月21日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              コロサイ人への手紙1章15~27節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「キリストこそ栄光の望み」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「この奥義はあなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。」(27節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ① まちがった教え
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 エパフラスの伝道によって生れたコロサイの教会は、信仰と愛と望みに満ちたすばらしい教会でした。しかし、「空しいだましごとの哲学」や「わざとらしい謙遜と天使礼拝」と言われる間違った教えが入り込み、混乱してしまいました。ルカ15章に出て来る放蕩息子の転落の原因は間違った考え方をした事でした。自分の権利と利益のみを主張し、父への感謝や思いやりを忘れ、心よりも物や金、快楽に幸せがあると考えたため、神を見失ったのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ② 栄光の望みであるキリスト
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              キリストは、その言葉と行動で神の愛と力を示し、十字架とよみがえりによって私たちの罪を赦し、永遠のいのちを与えてくださいました。内にいますキリストの愛と恵みを体験すると、必要のすべては与えられ、また、どんな境遇にあっても満足する幸いな人へと造り変えられます。   
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              わたしは山にむかって目をあげる。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              わが助けは、どこから来るであろうか。(詩篇121:1)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              わが助けは内にいます栄光の望みであるキリストから来ると告白して前進しましょう。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                【2018年1月14日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                詩篇51篇1~13節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「四つの可能性」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「あなたの救いの喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください。」(12節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ① 罪を犯す可能性
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   どんなに恵まれた人でも罪を犯す可能性があります。ダビデは優れた人でしたが、成功した時に、心の隙に誘惑が忍び込んで来たのです。自分の力を過信せず、常にへりくだって神に近づきましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ② 赦される可能性
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   ダビデは自分の罪を自覚しました。それが祝福の始まりです。罪を認めない人は神の赦しを体験することはできません。びんのふたを閉めたままで、びんの中を洗うことはできません。自分の罪を認めない人は死ぬまで、人が悪い社会が悪いと責任転嫁をし続けます。罪を認めて神のもとに持って行きましょう。神がきよめて下さいます。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ③ 勝利の可能性
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   自分の力やがんばりでは勝利の生活はできません。神の力によって初めて可能になるのです。海水に住む魚は塩辛くありません。しかし死ぬと塩分は入って来ます。私たちはキリストと共に十字架に付けられ、キリストが我が内で生きているなら勝利の生活が可能なのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ④ 証しの可能性
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   人はどのようにして神に引き寄せられるのでしょうか。それは、罪の解決と信仰によって神の恵みを体験した人の輝きを見たからです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  【2018年1月7日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  使徒行伝12章1~14節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「愛と祈りの勝利」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「こうして、ペテロは獄に入れられていた。教会では、彼のために熱心な祈が神にささげられた。」(2節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ① 祈りによる勝利
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     迫害によってペテロが捕らえられた時、教会ができる唯一のことは祈りでした。このような緊迫した時、とかく私たちは「何か良い手立てはないか」と対策を探しがちです。しかし、祈ることは他の何にも優って良い手立てであり、クリスチャンの特権です。「祈り続けよ、そうすれば必ず神の恵みは与えられる。」ペテロのそばに天の使いが立ち、不思議な守りを体験します。ペテロはわれに返って「今はじめて」気づくのです。人間には全部を知ることはできないが、はるかに越えて神さまはみわざを行ってくださるという事を。そして、やがて神の恵みの全容を見せて下さるという事を。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ② 愛による勝利
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     「大勢の人が集まって祈っていた。」(12節)おそらく、この家の 持ち主は主イエスの十字架と復活を信じ救われ、主の愛に答えて家庭を開放したのでしょう。家の教会です。彼らはすぐに答えが出なくても忍耐強く祈り続けました。ペテロがこの家の戸を叩くと、出て来た女中が喜びのあまり戸を開けないで家に駆け込んだとあります。「喜びのあまり」は、イエスの誕生の時にも、復活の時にも用いられています。忍耐強い愛と祈りとが、最後には勝利を招くのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    【2018年1月1日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    イザヤ書30章15~21節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「信頼からの出発」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかに信頼しているならば力を得る。」(15節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ① 神の前に静まる
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       2018年は神の前に静まり、神を信頼して待ち望むところから始めましょう。イスラエルの民は事あるごとに、この事を教えられたのに、「この事を好まなかった。」とありますように、とても難しいことであったようです。信頼して神に近づくよりも、神の足音が聞こえると恐れて身を隠すアダムとエバのような性質を受け継いだのかもしれません。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ② 恵みの神との出会い
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       「主は待っていて恵みを施される」「主は立ち上がって」「主は公平でいらせられる」(18節)このような神と出会い、主イエスが用意してくださった十字架と罪の赦しとよみがえりを信じて天国へと導かれる人は幸いです。ゴールが明確で未来観が確立していると心はいつも平安です。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      【2017年12月31日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ローマ人への手紙8章26~30節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「何一つ無駄はない」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。(28節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ① 万事を益と
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         神を信じる生活をしていると、良い事も悪い事も、自分の身に起った事が何一つ無駄ではなかったと知るようになり、「万事を益とされる主」が、いつも先回りして備え導き、助けてくださることを体験します。今後も失敗を繰り返すかもしれない私たちですが、その都度「主よ、憐れんでください。」と祈りながら歩んで行くと、驚くような不思議や摂理の御手を示してくださいます。自分の思いではなく御心のままにと委ね信頼して従う時、神は私たちの内面に十分に働きかけ、時間をかけて、そのゴールである「御子のかたちに似たもの」へと成長させてくださるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ② 神を愛する者に
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         しかし、このような恵みをいただくためには条件があります。「ご計画に従って召された者たち」つまり、神の呼びかけに応答して礼拝する者たちであることです。神を愛することは礼拝することです。そして、神を愛する人には使命が与えられます。イエスを裏切り落胆していたペテロに近づき、「わたしを愛するか。」と迫られ、「愛します。」と告白したペテロに「わたしの羊を養いなさい。」と使命を与えられたのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        【2017年12月24日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        マタイによる福音書1章18~24節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「神われらと共に」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう。」これは、「神われらと共にいます」という意味である。(23節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ① 悩み多き世界に
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           神はこの地上に御子イエス・キリストを生れさせて下さり、「神われらと共に」の世界を実現してくださいました。その誕生物語は、「系図によって」歴史的に事実であることを示し、「聖霊によって」マリヤを母とする人の子であることを明らかにしました。そして、神を父とする神の子が後に人類の罪の身代わりとなるのです。それは「おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となる。」との預言の成就でした。この救い主をかよわい赤ちゃんとして世に送り込まれたのは、悩み多きこの世界を本当に救うのは神以外にないことを示すためだったのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ② 神 われらと共に
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           人間にとって一番難しいことは内面が造り変えられることです。しかし、罪を悔い改めて、キリストの十字架は私の罪のためと信じ受け入れるなら、罪が赦され、キリストが心の内に住まわれ、私たちを心の内側から造り変えてくださいます。(Ⅱコリント5:17) そして、造り変えられ新しく生れた私たちは、その後も一生の間キリストと共に歩み、その中で教えられ、導かれ、慰められ、励まされながら進んで行くのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          【2017年12月17日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          イザヤ書9章1~7節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「世の闇に輝く光」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる義士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。」(6節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ① 世の闇の中で
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             神に愛されたイスラエルの民が、世の繁栄に惑わされて生ける神から離れ、霊的な闇に落ちてしまいました。彼らは虐げられ飢えて苦しみました。しかし、救い主を待ち望むなら罪の重荷と圧制者のくびきから解放されるのです。ですから主のみ前にへりくだり、人の力ではなく「万軍の主の熱心がこれをなさる」(7節)との約束を信じて進むのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ② 闇に輝く光
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた」(6節)の予言の通り、やがてベツレヘムに救い主がお生まれになります。しかし、そのお方を私たちの心の中にお迎えしなければ心の闇を追い払うことはできません。私たちの心の王座にキリストが生きる時、「霊妙なる義士」=不思議な力でみわざを行い、良き相談相手となって常に共にいてくださり、「大能の神」=どんな敵にも勝利し、「平和の君」=一時的な安心ではなく、永遠の充足を与えるお方となって、私たちを導いてくださるのです。この救い主を心にお迎えしましょう。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            【2017年12月10日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ヨブ記1章1~12節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「人生の嵐の中で」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「「わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる、後の日に彼は必ず地の上に立たれる。」(25節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ① 誰の人生にも嵐がある
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               ヨブは死海の南に広がるアラビヤ地方のウヅの地に住み、富と権力を持ち、人格者で家族をよく治め、神を畏れ敬っていました。しかし、どんな人にも嵐はやって来ます。サタンはヨブを訴えます。「ヨブの信仰は御利益信仰で、神の祝福を取り除いたら、必ずヨブは神を呪うでしょう。」と。そこで神の祝福が取り除かれたが、ヨブは苦しみの中から、「主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな。」と、神を呪うことをしませんでした。これが神の祝福を受ける秘訣です。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ② あがなう者は生きておられる
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               ヨブは苦しみの中で、主が取られたことに目を注がず、主が与え恵まれたことを数えました。愚痴をこぼすことをせず賛美することに心を注ぎました。その根底には、「神は必ず救い主を送ってくださる。」との、揺るがない神への信頼がありました。突然の嵐の中でヨブは多くのものを失いましたが、神を見失うことはありませんでした。ある牧師夫人が、終戦後の大晦日に、「会堂が焼け、住居もお金も何もありませんが、天のお父様、あなたがいらっしゃるので感謝します。」と祈った時に、心に希望が溢れて来たと証ししています。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              【2017年12月3日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              創世記3章1~10節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「救い主を待ち望む」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。」(9節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ① エデンの園を失う
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 なぜ救い主を待ち望むのでしょうか。それは、エデン(歓喜)の園を失ったからです。神は人を特別に神のかたちに似せて造り、神の栄光を表す者とされました。しかしアダムとエバは、神の声に聞き従わずサタンの声に誘われ、取ってはならない木の実を食べてしまいました。神さまを無視して快楽を求めた結果、神の呼びかけに恐れて身を隠すようになり、恥を隠すために、いちぢくの葉を腰に巻き付けたのでした。 ② 神の呼びかけを聞く
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 昼間、取ってはいけない実を取って食べた彼らに対して、夕方には、心を静めて本心に立ち帰れと神は呼びかけられます。「あなたはどこにいるのか。」神の祝福の内にいるのか、外にいるのか。もし外にいるなら神はあなたを探し求めておられます。九十九匹を野原に置いて迷える一匹を探す羊飼いのように、また、なくなった銀貨を見つけるまで注意深く探す主婦のように、さらに、放蕩息子の帰りを待つ父親のように、神は探し求めておられます。人は「歩まれる音を聞いた」(10節)とあります。あなたも聞いているはずです。神のもとに帰りましょう。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                【2017年11月26日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ピリピ人への手紙1章18~26節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「クリスチャンの喜び」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。」(20節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ① キリストがあがめられること
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   ジョニー・エレクソンという女の子は事故で首から下が動かなくなりましたが、「今、私が置かれた状況の中で神に祈り、神に従って行こう。」と決心した時、その心が変えられ、多くの人に慰めを与える道が開かれて行きました。人生は自分の野心をとげ、自分が褒められるためにあるのではありません。「人生の目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことである。」と、ウエストミンスター小教理問答は語っています。キリストがわたしの内に生きておられると、たとえわたしが弱くても困難を乗り越えることができ、また、自我に死んで神の御心がなるようにと願うことは、豊かな実を結ぶ道へとつながっているのです。 ② 神に喜んでいただけるように
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   「神様に喜んでいただきたい」という動機が、良い行いや生活の原動力となっていなければ、神の栄光をあらわすことはできません。それは、神が私たちの内側に働きかけてくださって初めて生まれる思いです。そして、そのように決心した人に対して、神はいっさいの必要を満たして応答してくださるのです。(ピリピ4:19)


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  【2017年11月19日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  マタイによる福音書11章25~30節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「恵みのくびきの人生」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「わたしは柔和でへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば魂に休みが与えられるであろう」(29節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ① わたしのもとに来なさい
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     二頭の牛がくびきでつながれて農作業をするように、キリストのもとに来て、キリストと共にくびきを負うと、心の平安が与えられます。なぜならキリストは、柔和でへりくだり、怒りっぽくなく、付き合いやすいお方だからです。さらにキリストは、私たちの重荷や苦労を共に負うてあげようと言われるのです。一人で苦しまないで、わたしと一緒に負いましょうと招いておられるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ② わたしに学びなさい
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     キリストのもとに行って柔和と心のへりくだりを学ぶのですが、それは、キリストの赦しを知って初めて学ぶことができるのです。キリストは十字架で、「父よ、彼らをお赦しください。」と祈られました。それは、十字架のまわりにいた人々の罪ばかりでなく、全世界の人々、さらには、21世紀に生きる私たちの罪の赦しのための祈りだったのです。キリストが私のような罪人を赦してくださったのですから、私が他の人を赦すのは当然のことです。人を赦さない心は自分自身を重く締め付けます。早くキリストのもとに来て、この赦しを体験しましょう。そこから私たちの人生は柔和で心のへりくだった人生へと変えられるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    【2017年11月12日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    詩篇17篇6~15節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「主こそわたしの幸い」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「ひとみのようにわたしを守り、みつばさの陰にわたしを隠し」(8節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ① 主に祈る
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       「神よ、わたしはあなたに呼ばわります。」(6節)と、詩篇の記者が祈っているように、祈りは、神のかたちに造られた人間だけに与えられた特権です。ダビデは若い時から苦労が多く、失敗もたくさんしました。しかし、人生のどん底でいつも神に祈り、そこで神の恵みと助けを体験しました。また、自分には能力があるとの傲慢な思いが打ち砕かれ、神の力に頼ることを学びました。さらに、彼は多くの富を手にした人ですが、地上の富に心が縛られるのではなく、み国の富に目を向けることの大切さにも気づかされたのでした。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ② 主の守り
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       「依り頼む者をそのあだから右の手で救われる。」(7節)とありますように、困難の多い私たちの人生をいつも見守り、時には弁護士のように私の右に立って守ってくださるのです。それはまさに、「ひとみのように」(8節) 、まぶたやまつげで守り、涙で潤わせ、いつも神の正しい像が写るようにしてくださり、また、親鳥が子どもを守るように、私たちを「みつばさの陰に隠し」(8節)て守ってくださるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      【2017年11月5日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      エペソ人への手紙1章3~14節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「クリスチャンの宝」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、・・・」(3節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ① 選ばれた者に
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         神はすべての人を愛し救うために、人々を招いておられます。その招きに応答した人は、神さまのたくさんの祝福に与ることができますが、神を知らず、その祝福も知らないといつも不平不満が出て来ます。神の選びの中に入るには、ちょうどノアたちが方舟に入ったように、キリストに信頼して乗り込み、委ねお任せすることです。たとえ危害を加えられてもキリストのように祈り、自分の判断を捨て、神のお考えに従うという気持ちで進むことです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ② 天上の霊のもろもろの祝福
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         地上の宝に優って、天上の宝はすばらしいものです。その祝福の第一は、「その血による贖い」つまり、キリストの命と引換えに私たちの罪を赦し、「神の子たる身分」を授けて、神様と私という本来の関係を回復してくださった事です。このような犠牲を払ってくださったということは、私たちをキリストの命と同等の値打ちと見てくださったということです。そして、「聖霊の証印」つまり、私たちを絶えず聖霊が導き、教え、人生の困難な歩みを支えてくださるのです。このようなすばらしい祝福にあずかっていることに感謝しましょう。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        【2017年10月29日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        詩篇14篇1~7節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「義人はいない」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「愚かな者は心のうちに『神はない』と言う。彼らは腐れはて、憎むべき事をなし、善を行う者はない。」(1節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ① 愚かな者
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           「義人はいない、ひとりもいない。」(ローマ3:9)このように宣言しながらも、神はその罪人をこよなく愛してくださるお方です。「愚かな者」とは、神を自分の人生の計算に入れようとせず、神の存在を頭の理解としては認めていても、実際の生活ではお祈りをしない聖書も読まない、また、自分の罪の重荷を神に委ねようともしません。祈りが答えられても「偶然だ、運がよかった。」と神を認めない人のことです。心の内に「神はいない」と思うほど恐ろしいことはありません。そこから「神を求めない」「迷い」という愚かな行動が生まれます。そうではなく、「ここにいます、助けてください。」と声を出すなら、迷える子羊を主イエスは見つけてくださるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ② 主を避け所とする
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           神は私たちを「わが民」と呼び、神との関係を正したいと願う者に近づいて、その悩み苦しみを理解して助けてくださいます。「貧しい者」(6節)とは虐げられている者のことで、主はその人の味方となって繁栄を回復してくださいます。神の時を信じて待つなら必ず答えが出ます。常に神のもとに帰り、神を避け所とし、心の中で神は生きておられると賛美しましょう。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          【2017年10月22日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ガラテヤ人への手紙3章26~4章7節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「クリスチャンの特権」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、『アバ、父よ』と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。」(6節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ① 信仰によって
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             心から罪を悔い改めて「キリストは私の救い主です。」と信じて告白すると、一瞬にして罪赦され神の子とされます。しかし、それがあまりに単純すぎて「割礼・律法・修行」など、何かを付け加えたくなるのが人間の悪い癖です。二千年前に死んで甦られたキリストの救いは永遠で、その輝きは消えることはありません。「キリストを着る」とは、心にキリストを迎え、生涯を委ねることです。罪と死の寒風を防ぐには、キリストに逃げ込む他ありません。そうするなら、どんな人にも、愛し合い赦し合って天国の希望に生きる、すばらしい道が開かれるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ② アバ父よ
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             「アバ」とはアラム語で「父」という意味で、「アバ父よ」は、「お父さんお父さん」と神を親しく呼んでいることになります。「知恵に不足している者」(ヤコブ1:5)、「思い患っている者」(マタイ6:26)は、「ご自身の御子をさえ惜しまない」(ローマ8:32)お方が、すべての必要を与えてくださることを信じて、このように父なる神さまに向かって祈り求めるべきです。家族や友人のために、私たちも祈ろうではありませんか。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            【2017年10月15日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            詩篇141篇1~8節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「聖徒の祈り」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「わたしの祈りを、み前にささげる薫香のようにみなし、わたしのあげる手を、夕べの供え物のようにみなしてください。」(2節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ① わたしの祈りを
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               朝の祈りの目的を、「今日一日神のみこころを行うため」とするならば、夕べの祈りは「一日を反省し、欠けに気づき聖霊によって造り変えていただく」ための祈りと言うことができます。「わが口に門守を置いて」(3節)とありますように、日々の生活での言葉使いはとても難しいものです。なにげない言葉が他を傷つけ、それがために自分の人生を大きく変えることもあります。(ヤコブ3:5)ですから、神の忠告は愛から出ているものと、それを喜んで受け入れ、聖霊によって私たちの心を造り変えていただきましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ② 神に依り頼む
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               知恵ある人が救われるのではありません。その目と心が神に向かい、神に近づき神に逃げ込む時に与えられるのです。ヤコブは兄エサウの怒りを恐れる余り、知恵を絞って贈物を用意しました。しかし、ヤボクの渡しで神と祈りの組み打ちをしたことで、兄との真の和解へと導かれました。(創32:24) 戦争は人間同士の力のぶつかり合いです。しかし、人間的な武器では真の平和は実現しません。人が神の前にへりくだり、砕かれ、神に依り頼む時に初めて和解と平和が実現するのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              【2017年10月7日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              コリント人への第二の手紙1章3~11節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「慰めに満ちたる神」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。」(3節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ① 患難の中での慰め
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 私たちの生活は様々な問題で満ちていますが、同じようにコリントの教会にも多くの問題がありました。パウロはこれらを指摘し、「もし、あなたがたを悲しませたとしたら・・」(Ⅱコリント2:1) と心配しながら厳しくも優しく慰めながら導こうとしました。人からの慰めは一時的であり、気休めになりやすいものです。しかし、神の慰めは聖霊がそばに来て弁護し、実際的な助けと救いを与えてくださるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ② どうすれば慰めを受けられるのか
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 人はお金や地位・才能を頼みとして生き、最後には自分を頼みとします。しかし、その自分が当てにならなくなる時が必ずやって来るのです。「自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせてくださった神を頼みとする。」(9節)と、早く言えるようになれたら幸いです。その時、過去・現在・将来の救いが与えられ、自分が褒められるために生きる生き方から、神様のみ名が崇められる生き方へと変えられて行くのです。それが私たちの最高の慰めではないでしょうか。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                【2017年10月1日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                詩篇1篇1~6節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「流れのほとりに」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「このような人は流れのほとりに植えられた木の 時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。」(3節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ① 神に近づく幸い
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   どんな人でも、心からの求めを持って神に近づくなら、その人は心と生涯が造り変えられて神の祝福を体験することができます。星野富弘さんは中学の体育の教師でしたが、部活の指導中の事故で体が動かなくなりました。しかし、入院中に三浦綾子さんの本を読み、そこから聖書を読むようになって神さまを信じました。これはナンテンの絵に添えられた星野さんの詩です。「手と足が不自由になって歩けなくなりました。土を掘ることもスキーをすることも出来なくなりました。でも神様ありがとう、あなたが持たせてくれた10gの筆ですが、それで私は花を咲かせたり、雪を降らせたりできるのです。神様ほんとうにありがとう。」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ② 神に近づく祝福
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   「時が来れば実を結ぶ」とありますように、あせらなくても時期が来れば神さまは必ず豊かな実を結ばせてくださいます。米田豊牧師は戦争反対を訴えたために投獄されたり、また多くの悲しみも経験されましたが、「過去を思えば感謝、現在を思えば平安、将来を思えばただ信頼あるのみ。」と語り、神からの慰めが豊かであることを証ししました。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  【2017年9月24日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  詩篇101篇1~8節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「主と共に歩むために」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「わたしは全き道に心をとめます。あなたはいつ、わたしに来られるでしょうか。わたしは直き心をもって、わが家のうちを歩みます。」(2節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ① まず心から
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     ダビデの町まで契約の箱を運ぼうとして進んでいる時、牛が躓いて箱が落ちそうになったので、御者のウザが思わず箱を押さえたため神さまに打たれてしまいました。ダビデはこの事件を神からの警告と受け止め、自分はもっと神を畏れて謙り、心を整えて神の箱を迎えなければならないと告白しました。「全き道」とは、神の救いの道であり、キリストの十字架を私のためと信じて歩む道のことです。素直な心でそれらを信じましょう。「人の本当の値打ちは、その家での生活を見ればわかる。」と言った人がいます。罪や汚れた思いを捨てて主に従いましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ② 主と共に歩む
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     ダビデとは「愛される者」という意味です。彼は8人兄弟の末っ子で兄たちにいじめられ、また息子アブサロムは反乱を起こし苦労の多い人生でしたが、どんな時にも神から離れず、神と共に歩んだ人でした。「たとい死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。」(詩23篇)の告白の通りです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    【2017年9月17日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    コリント人への第一の手紙1章10~18節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「十字架を誇りとして」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。」(18節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ① 分争の解決
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       「さて兄弟たちよ」(10節)と、パウロはいろいろな問題を起こしているコリント教会の信者たちに向かって、愛の神と同じ目線で暖かく見つめながら語りかけます。この世の中は例外なく、お互いに裁き合うと敗北し、そのミスをカバー仕合うと勝利します。(ピリピ1:27) コリントの人たちは、「わたしはパウロに」「わたしはアポロに」と、徒党を組んで他を排斥しようとしましたが、お互いに謙って自分を捨て、栄光の主に従うべきであると、パウロは勧めます。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ② 十字架の言
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       コリント教会には分争以外にも多くの問題がありました。不道徳・不純な結婚・偶像にささげた肉・混乱した礼拝・霊の賜物の乱用・復活の否定などです。そのようなすべての問題の解決は、キリストの十字架を「私の罪のため」と信じた時、不思議な神の力が働いて解決するのです。アルコールで苦しんでいた人が罪を悔い改めて主の十字架を信じた時、別れた奥さんに謝り、生活が一変しました。これこそ十字架の力です。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      【2017年9月10日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      詩篇90篇9~17節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「人生に祈りを」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。」(12節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ① 人間の弱さ
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         新約の『主の祈り』に対して、旧約には『モーセの祈り』があります。荒野の40年の間に多くの人が死に、その都度、「その一生はただ骨折りと悩みであって・・」(10節)と人生の意味を考えてしまいます。しかし、人生の苦労や試練は神の怒りによるものではありません。神は私たちを愛するがゆえに、人間の罪がどんなに深くても、その怒りを「贖いの供え物」=キリストに向け、私たちに赦しの道を用意されたのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ② 大胆に神の祝福を祈る
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         「知恵の心」とは、神の祝福を大胆に求める祈りの心です。私たちも「われらの手のわざを栄えさせてください。」と祈りましょう。モーセは120年の生涯の中で神に祝福を求めることの大切さを体験的に学びました。エジプトのパロの子として育った自信に満ちた40年。同胞を助け出そうとして挫折しミデアンで自分の弱さを痛感した40年。そして、「燃えるしば」から語られた神の言葉によって信仰を持って立ち上がった最後の40年、常に神の祝福を祈り求めていました。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        【2017年9月3日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ローマ人への手紙1章1~17節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「真実な神の救い」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。」(16節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ① パウロの真実な証し
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           パウロは神の愛を体験し新しく生れ変わったことで、その恵みを自分だけに止め置くことができず、すべての人を信仰に導くことを「果たすべき責任」と捕らえ、そのことを生涯の使命としました。その方法は、「霊の賜物を幾分でも分け与え」(11節)、「共に励まし合う」(12節)で、謙遜な姿勢で行われました。自分さえよかったらという人生は衰えて行きますが、主のしもべとなって果たすべき責任を一生懸命果たそうとする人生は「いつも生気に満ち、青々として」(詩92:14)いるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ② すべて信じる者に
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           イエス・キリストは十字架にかかって私たちの罪を赦してくださいました。それを信じるだけで救われ神の子とされた者は、キリストの十字架を誇りとします。自分の信仰の成長が遅いのに悩んでいた内村鑑三に対してシーリー学長は、「君は植えた木の成長を気にする余り、毎日抜いては根の張りを確かめているのか。十字架のキリストを見上げて信じ、赦しときよめを確信し委ねよ。自分の心の汚れに悩んでも、自分を責めるのではなく、キリストの愛と赦しに立ち帰れ。」と助言しました。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          【2017年8月27日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ゼカリヤ書4章1~10節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「聖霊の導きの下に」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。」(6節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ◇ たとえ困難があっても
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             紀元前536年、ユダヤ人がバビロンからエルサレムに帰還し、翌年には神殿再建を試みるも敵の妨害により中止させられました。15年が過ぎ、預言者ハガイのメッセージにより総督ゼルバベル、大祭司ヨシュアという民の指導者たちの心が奮い立たされ、止まっていた再建事業が動き出し、同年、ゼカリヤの働きも始まります(ハガイ1:1、紀元前520~516年)。神はみこころを推進させる時、必ず、ふさわしい人をお立てになるのです。ゼカリヤは幻によって、ふたりの人が民を励まし、宮を完成させることを示されました(3、9、14節)。燭台は油がなければ燃えません。油は聖霊の象徴です(マタイ25:4、Ⅰヨハネ2:27)。主は神殿再建と共に、聖霊による信仰復興を宣言されます(6、12節)。「わたしの霊によるのである」と言われる主に信頼する時、大いなる山は崩れます(6、7節)。神殿完成により、民の中に喜びが湧き上がります(9、10節)。イエス様は十字架の死、復活、昇天を経て、御座から教会に聖霊を注いで下さっていますから、信仰の管を整えて、豊かな満たしに与りましょう。教会は「七つのともしび皿」として、キリストの勝利を布告したいものです(10節、黙示2:1)。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            【2017年8月20日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            詩篇92篇4~15節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「神に感謝する理由」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として・・・」(14節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ① すべての人々への神の祝福(一般恩寵)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               「天の父は悪い者の上にも良い者の上にも太陽をのぼらせ・・」(マタイ5:45)とありますように、神はすべての人に祝福を与えたいと願っておられる愛のお方です。ですから私たちは、神が道しるべとして送ってくださったキリストに信仰の目を向けましょう。とかく私たちの目は世の中の繁栄に向きがちです。しかし、そのようなものは一時的であり、当てにはなりません。私たちの人生に祝福を与え、天国へと導いてくださる神を見つめましょう。神は私たちに災いを与えようとしておられるのではなく、平安・将来・希望を与えようとしておられるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ② クリスチャンへの神の祝福(特別恩寵)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               「正しい人」(12節)とは、神に対して心を開き、キリストを救い主と信じた人のことです。その人の上には、いつも神さまのあたたかい眼差しがあり、また、その根は神の流れから常に恵みをいただいていますので、年中みずみずしくまっすぐに天に向かって伸びることができます。人が成長するためには、「あたたかい眼差し」が必要です。ペテロを失敗から立ち直らせたのはキリストの愛の眼差しでした。それと同じ祝福が、今もクリスチャンの上に注がれているのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              【2017年8月13日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              使徒行伝1章1~11節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「働き続けるキリスト」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう。」(1:8)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ① 聖霊によって
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 マタイは「王であるイエス」、マルコは「しもべであるイエス」、ルカは「人の子イエス」、ヨハネは「神の子イエス」をそれぞれ証しし、使徒行伝は、天に昇られ、目に見えなくなった今も、聖霊によってキリストが働き続けておられると語ります。福音は聖霊の力によって広がりますが、まず私たちが祈って聖霊の力によって主の証し人へと造り変えられ、清められ、互いに愛し合う者とされなければなりません。そのような人を神は用いて、福音を広めてくださるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ② 神の国の広がり
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 「エルサレムから地の果てまで」(8節)とありますように、神は全世界の人々を愛しておられ、救いに導きたいと願っておられます。エルサレムとは、弟子たちが失敗した場所です。彼らはそこで悔い改め、十字架にかかり復活なさった主イエスと出会い、救いの恵みを体験しました。そこから証し人としての歩みが始まるのです。たとえ、迫害によって人々が散らされても、ピリポのようにサマリヤに下り、ガザへ下り、聖霊の導きのままにエチオピアの宦官を導いたように、厳しい状況の中でも従順に主に従う証し人を、神は用いてくださるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                【2017年8月6日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                詩篇121篇1~8節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「わが助けは神から来る」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る。」(詩篇121篇1、2節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ① 神の助けを呼び求める
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   私たちの人生に困難という山が迫って来たとき、「目を上げて」神さまに向かって祈り求めることができるのはクリスチャンの特権です。困難や誘惑を自分一人の力で克服し解決して生きて行ける強い人など、どこにもいないと思います。「主われを愛す、主は強ければ、われ弱くとも、恐れはあらじ。」の賛美歌のように、私たちは弱くても、強い神さまが側におられるので心強いのです。社会の厳しさにさらされた時、「互いに不平を言わないで」「自分で報復しないで主にゆだね」「神の時を待ち」「最後まで主を信じ続け」ましょうと勧めているのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ② 主の守り
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   天と地を造られた主は、私たち一人一人に使命を与えておられます。そして、私たちが羊飼いである主のみそばで生活するなら、主は「まどろむことなく」いつも守ってくださり、また、「あなたの右の手をおおう陰となって」私たちの命を守ってくださるのです。「出ると入るとを」まさに生活のすべての面に、常に神さまの眼差しが向けられて守ってくださるのです。この主を信じて進んでまいりましょう。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  【2017年7月30日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ヨハネによる福音書1章9~14節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「恵みと真実とに満ちたイエス」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。」(12節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ① 恵みと真実とに満ちたイエス
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     マタイ・マルコ・ルカの三つの福音書は、同じ方向からイエスを見ているので共観福音書と呼ばれ、ヨハネはキリストの内側から見つめて書かれたので、第四福音書と呼ばれています。そこには、「わたしはいのちのパン」、「わたしは世の光」、「わたしは羊の門」、「わたしはよい羊飼い」、「わたしはよみがえり」、「わたしは道」、「わたしはまことのぶどうの木」と、ご自身の事が紹介されています。私たちが主イエスを信じるなら、これらの言葉が真実であり、恵みに満ちたものであることを体験できるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ② その栄光を見た
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     旧約聖書では、律法をすべて守るなら祝福を受けると約束されていました。しかし実際には、人は弱く、とてもすべての律法を守ることなどできません。そこで神は、ひとり子であるキリストをこの世に送られました。その目的は、律法を守れないで罪を犯す人類のために、身代わりとなって十字架にかかり、審きを受けることでした。これを信じて罪を悔い改める者は誰でも、救いにあずかることができるのです。素直に、そのまま信じて、神の栄光(すばらしさ)を見ましょう。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    【2017年7月23日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    詩篇91篇1~16節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「人生の意味」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「彼はわたしを愛して離れないゆえに、わたしは彼を助けよう。彼はわが名を知るゆえに、わたしは彼を守る。」

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ① 全能者の陰に宿る
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       聖書が語る人生の意味とは、神さまの側近くで生活し、その恵みを体験し、それを独り占めしないで他の人々に伝えることです。何か困った事があった時、神さまの所に逃げ込んで相談すると、不思議な助けがあります。「悪の罠から助け出され」(3節)、「大楯、小楯」(4節)に守られ、神は天使たちに命じて、神の守りを総動員して助けてくださるのです。そこから、「日々にわれらの荷を負われる主はほむべきかな。」(詩68:19)の賛美が生まれるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ② 神を愛して離れない
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       私の罪のために十字架で死んでくださるほどの愛を表してくださったイエスさまを信じた者が、その後も、神さまとしっかり結びついて離れないなら、神は「限りなき愛をもって」(エレミヤ31:3)私たちを愛し続けてくださいます。神の愛は裏切りません。私たちが純粋なキリストへの愛をもって仕えると、「人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備え」(Ⅰコリント2:9)てくださいます。自分の思い通りに事が運んだというわけではないかもしれませんが、「さすが神さまだ。」というような、すばらしい事をしてくださるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      【2017年7月16日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ルカによる福音書4章16~30節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「人の子イエス」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。」(ルカによる福音書4章18節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ① 神への依り頼み
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         現代人は、自分の力で何でもし、何者にも頼らず独立独歩で生きることが強い人間であると考えます。しかし、聖書は神に依り頼んで生きる事こそが、人としてのまことの生き方であると語ります。なぜなら、人は神に信頼し、委ね切って生きるように、神によって創造されたからです。イエス・キリストは、父なる神から特別な使命を与えられ、人となってこの世に遣わされました。このお方が携えて来られた福音は、私たちが心貧しくなって、神の支えがなければ生きて行くことはできないと自覚した者に与えられるものです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ② すべての人に恵み深い
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         主イエスのふるさとであるナザレの人々は、「この人はヨセフの息子ではないか。」(22節)と言って、イエスを神と信じることをせず、町の外へ追い出し、崖から突き落そうとしました。しかし昔、飢えて死にかかっていたザレパテのやもめにエリヤを(列王上17:14)、また、重い皮膚病のナアマン将軍(列王下5:14)にエリシャを遣わされたように、神は、へりくだって神に信頼する人を助けてくださるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        【2017年7月9日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        詩篇114篇1~8節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「仕える しもべ イエス」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである。」(マルコ10:45)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ① しもべとなったイエス
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           神の愛の現れとして地上においでくださった主イエスは、私たちを支配するのではなく、私たちに仕えるためにおいでくださいました。マルコは、主は「すぐに」行動に移してくださるお方であることを語り、言葉ばかりでなくその生き方そのものが仕える姿勢であったと証言しました。世界の歴史は、陰に隠れて僕として忠実に仕え働く人々によって動かされています。私たちも、僕となって仕えたお方とお出会いすることによって、神さまの素晴らしさを見る者とされるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ② 祝福を受ける秘訣
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           人々から褒められたり注目される人生を願うより、神さまにどのように見られているのかを考えながら生きる人生は幸いです。苦労があっても、忍耐しながら主にお委ねして最後まで従うなら、神の平安の内に生きることができ、最後には神さまからお褒めの言葉をいただくことができるでしょう。水が低い方へ流れるように、神の恵みもへりくだる人たちの上に豊かに注がれるのです。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          【2017年6月25日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          詩篇114篇1~8節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「大いなる救い」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「イスラエルがエジプトをいで、ヤコブの民が異言の民を離れたとき、ユダは主の聖所となり、イスラエルは主の所領となった。」(1.2節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ① 主のものとなる
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             主の聖所(神の住まわれる所)に入り、主の所領(神のご支配)の中に入り神の民となる。それが「主のものとなる」=「大いなる救い」です。イスラエルの民が、エジプトの奴隷生活からモーセによって解放され、主の民となったように、私たちもキリストの十字架の贖いを信じて罪を赦され主のものとされました。主のものとされた民に対しては、主がすべての責任を取ってくださるので、私たちは何も思い煩う必要がないのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ② 主のものとなった者への祝福
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             紅海の水が二つに分かれ、また、ヨルダンの水がせき止められて、イスラエルの民が前進できたように、大きな困難でも小さな問題でも、神さまは必ず逃れる道を備えてくださいます。ですから、神を畏れ、へりくだり、「主は愛する者を訓練し、受け入れるすべての子を、むち打たれるのである。」(ヘブル12:6)と受け取り、主にいっさいをお任せしましょう。たとえ境遇は変わらなくても、心が造り変えられて、困難を乗り越えることができるのです。「ああうれし わが身も 主のものとなりけり」(讃529番)と歌いながら歩みましょう。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            【2017年6月18日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            マタイによる福音書5章1~10節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「祝福に満ちたイエス」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。「こころの貧しい人たちは、さいわいである。天国は彼らのものである。」(2,3節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ① 王であるイエス
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               マタイは、主イエスが私たちの心を支配される王として来られたと証ししました。また、東の国からやって来た博士たちも、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。」(マタイ2:2)と尋ねています。王としての系図の中には4人の女性の名が記されており、どんなに罪深い者であっても、神の家族に加えられる事を示しています。そして、王が出された憲法は「山上の垂訓」と呼ばれ、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」(マタイ5:44)などの難しい命令もありますが、王であるイエスは、私たちの心を造り変えて、それができるようにしてくださるから、安心して従って来なさいと招かれています。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ② 祝福のオブラート
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               昔は、苦い薬をオブラートに包んで服用したものです。同様に、自分の力で守ろうとしても難しい山上の垂訓も、イエスの十字架を信じて罪赦され神の子とされ、聖霊によって心がきよめられ、無条件で愛してくださるイエスの愛を体験した時、私たちも自然な形で愛し合うことができるようになるのです。そのように神さまは、私たちを祝福のオブラートに包んで、いろいろな苦労を乗り越えさせてくださるのです。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              【2017年6月11日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              詩篇42篇1~8節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「生ける神を慕う」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。」(2節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ① 生ける神を慕う
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 「慕う」とは、真剣かつ熱心な求めです。身体の健康のためには食欲が欠かせないのと同様に、心の健康のためには、神への真剣な求めと飢え渇きが欠かせません。私たちの信じている神さまは、昔も今も生きておられる神さまです。木や石や金属で作られた偶像ではなく、あたたかい人格を持った神であり、私たちの祈りにいつも耳を傾け、父親のように心配しながら、私たちの歩みを、すぐ近くで見守っていてくださる神なのです。そのような生ける神さまを慕うのです。盲目的な信心や偶然や運命に支配された世界で生きる事ほど恐ろしいことはありません。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ② 試練に打ち勝つ
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 生きている限り、誰にでも悩みや試練があります。では、それらをどのようにして乗り越えるればよいのでしょう。まず、過去の神の恵みを数えましょう。次に、神の時を待ち望みましょう。「遅い、まだなのか。」と思う時でも、意味のない今はないこと、また、逆境も大切な訓練の時であると信じましょう。過去の自分を振り返り、悔い改めるべき事を悔い改めましょう。そして祈って神さまにすべてをお委ねして進んで行く時に、予想もしなかった新しい展開が私たちを待っているのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                【2017年6月4日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                Ⅰコリント6章12~20節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「神の栄光をあらわす」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。」(20節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ① 聖霊の宮
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   コリントの人たちは、「すべてのことはわたしに許されている。」(12節)との聖書の言葉を、何をしても自由だと勝手に理解したため、コリントにいる信者たちも、その影響を受けてしまいました。私たち人間は、「する自由」と「しない自由」を持っています。私たちの心が、わがままと自己中心に支配されることなく、「私はどちらでもかまいません。神さまが良いと思われるようにしてください。」と聖霊にお任せする信仰で進んで行くなら、聖霊は私たちの心をきよめ造り変えて祝福してくださるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ② 自分のからだをもって
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   神さまからいただいている自分の身体と人生をどのように使うかは、私たちに任されています。私が自分勝手な行動に出た場合に、他人の自由はどうなるのかもよく考えるべきでしょう。その基準は、この行動を神さまが喜んでくださるだろうか、という事です。心に聖霊を宿し、いつも主と共に歩んでいるとき、私たちは自然と「主を喜ばせる生き方」に向かって行き、人々をもお導きすることができるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  【2017年5月28日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  Ⅰコリント6章12~20節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「神の栄光をあらわす」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。」(20節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ① 聖霊の宮
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     コリントの人たちは、「すべてのことはわたしに許されている。」(12節)との聖書の言葉を、何をしても自由だと勝手に理解したため、コリントにいる信者たちも、その影響を受けてしまいました。私たち人間は、「する自由」と「しない自由」を持っています。私たちの心が、わがままと自己中心に支配されることなく、「私はどちらでもかまいません。神さまが良いと思われるようにしてください。」と聖霊にお任せする信仰で進んで行くなら、聖霊は私たちの心をきよめ造り変えて祝福してくださるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ② 自分のからだをもって
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     神さまからいただいている自分の身体と人生をどのように使うかは、私たちに任されています。私が自分勝手な行動に出た場合に、他人の自由はどうなるのかもよく考えるべきでしょう。その基準は、この行動を神さまが喜んでくださるだろうか、という事です。心に聖霊を宿し、いつも主と共に歩んでいるとき、私たちは自然と「主を喜ばせる生き方」に向かって行き、人々をもお導きすることができるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    【2017年5月28日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ヨハネによる福音書12章20~28節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「豊かに実を結ぶ」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」(24節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ① 十字架はわが罪のため
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       「一粒の麦が地に落ちて死ぬ」とは、イエス・キリストの十字架を表しています。それを私の罪のためと信じた人を、神さまは心の内側から造り変えて、その人の人生に豊かな祝福の実を結ばせてくださるのです。神に喜ばれる生活をすることは大切ですが、それを強制されると、生来の人間の反逆性が出て、することができません。そうではなく、肩の力を抜いて十字架の贖いを信じ、神に信頼しお任せすることです。そうすれば、神さまが私を造り変え、わがままを砕き、自発的に神さまに喜ばれる生活ができるようにしてくださるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ② 主イエスに仕える
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       主に仕えるとは、主イエスが赦してくださったように、私たちも互いに赦し合うことです。他人を裁くことは自然と私たちの内から出て来ますが、赦すということは、神様の助けなしにはできません。キリストにつながっているなら、農夫である天の父が私たちを育て、赦すことができる者へと造り変えてくださるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      【2017年5月21日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      詩篇139篇17~24節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「人生を大切にする」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「神よ、どうか、私を探って、わが心を知り、私を試みて、わがもろもろの思いを知ってください。私に悪しき道のあるかないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」(23-24節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ① 神に祈る
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         「人生を大切にする」とは、どういうことでしょうか。まず、神さまから私に与えられた人生だと信じることです。そして、与えてくださったお方と絶えずお話し(祈り)することです。人とのコミュニケーションは大切ですが、神さまとのコミュニケーションはもっと大切です。では、祈るとどうなるのでしょうか。これは丁度、車を点検に出すようなものです。祈りの内に神さまは、私たちの思い煩いを解決し、傷ついた心を癒やし、死の問題に光を与え、試練を乗り越える力を与え、誘惑から守り、敗北をも謙遜への道であることを教えてくださるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ② とこしえの道に
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         私たちの人生のゴールは? また、そこへ行くまではどうなの?知らない人は不安です。しかし私の人生は、十字架にかかるほどに私を愛してくださったお方と一緒に歩める人生であり、ゴールは天国であること。これだけは、はっきりとわかっています。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        【2017年5月14日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ヨハネによる福音書11章32~44節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「神の栄光への約束」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか。」(40節)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ① 一緒に泣いてくださる神 (32~35節)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           「イエスは涙を流された。」(35節) 聖書の中で唯一、イエスが泣かれたという記事です。主は人々の悲しみを理解して同情され、感動され、涙を流されました。そのようなお方だからこそ、私たちが試練に合った時に助けてくださるのです。水野源三さんは、長年、支え励まし、苦楽を共にしてくれたお母さんを天に送った時、「涙があふれて、主よ、主よと、ただ呼ぶだけで、次の言葉が出て来ません。主よ、あなたも私と一緒に泣いて下さるのですか。」とイエスを仰いだ時、立ち直る力が与えられたのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ② 悲しみは神さまの素晴らしさを見るチャンス (36~44節)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           ラザロの死により、悲しみ落胆している人々に、「墓の石を取りのけなさい」とイエスは命じられました。主の命に従って、私たちの手で出来る事をして行くなら、神のみわざを見ることができます。「私たちは口で祈ると共に、手足でも祈る必要がある。」と言った人がいます。「信じるなら」とは、「信じ続けるなら」との意味で、旧約のヨセフも、また、パウロもペテロも大きな試練を経験しましたが、主を信じ続けたので、驚くべき救いの道が開けました。「あなたは善にして善を行われます。」最後まで信じ続け、神様の素晴らしさの目撃者となりましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          【2017年5月7日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          詩篇65篇4~13節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「神を信じる者の特権」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「あなたに選ばれ、あなたに近づけられて、あなたの大庭に住む人はさいわいである。われらはあなたの家、あなたの聖なる宮の恵みによって飽くことができる。」(4節)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ① 神の大庭に住む人
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             神はすべての人が幸せな人生を送るために、神の近くに来なさいと招いておられます。その招きに応じる人は幸いです。神の大庭では、心の中にある不安や心配事を何でも打ち明けて祈ることができます。すると、神からの励ましと約束の言葉が与えられ、すぐには解決しない問題を抱えていても、元気を出して忍耐強く前に進むことができます。このような幸いな神の恵みを喜んで人々に伝えて行く時に、たとえそれが、水の上にパンを投げるような作業であったとしても、「多くの日の後、あなたはそれを得る。」(伝11:1)と約束してくださっているのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ② 恵みによって飽くことができる
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             神はかつて、イスラエル人をエジプトの奴隷生活から解放されたように、今日も、「悪習慣」「否定的な考え方」「自分勝手な欲望」の奴隷となっている私たちを解放してくださいます。これらから解放され、神さまの豊かな恵みをいただきましょう。そして、神さまに感謝しながら生活しましょう。感謝は人生を花園のようにしてくれます。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            【2017年4月30日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ヨハネによる福音書10章7~16節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「キリストこそわたしの救い」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは、羊のために命を捨てる。(11節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ① 羊のために命を捨てる
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               現代に生きる多くの人々は、自分が愛されているという体験の薄さに悩み苦しんでいます。しかし主イエスは、あなたのために命を捨てるほどに、あなたを愛していると語られています。この事実をそのまま信じた人は、神さまの力によって、その心が内側から造り変えられ、「永遠のいのち」=神と共に生きる平安な人生とその先にある天国の約束が与えられるのです。主イエスはご自身の命を捨てることによって、私たちを本当の意味で生き生きと生きる者としてくださったのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ② わたしは羊の門
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               門の機能は内と外とを分け、内側に入る者を守ります。外は危険がいっぱいです。私たちは主イエスという門から入って救いの恵みにあずかり、その喜びと感謝を原動力として門から出て行き、他の人に神の恵みを伝える証し人となるのです。「狭い門から入れ」とは、みんな一緒に十把一絡げではなく、一人一人が個人的に神の前に出て罪を悔い改め、主イエスさまが私の罪のために身代わりとなって十字架で死んでくださったと信じ、罪赦され、感謝しつつ毎日を歩むなら、人生のゴールには、神様が待っておられる天国へと導いてくださるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              【2017年4月23日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              詩篇31篇5~15節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「神こそ わたしの救い」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              しかし、主よ、わたしはあなたに信頼して、言います。「あなたはわたしの神である」と。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ① 神への信頼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 主イエスは十字架で人類の死(永遠の死・魂の死)の問題を解決し、私たちに天国への道を開いてくださいました。ですから、誰でも渇く者(求める者)はキリストのもとに行き、罪の赦しと信仰をいただくことができます。「いえ、私には必要ありません。」と自分の力を過信し傲慢になっていると、神さまを求めることも信じる機会も失ってしまいます。「わが魂を御手に委ねます。」(5節)と神を信頼することが大切です。そうすれば、神の驚くばかりの恵みを体験することになるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ② 個人的な主との交わり
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 神さまはすべての人間の神様ですが、同時に、救われた私にとっては、私専属の神様でもありますので、祈る時には子が父に甘えるように、何でも悩みを打ち明けて祈りましょう。祈らない状態は、神の目から見ると霊的仮死状態です。そのまま行けば必ず霊的に行き詰まります。ですから祈るのです。たとえ5分でもいい、そこから始めて少しずつ祈る時間を増やしてください。そうする内に神様のご臨在(神様が共にいてくださる)を感じるようになるでしょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                【2017年4月16日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ヨハネによる福音書20章1~12節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「主イエスはよみがえられた」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた。」(8節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ① 主イエスの復活の事実
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   日曜の朝、イエスが葬られた墓へ向かったマグダラのマリヤは、墓の入口を塞いでいるはずの大きな石が、ころがされているのを見ました。これは墓泥棒に主イエスのご遺体を盗まれたと思い、急いでペテロとヨハネに知らせに行きました。ヨハネは、お体に巻かれていた布がきちんと横に置かれているのを見て、これは神の御手によるものと信じました。「これを見て信じた。」(8節)とあります。私たちも主イエスのご復活の事実を信じ受け入れましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ② イエスに愛されている弟子
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   ペテロは先に墓に入りましたが、まだ半信半疑の所があり、後から入ったヨハネがまず信じました。「イエスに愛されている」ことがわかった時に、復活の事実も信じられるようになるのです。ペテロもマリヤも後に主から声をかけられて、その愛を知った時に信じることができました。神さまの宴会に招かれた人たちは、「畑を買ったので・・」「牛を買ったので・・」「結婚したので・・」と様々に理由をつけて招待を断りました。これは、資産が増え、事業が拡大し、楽しい事に心奪われ、自信と高ぶりのために神の愛が見えなくなったためでした。私たちは心してへりくだって神の愛を信じましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  【2017年4月9日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  イザヤ書53章1~8節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「十字架によって神の愛が」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。」(6節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ① 受難のしもべ
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     神から離れた人間は、みな羊のように迷っていて、自己中心の道を歩んでいます。その罪人のためにイエスは十字架で身代わりとなって命を捨ててくださいました。主は託された使命のために、従順にみこころを行い、われわれのとがのために死んでくださいました。イザヤはイエスの降誕を、その750年前に預言し神の愛を宣べ伝えました。「まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んでくださったことによって、神はわたしたちに対する愛を示された。」(ローマ5:8)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ② このお方につながる祝福
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     父なる神のみこころに従い、黙々としもべとしての道を歩まれて十字架にかかり、人々の罪の身代わりとなられた時、神はその受難のしもべの生涯を死の世界に放置されないで、その運命を逆転させ、死人の中から復活させ、彼を信じる者に同じように復活の命を与え、天国の命へと導かれたのです。ゲッセマネから十字架までの一部始終を間近で見ていた百卒長は、「ほんとうに、この人は正しい人であった。」(ルカ23:47)と証言しました。十字架から流れる神の愛を「わたしのため」と信じ、永遠の命の祝福にあずかりましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    【2017年4月2日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ヨハネによる福音書9章1~12節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「心の目が開かれる」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」(3節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ① 神の恵みに目が開かれる
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       イエスは、ひとりの苦しんでいる生れつきの盲人に目をとめられました。この盲人の現在の苦しみは、「神のみわざが現れる」という明るい未来につながっています。人は誰も生れつき罪を持っているため、心の目が閉ざされていて、神を信じることができません。そのような罪人の私たちに神の御目は止められ、「神に近づきなさい、神を求めなさい。」と招いてくださいます。私たちが神に一歩近づくなら神は二歩も三歩も近づいてくださり、そこから神のみわざが始まり、その豊かな恵みに心の目が開かれて行くのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ② 神の力に目が開かれる
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       「つばきで泥をつくり・・」(6)とありますが、泥に癒す力があったのでも、シロアムの池に癒す力があったのでもありません。しかし、神の言葉には力があり、それに従う人は神の力を体験するのです。イエスは私たちの罪の身代わりとなって十字架で命を捨ててくださいました。これを信じる事によって私たちの罪は赦され、神と共なる人生と天国への道が備えられました。主と一緒に歩んでいると、少しずつ主に似る者へと変えられて行きます。「本当にあの人なのか、同じ人とは思えない。」とまわりの人が言うほどに神さまは造り変えてくださるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      【2017年3月26日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      イザヤ書40章21~31節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「目を高くあげて創造主を」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「目を高くあげて、だれが、これらのものを創造したかを見よ。主は数をしらべて万軍をひきいだし、おのおのをその名で呼ばれる。」(26節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ① 信頼の生涯
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         地上のものに目を向けていた者が、そこから目を天に移し、天体を動かしておられる創造主に信仰の目を向け、このお方を信頼して生きる、それが信仰生活の第一歩です。ヤコブのように人をだましてでも奪い取ろうとするような性質の人でも、これを愛し造り変えて下さるお方です。主はいつでも、どこでも、永遠に共にいて、私たちを孤児にはしない、また、死の陰の谷も乗り越えさせてくださる神さまです。さたに、人生のゴールでは、私たちに栄光の冠を与えてくださるのです。この創造主を信頼して生活しましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ② 期待の生涯
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         「主を待ち望む」とは、主に礼拝をささげ、主に期待して祈り、主イエスを信じて、このお方につながっていることです。そして、十字架による罪の赦しをいただき、重荷をおろし、主と共に平安な毎日を送ります。自分の力に頼っている人は、いつかどこかで疲れ倒れます。しかし、主を待ち望むなら、立ち上がる力が与えられ、忍耐強く歩き続けることができるのです。主は天を見上げてさまざまな奇跡を行われましたが、それは私たちに、主に期待することを教えるためでした。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        【2017年3月19日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        詩篇30篇4~12節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「苦しみの後には喜びが」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。」(5節)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ① 苦しみのあとには
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           創世記1:5に、「夕となり、また朝となった。」とありますように、私たちの霊的経験もまた「苦しみの後に喜びがくる。」と言うことができます。「その怒りはつかのま」の言葉の通り、神様の怒りはつかの間で、私たちを愛するがゆえに、ひとり子を贖いの供え物として十字架に掛け、赦しを与えてくださいました。このすばらしい福音を信じる時、私たちに罪の赦しと人生を歩んで行く上での平安、そして、それはやがて天国へとつながる希望へと続いて行くのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ② この喜びに生きる秘訣
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           日曜ごとに主の御前に出て礼拝し、主を賛美することは大切です。いつも顔を見合わせている夫婦がだんだんと似てくるように、いつも神さまに向き合っていると、少しずつではありますが、主に似た者へとその内面が変えられて行きます。律法や規則は、その人の内側に働きかけることはできません。人は、内側に働きかける神さまからの示しや、そこから来る悟りによって少しずつ変えられるのです。そのためにも、信仰の原点である、「カルバリ山の十字架は私のため」と主を賛美しましょう。そのような人には不思議な助けと救いが与えられるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          【2017年3月12日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ヨハネによる福音書6章1~14節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「私たちの必要に答えるキリスト」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「イエスはパンを取り、感謝してから、すわっている人々に分け与え、また、さかなをも同様にして、彼らの望むだけ分け与えられた。」(11節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ① 必要に答えてくださるお方
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             キリストは私たちの救い主であるばかりでなく、肉体と魂の必要にも答えてくださるお方です。「少しでもむだにならないようにパンくずのあまりを・・」(12節)とありますように、ユダヤの宴会では余り物を貧しい人や給仕役に分け与えていました。これは、ひとりも滅びることがないための配慮です。衣食住の思い煩いを神様にお委ねするなら、天の父は養ってくださいます。(マタイ6:33、Ⅰペテロ5:7) また、祈りによって神に近づく人に、みことばの糧を与えて魂をも養ってくださるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ② 恵みを受ける秘訣
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             主は欠点のたくさんある弟子たちを訓練し、自己中心的な群衆を憐れんでくださいました。気が弱く引っ込み思案なピリポや、悲観的なアンデレを立ち上がらせてくださいました。使徒パウロは、「わたしを強くして下さる方によって何事でもすることができる。」(ピリピ4:13)と証ししました。自分の弱さと汚れがわかった時に、キリストの恵みがわかるのです。主は群衆を座らせ、パンを取って皆に分け与えられました。私たちも神の手に握られている者として、人々の中に派遣されるなら、人々を養う糧として用いられるのです。いつもキリストにつながっていることが恵みを受ける秘訣なのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            【2017年3月5日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            詩篇36篇5~12節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「いのちの泉は神いのちの泉はあなたのもとにあり、われらはあなたの 光によって光を見る。」(9節)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ① いのちの泉
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               いのちの泉は、私たちが神のみもとに行き、自分の意思で汲み上げようとする求めのある時に湧いてくるものです。いのちの泉は、いわば、神様の祝福、神様からの平安、神様から来る生きる力です。これがあれば、長い人生の中で出会うさまざまな試練にも耐えることができ、乗り越えることもできるのです。この祝福を与えてくださる神さまは、心砕けて(罪を悔い改め)へりくだる者と共にいてくださるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ② あなたの光によって光を見る
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               「神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば・・」(Ⅰヨハネ1:7) とありますように、自分の心を神さまの光に照らしてみて、悔い改めるべきところがあるなら告白し、主の十字架のあがないを信じるなら、「御子イエスの血がすべての罪からわたしたちをきよめるのです。」きよめとは、罪を赦し、その傷を癒やし、生きる力が与えられ、神のすばらしさが現れる恵みです。ふたをした瓶に水を入れようとしても、水は中には入りません。心のふたを開いて神さまに求め、祈り、告白し、へりくだり、信じる時に、神様の恵みのすばらしさを体験することができるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              【2017年2月26日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ヨハネによる福音書4章1~18節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「渇きをいやすキリスト」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。」(14節)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ① キリストのもとに
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 人目を避けて悩みながら生活しているサマリヤの女に、「生ける水」=「神さまから来る生きる喜び」を与えようと、主は近づいてくださいました。「主ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練の中にある者たちを助けることができる。」(ヘブル2・18) とありますように、キリストは神でありながら、人としての悩みを経験なさったお方です。水は喉の渇きを一時的に癒やしてくれ、また、世の楽しみや趣味も同様に一時的に喜びを与えてくれます。しかし、礼拝ごとに新鮮な神の恵みを汲み上げる人の心には、湧き上がる泉のように、神の恵みが与え続けられるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ② この水を飲む者は
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 「その水をわたしに下さい。」とサマリヤの女が主イエスに求めた時、「あなたの夫を」と主は言われました。自分の生活の隠しておきたい部分を神の前に明らかにし、罪を告白した時に赦しが与えられ、生ける水も与えられるのです。キリストの十字架によって赦しの備えは十分にできています。あとは真実な罪の告白がなされるだけなのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                【2017年2月19日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                詩篇126篇1~6節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「神の愛の種をまく」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。」(5節)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ① 神の愛の種
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   神の愛の一番の現れはイエス・キリストの十字架です。罪のない神であるイエスが私の罪の身代わりとなって十字架にかかり、私の代わりに罪の罰を受けてくださいました。それを信じ、心から罪を悔い改め、罪が赦された喜びに感謝しながら生活するところから、クリスチャンはスタートします。この神の愛を体験すると、このすばらしい恵みを他の人に伝えたくなります。神の愛を多くの人に知っていただきたくて一生懸命に祈り、生活と言葉を整えます。長い人生には試練もありますが、十字架にかかってまで表してくださった神の愛を知る者は、どこまでも信頼して、万事を益としてくださる神を再発見するのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ② 涙をもって
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   農夫が種を蒔く時には、確実な発芽を促すために、まず種を水に浸します。「涙をもって」の言葉の中には、そのような意味も含まれています。種を蒔くのは収穫を期待してのことです。30倍、60倍、100倍の収穫をくださる神に期待しましょう。礼拝の種「集会をやめることはしないで」(ヘブル10:25) 、愛し合う種「互いに慈しみ、進んで互いに尊敬し合う」(ローマ12:10) 、証しの種「あなたのパンを水の上に投げよ」(伝道11:1)などを、忍耐しつつ蒔き続けましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  【2017年2月12日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ヨハネによる福音書3章1~16節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「神は世を愛された」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して 下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(16節)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ① 神の愛
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     ニコデモは身分が高く、才能に恵まれた金持ちでしたが、心の内 側は空しく、本当の意味での神の愛を知りませんでした。ある日彼は夜こっそりとイエスに会いに来ました。イエスは彼を永遠のいのちの恵みに導こうとされました。人々は、なかなか神を正しく理解しようとはしません。何か悪いことが続くと、神さまが呪いや祟りを与えておられるのだと思いがちです。しかし本当は、人々を愛するがゆえに、ひとり子イエスをこの世に送り、私たちの罪の問題を解決し、皆に神と共なる幸せな人生を送ってもらいと考えておられるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  ② 神の国を見る
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     誰でも新しく生れなければ、神の国を見ることも、またそこに入ることもできないと聖書は語ります。新しく生まれるとは、古い罪がキリストの十字架によって赦され、心の王座にキリストを迎え、このお方を主と信じて生きることです。そのことをイスラエルの歴史的事件である「青銅のへびを仰いで見て生きた。」(民21:9)から語られ、信じるなら永遠の生命に入ることができると約束されました。ニコデモはすぐには信じることができませんでしたが、彼は最後まで信じて離れずに従って行きました。それが祝福の秘訣です。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    【2017年2月5日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ヨハネによる福音書3章1~16節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「神はわが力」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。」(1節)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ① 神はわが力
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       神は愛であると共に、神はわれらの避け所また力であると聖書は 語ります。人生に悩みは付きものですが、神は悩む者と共にいて支えてくださいます。そして、私の味方となって悩みを乗り越えさせてくださるのです。人間の一番の悩みは「罪の問題」です。神はこの問題についてもすでに解決の道を備えてくださっています。イエス・キリストが十字架で身代わりとなって審きを受けてくださいました。それを信じる人々には、罪の赦しと天国へのいのちを与えてくださるのです。この救いは「いと近き助け」=手を伸ばせばそこにある救いです。罪を悔い改めて十字架の主イエスを信じましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ② 静まって
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       神の救いにあずかるためには、自分の方から求めなければなりませ ん。「来て、主のみわざを見よ。」(8節)と招いておられるのです。「静まって」とは、人間的な働きをやめて主の前に心を静めることです。へりくだって祈り、神に委ねるとき、自分の計画や方策にまさる神の方法で救いを与えてくださるのです。神に私の生涯を背負っていただき、持ち運ばれる人生は幸いです。神はへりくだって従う人に、不思議な導きとあわれみを示してくださるお方です。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      【2017年1月29日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ヨハネによる福音書15章1~9節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「みことばに従う祝福」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。」(5節)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ① 神の農園に入る
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         まことのぶどうの木であるイエス・キリストに、私たちが枝としてつながると、ぶどう畑の持ち主である父なる神さまは農夫として私たちを養ってくださいます。つながるとは、神の言葉である聖書に聞き従うことです。神の育て方はまず、「手入れしてきれいに」なさいます。これは、愛する者を訓練し、平和な義の実を結ばせるためです。人間は同じ口から賛美と呪いとが出てくるものですが、そんな私たちでも、いつも神さまを礼拝し賛美していると、訓練され、次第に造り変えられ、どんなことがあっても主に感謝できるようになってくるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      ② 実を結ぶ
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         自分の頑張りで得る喜びや満足に対しては、「あの人はすごい人だ。」という賞賛を受けることはできても、「あなたの信じている神はすばらしい。」とは誰も言いません。私たちの目標は、自分の生活を通して神の栄光を表すことです。神に近づき自分の人生を委ねて生活していると、自分勝手な欲望から解放され、神の栄光のために喜んで生きることができるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        【2017年1月22日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        詩篇55篇16~23節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「本当の避け所」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。」(22節)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ① 主にゆだねよ
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           苦しみの時、人は他の誰かを頼ったり、人を避けて引きこもったりしがちですが、それでは本当の解決とはなりません。本当の解決は主のもとに行き、祈ることによってもたらされます。神は私の祈りを聞いておられます。そこで、神は私のこの問題を、どのように見ておられるだろうかと信仰を働かせましょう。そうすれば、重荷と感じている問題でも、実は神からの祝福が形を変えて目の前に置かれていることに気づくのです。子どもにとっては、とてつもなく大きな困難でも、親の目から見ると簡単なよくある苦労であり、やがて糧となるものであることがわかるように、神もそのように見ておられるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        ② 正しい人の
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           「正しい人」とは、間違いを犯さない人のことではなく、主との正しい関係を保つ人のことです。主との正しい関係とは、「主のおきてを喜び、昼も夜も思う。」(詩1:2) 「常に主をわたしの前に置く。」(詩16:8) ことです。主のしもべとなることです。自分が頭になると他を思いやることができなくなります。しかし、神が私の人生の主役であり、私が脇役となるとき、主は私を支え祝福してくださるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          【2017年1月15日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          テモテ第二の手紙4章7~18節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「信仰のゴールをめざして」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。」(7.8節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ① 最後まで信仰を持ち続ける
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             救い(罪の赦しとそこから来る神と共なる心安らかな人生、そして天国の望み)は、罪の告白と主イエス様の十字架は私の罪のためと、単純に幼な子のように信じる者に無代価で与えられるものです。さらに、人生のゴールにおける「義の冠」も信仰を捨てない限り必ず神は与えてくださいます。だから、「イエスを仰ぎ見つつ走ろうではないか。」(ヘブル12・2) と、励ましておられます。「たとえ悩みや苦しみがあっても、わたしが先に受け、盾となるから安心してわたしの後について来なさい。」と語られているのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          ② 主に励まされて
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             パウロの人生は苦しみの連続で、最後は獄で寒さに凍えています。しかし、防寒のために上着が届けられ、聖書の言葉で力づけられ、さらにルカが側にいて助け、大いに慰められています。この励ましによって、彼は最後まで走り抜くことができました。今も、目には見えませんが確かに私と共にいてくださる神に、どれだけ信頼するかによって、主からの祝福は決まります。神は私たちと人生を共に歩いてくださるばかりでなく、どうしても歩けない時には背負って歩いてくださるお方です。このお方にどこまでも信頼を置きましょう。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            【2017年1月8日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            イザヤ43章10~21節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「神のみわざに期待する」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            「見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起こる、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。」(19節)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ① 信仰によって生きる
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               「新しい事」とは何でしょうか。ここでは、不信仰のために罪を犯してしまったイスラエルの民を赦して、もう一度立ち直らせることを指しています。その素晴らしい神さまのみわざにあずかるためには、信仰の目を神に向けることです。後ろ向きになりがちな私たちに、「イエスを仰ぎ見つつ走ろうではないか。」(ヘブル12:2)と、励ましてくださっています。アダムとエバが罪を犯した時にも、そのことを悩み続けることなく、神はすぐに救い主を送るご計画を立ててくださいました。神さまは前向きなお方です。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ② 主の証し人として生きる
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               自慢したり、自分の素晴らしさを表そうとしないで、「あなたはわが証人」(10,12節) と言われる神さまの期待に応え、神様の素晴らしさを証しする使命に生きましょう。神さまの導きと祝福が常にあるからこそ、私たちの仕事や生活は守られ成り立っているのです。私たちがそれを感謝し証しする時に、神さまはそれらを用いて新しい事をしてくださるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              【2017年1月1日】
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  書
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              詩篇16篇1~11節
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                題
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「神の前に生きる祝福」
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                聖  句
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              「わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの前にいますゆえ、わたしは動かされることはない。」(8節)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ① 主をわたしの前に置く
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 人は生まれつきわがままですが、それをやめて「主が私の前に進み、私はその後から従います。」と決断すると、豊かな祝福を受けることができます。ペテロはその経験を、「常に目の前に主を透視する。」(使2:25)と表現しました。たとえ目の前に困難があっても、その向こうに主イエスを見るなら、決して動揺することはありません。そして、常にわがままに打ち勝つ人からは、他を思いやる気持ちが湧き出で、主の愛を証しすることができるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              ② そこから来る祝福
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 主が前を進み盾となってくださると安心です。そして、私の声に耳を傾け、私の分け前を守られます。必要な物は必ず与えてくださり、御前に祈るとき、主はカウンセラーとなってアドバイスをくださいます。たとえ貧しくはあっても乏しいことはなく、思い煩うこともありません。ファニー・クロスビーは医療の失敗で失明しましたが、その後、神と出会い「救い主イエスと共に行く身は、乏しきことなく、恐れもあらじ。イエスは安きもて心たらわせ、物事すべてを良きになしたもう。」(新聖歌340)と賛美しました。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                • E-mail
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